ここには、視神経脊髄炎/多発性硬化症の患者となってから足掻いた思いの軌跡を残したいと思って登録しました。以前からやっていたブログのキャラのままだと書きづらいし、それに、あのブログはもう過去の自分なんだって気がついたんです。
最初の記事で自己紹介します。次に僕を罰する病気について書いていきます。
僕は恥ばかりかいて生きてきました。いわゆる何だ、「中学生まで天才児」タイプと言えば短文で伝わるかな。高校でサボりを覚え脱落し、親に引き戻して貰い大学は得意のマークシートで国立大に滑り込み、大学でまた脱落。留年してまた親に叱って引き戻して貰いました。
1年プラスの就活は漠然と「公務員」「安定」と親に公務員講座に入れてもらいました。また脱落。ついていけない。経済学がわからない。数的処理がわからない。法律を覚えきれない。そもそもが大学卒業ギリギリなので講義はぎっしり、勉強する時間は人より無かった。
結局、公務員試験は全滅。「駄目だ」察しました。夏から民間の就活に切替、当時募集があった中で自分につとまりそうな業界は小売り飲食の世界でした。公務員浪人などもっての他、これ以上迷惑をかけたくなかった。
地元中堅スーパーに就職しました。そこで働きながら大学時代の同級生と再会し、交際の末結婚しました。結婚は親に迷惑をかけないよう、自分で殆どの費用を賄いました。唯一結納金だけは出せませんでしたが
家庭を築こう。仕事も頑張ろう。親孝行してみせよう。そんな28歳結婚二年目の夏、病気は僕を許しませんでした。
スーパーの仕事は生鮮の作業場でした。…器用な人間ではありません。テレビゲームは好きでしたので銭儲けは多少関心がありますが、売場を演出したり美しい商品を盛り付けるセンスはゼロ。でも、部門のサブチーフとして頑張ろうと思っていたんですよね。
病気が僕から体を奪いました。もう立ち仕事を生業にはできません。でも、一生続けるつもりだったの?60歳になっても、65歳まで包丁持って仕事できる腕前あった?体力的に考えられた?最初の選択がおかしかったし、いよいよの時の準備もなかった。
体を壊した僕は会社に退職願いをだし、慰留されて惣菜などを店舗に出荷する工場に品質管理として配属されました。
そこで当たった壁がパソコンスキルの無さ。Excelが本当に並以下の腕前でまだちゃんとしたマクロやグラフがつくれない。過去の話はだいたいここまで。
こんな自己紹介どうだろう。だっめな奴だよなあ!
でもさ、病気にならなかったら自分の本当の姿に気がつかなかったんです。僕は今も「将来がんばる」君だったことでしょう。
今は衛生管理者や社会保険労務士の資格を勉強しています。社労士は退職願いを出した頃に勉強していたのを続けているのですが、これは法律の学位があるのと、公務員の勉強がいくらか役にたっているからまるきり無学ではないから。いまの会社は品質管理の立場が弱く窓際族的なポジショニング(品質管理MGも人事部所属)だから、ゆくゆくは人事部の社会保険や労務管理に入っていきたいんです。
人事部狙いとかは後付けですよ、社内に有資格者全然いないらしいけど。単に、公務員講座に投資していただいた金を、無駄金にしたくなかったっていうのを合格といっしょに言いたいだけなんです。
今年落ちたらまた来年度?甘いよって、病気は再発して煽ってきます。来年まで頭が生きてる保証は無いから、今を精一杯やるしかありません。
いまはそんな感じ。入院二週間目くらいのベッドで書きました。妻の事とか趣味の事とかしゃべりたくなるけど、僕がやったことやりたいことはこんな感じです。後ろ向きなのか前向きなのか、前向きなつもりです、よろしくお願いいたします。
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