○ ザ・ナック「マイ・シャローナ」
1979年、デビュー・アルバムからのシングルカットが、ビルボード誌に6週間連続第1位を記録しました。
同年の年間チャートでも第1位でした。
ビートルズの再来と言われたのですが、当時はディスコがブームであった背景もあって、その後はヒットに恵まれなかったのです。
1965年、ニュー・クリスティ・ミンストレルズからソロになったばかりのバリー・マクガイアが発表した曲です。
核戦争の恐怖を唄った問題作は、放送禁止の扱いを受けましたが、それでも全米第1位となりました。
○ ボビー・ジェントリー「ビリー・ジョーの唄」
1967年に発表したこの曲、シングルではB面扱いでしたが、シリアスな歌詞と弾き語りが注目を浴びて、発表から3週間で全米第1位に上り詰めました。
もともとのバージョンは、演奏時間が7分間に及ぶ大作でしたが、ラジオ向けに曲を短くして再発売したそうです。
その年のグラミー賞の新人賞を獲得しました。
○ ヒット・メイカーズ「ストップ・ザ・ミュージック」
1966年にヒットしたこの曲、オリジナルは英国の「ディック・ジョーダン」でしたが、世界的にヒットさせたのは、スエーデンの「レーン&ザ・リー・キングス」でした。
この曲、各国で競作となりましたが、一番人気があったのは、デンマークの「ヒット・メイカーズ」でした。
○ カスケーズ「悲しき雨音」
毎年梅雨時期になるとラジオから流れてきたのがこの曲、全米チャート第3位になりました。
日本では永い間チャート第1位を独走し、モンスター級の大ヒットとなりました。
○ ジョーン・シェパード「サマー・クリエイション」
グレン・ミラー楽団の専属歌手だったジョーン・シェパードが唄いました。
千 昌夫さんと結婚する前に発表した曲で、マックス・ファクターのCMに使われて、日本ではかなりヒットしました。
○ ピープル「好きさ好きさ好きさ」
1965年に「ゾンビーズ」によって発表されたこの曲、日本では、グループ・サウンズの「カーナビーツ」が、1967年にカバーして大ヒットさせました。
全米でヒットさせたのが、この「ピープル」で、1968年、チャート第14位まで上昇しました。
○ マッシュマッカーン「霧の中の二人」
(画像がありません。)
カナダ出身のグループで、オルガンをフィーチャーしたサイケデリックな音作りが特徴です。
1970年、全米ではチャート31位の小ヒットでしたが、日本人向きのマイナーな雰囲気が受けて、日本で40万枚をセールスするヒットとなりました。
当時、TV放映も無く、ビッグ・ネームでもない彼らが、何故日本でヒットしたのか、不思議ですよね。
○ デレク&ドミノス「いとしのレイラ」
1968年、「クリーム」を解散した「エリック・クラプトン」が、1972年に発表した曲で、チャート第10位になりました。
クラプトンが、ジョージ・ハリスンの妻、パティに捧げた報われない愛を歌った曲です。
クラプトンは、これを発表してすぐ、ヘロイン中毒になって、グループは解散しています。
つづく


