言語化できるということ。 | ナマケモノCDの雑想ブログ

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クリエイティブな日々の幸福

「おいしすぎて言葉がでない」とか「感動しすぎて言葉が見つからない」とか、そのような経験はないでしょうか。いきなり、妙な問い掛けになりましたが、なぜなら僕は時々考え込んでしまうことがあるのです。それは、頭の中では、僕は、本当に「言語を使って」考えているのだろうかと。

頭の中で発生しているイメージは、言語とは異なる構造を持っているに違いない。では、俗に言われる映像のようなものが展開されているのかと言えば、そうでもない、、。

「言語とは、いったい何か」や「意識とは、どのようなものか」など、いくつかの根本的な言葉の定義が必要かもしれないが、人間の頭の中で展開されるイメージとは、構造らしいものもなく、限りなくハチャメチャで、外部刺激による反応と、精神的なストレスによる防衛本能など、数限りない初期条件が生み出す欲望の空間が重なり合って混沌としていると思うのです。あえて頭の中のイメージを定式化するならば、名付けて「多重矛盾空間群」とでも呼びましょうか。

たとえば「最近、中年太りで、メタボになっているみたいだ」が初期条件だとすると「痩せるためのダイエットをしなければ!」が当然の欲望になるだろう。でも、頭の別の部分では、「腹減った」(初期条件)→「ラーメンが食べたい」と食欲に直結するのですが、ダイエットすることとラーメンが食べたいという食欲を感じることは、どうも矛盾しているのです。自分の頭の中を調べてみてください。矛盾している感情が見つかりませんか?「お前の考え方はおかしいよ。矛盾しているよ」って、よく言われますが「頭の中は矛盾だらけなんですよ」って言っても、単に開き直っているみたいですね。

ちょっと脱線しましたが、言葉というのは論理的な構造を持っているから、このような矛盾を抱えたイメージの断片を「言葉」を使って構造化することは到底無理なのでしょう。で、なぜ、このような話題をしているかと言えば、デザインは言葉で説明できるかということを書きたかったのですが、どうも頭の中イメージが、飛んですべってころんでしまって、うまく着地できなくなってしまいました。

ところで、東京は、またまた雪が舞っております。寒っ!