1年9か月ぶりにくぐった義実家の門。


怖くて、不安で、夫にしがみつきながら入りました。

玄関では、義妹ちゃんが待っててくれ、

出迎えてくれました。

それがなんだかとても嬉しく、

ホッとしました。

義妹ちゃんと会うのも久しぶりで、顔を見たら

つらく当たられたこともあったけど、

それらが何だかどうでもよくなって、

お互いに手を握り、泣きながら、

私 「義妹ちゃん、ごめんね…
   長い間、本当にごめんね…」

義妹「こちらこそごめんなさい…
   来てくれてありがとう…ありがとう…」


お義母さんも出てきて、

義母「よう来てくれたね、辛かったね…
   長い間本当にごめんね…」

と謝ってくれ、二人の姿にホッとしました。



そして……義父登場

なにか異様にニコニコしながら、

義父「さあ、こっちの暖かい部屋へ」

と促され、夫と一緒に義父のいる部屋へと入りました。

夫には、義父と話をしている間はずっと隣にいてね…と約束してもらい、

夫も 
「ずっと横にいるからな、大丈夫やからな」

と背中に手を当ててくれていました。




義父はまず、開口一番

「みさえさん、一言だけいいかな?
この度はみさえさんの心を患わせてしまって、本当に申し訳なかったし、お詫びのしようがないと言うか…今日は本当によく来てくれた。みさえさんの思うところを聞かせてほしい」

そう言い、私も震える声で話し始めました。



  ダウンダウン  抗議中  ダウンダウン   少し長いzzz

私は、教会の奥さんになるのが夢で、
ここに嫁いできてからも、毎日笑顔で通ってきたけれど、
ここにいた期間で、教会の奥さんになる自信がなくなってしまいました…

私が3人目を妊娠中だった一昨年のあの夏、私はたびたび嘔吐、吐き気、腹痛、めまいに悩まされ、

それでも暑い中、KOGのお誘いに歩くのは私一人だけで、誰も一緒に歩いてはくれませんでした。

もう限界… もう限界… と思い、お義父さんに

「母親講座を開いて、その人達にお誘いしたい」
と言いましたが、それも許してはもらえませんでした。

私がここで、みんなのご飯を作ったり、
神殿掃除、撤饌、子たちを連れての買い物、
家族みんなに喜んでもらえるように頑張ってこれたのは、実家の父が、毎朝5時に起きて神殿掃除し、朝6時になれば、大教会の神殿掃除もしにいくという、姿勢を頼りにしていたからです。でも、ここではその姿勢を誰からも見出すことができず…
昼まで寝ているお義父さんのご飯を作り、義妹ちゃんのご飯を作り、それでも不足せずにやってきました。
私は、教会の建物が古く今にも潰れそうだとか、ボットン便所とか、五右衛門風呂とか、
そういうことで不足をしたことは一度もありません。
ただ…寂しかったのは、お義父さんが夫に対して、夜勤をしていたときでさえ、寝る間を与えず夜ずっと説教していたり…

「○十万円頼むわ」
「次は○万円頼むわ」
「今度は○万円頼むわ」って…
高額なお金をギリギリな中、度々要求された事や…

私は東京出身だから、
「東京の娘はうちでは無理や」
と言われたこと…

それでも笑顔で過ごしてきましたが、
やはり一昨年の夏、妊娠中の私がこういうふうになり…もとの身体に戻りたいと願っても戻れず…

今もコロナ自粛で子たち3人家で見てますが、

鬱じゃない自分で育児がしたかったな…

元気な私で子たちと向き合いたかった…

もとの元気な私を返してほしい…

熱い思いをかえしてほしい…

どうしてこうなっちゃったんやろう…

私生きてる意味あるんかな…

子供達に悪影響しか与えていない私は、

もういなくなってもいいんじゃないかな…

そう思い、薬を大量に飲みました。

意識がもうろうとしている中に夫が帰ってきてくれ、どうにか大丈夫でしたが、
自分がまたいつ薬に手を出してしまうか分からなくて怖くて…

でもどうにか、お義父さんにこのことだけを伝えたい…

そう思って来させてもらいました。

    アップアップ  抗議終了  アップアップ  えーん



泣きすぎて鼻水ずるずるになりましたが、

義父には分かってもらえた様子でした。

まだまだ言い足りないこともたくさんありましたが、

義父が真摯に受け止めてくれ、謝罪をしてくれたことはとても嬉しかったです。



続きます。