ポップス界の女王 「コニー・フランシス」 | ウルトラマン・Hの ひとりごと

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1938年12月12日に生まれた「コニー・フランシス」、本名は、「コンセッタ・ロサ・マリア・フランクネロ」と言います。


幼い頃から才能豊かだったコニーは、3才でアコーディオンをマスター、10才の頃には地元のTVショーに出演していました。 口紅


1955年、タレント・スカウトのショーに出た事がきっかけで、「フレディ」という曲で歌手としてデビューしますが不発でした。

それから、3年間、およそ9枚のシングルを発表したのですが、ことごとく不発に終わるのです。 叫び


なかなかヒット曲に恵まれず、歌手を辞めようとさえ思っていましたが、やはり大好きな歌は捨てる事が出来ません。

もう1枚だけ出してみよう、これが売れなかったら、本当に歌手は辞めよう」との思いで、1958年、発表したのが、「フーズ・ソリー・ナウ」でした。

これは、スタンダード・ナンバーをカバーした楽曲でしたが、全米第4位の大ヒットとなりました。カラオケ

今思えば、この曲が無かったら、ポップス界の女王「コニー・フランシス」は誕生していなかったのです。


その後は、すこぶる好調で、1960年「エヴリボディーズ・サムバディーズ・フール」が、全米第1位になりました。

61年には、「トゥゲザー」が、ビルボード・シングル・チャートで第1位、62年には、「泣かせないでね」も、全米第1位になるなど、ベスト10に60曲近くのヒット曲を送り込んだのでした。


順風満帆のコニーでしたが、不幸にも1974年、滞在中のホテルに不法侵入した黒人に襲われ、一時活動を停止してしまいました。(犯人は未だ捕まっていないそうです。) ドクロ

それでも、1978年、見事にカムバックを果たし、世界中に元気な姿を見せてくれたのでした。


 「コニー・フランシス」は、音楽的なレパートリーが大変広く、ポップスはもちろん、スタンダードからジャズ、カントリー&ウエスタン、ラテン、カンツォーネなど、あらゆるジャンルの作品をこなせるまさに「オールラウンド・シンガー」でした。


世界中でコニーのヒット曲がカバーされています。キスマーク


日本では、弘田三枝子さんや中尾ミエさんがカバーして、ヒットとなりました。


1962年発売の「ヴァケイション」は、日本ではいろいろな歌手が同時にカバーする競作となりましたが、青山ミチさんのカバーが3万枚、弘田三枝子さんのが20万枚の大ヒットとなりました。

この「ヴァケイション」、本場ビルボードでは、最高9位にランクインしています。


中尾ミエさんが唄った「可愛いベイビー」は、米国ではシングル発売されておらず、日本だけのヒット曲なのです。

他にも日本独自のヒット曲があって、「夢のデイト」、「ロリポップ・リップス」がそうですね。


オールディーズ・ファンには欠かせないコニーの歌声、「カラーに口紅」、「思い出の冬休み」、「ボーイ・ハント」、「大人になりたい」・・・、みんな最高ですね。


私は、何故か「ミスター・ツイスター」が大好きです。

ベースラインを好きなように弾けるのが楽しいですね。ドキドキラブラブ


つづく