ブログを開いたら、いろんな方々がタイトルにハッシュタグを付けておられたので
私もタイトルではないけれど
ノッてみることにしました^^
#今更だと思うこと
今更、申すまでもないかと思いますが
私は親々から代々信仰している教会の
6人弟妹の長女として生まれ
親からは大変厳しく育てられました。
私の過去記事を読んで頂ければ分かると思いますが🙇
小さい頃から、
教会の用事に忙しい両親の代わりに
家事(掃除、洗濯、朝昼晩ご飯の支度など)
いっさいを任され、その合間に
・教理の勉強
・おつとめ(お祈り)
・布教活動(パンフレット配り、戸別訪問)
に明け暮れる日々を過ごしました。
教会関係でご縁があり、
2014年、教会の長男で後継者の夫と結婚し
2015年に長男
2016年に長女を出産し
嫁ぎ先の教会で後継者夫婦として
義理の両親と完全同居で暮らしていました。
ところが この嫁ぎ先の教会が
教会としての機能を果たしておらず、
また、家族としても成り立っておらず、
お金もなく、貧窮した、
めちゃくちゃな状態でした。
会長である義父は、
昼まで寝ていて、働きもせず、
お酒、タバコ三昧。
なにかというとすぐ
「うちの教会がこんな状態なのはおまえらのせいや」
「お前らのせいで潰れて終わりや、わしの代で終わりや!」
と人のせいにする、モラハラ会長でした。
義母、また
当時一緒に住んでいた義妹はパートに、
そして夫は仕事に出ているため、
子育てをしながら義父の面倒も私一人で見なければならず、
好き嫌いの多い義父の、数少ない食べられるものをなんとか料理し、
義父の起きてきたタイミングで出さないといけなかったのです。
義妹もお昼を食べに一度帰ってくるので、
義妹の分も用意し、用意ができていないと
機嫌が悪くなるのも日常茶飯事でした。
義父の面白くないことが起こると、
必ずその夜は罵声が何時間も飛びました。
築150年ほどの教会は、
どこにいても声が筒抜けで
子供達には義父の罵声は聞かせたくないと、
布団に被さり、寝かせた日々もありました。
阪神淡路大震災のときから建て直していない
ボロボロの半壊状態の家、
薪で沸かす五右衛門風呂、
汲み取り式のぼっとん便所、
クーラーのない夏、
外と同じ気温の冬、
詳しくはこちらの記事に書いてあります
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なにかにつけて
「みさえさんは五右衛門風呂で育ってないからなぁ!うちの子達は五右衛門風呂のお陰でホンマに良い子に育ったわ!見習え!」
と言われ、
それでも、この大変な、くせのある義父に
なんとか喜んでもらうんだと
日々頑張りました。
そうしているうちに、2018年、
3人目の次男がお腹に宿りました。
だんだんと大きくなっていくお腹、
悪阻がなかなか治まらず、
嘔吐、吐き気、腹痛を耐えながら
毎日 家事・育児・教会の用事、
そして、妊娠中でも上の2人の子を連れての
布教活動、
教会の嫁としての業務を
何とかこなしていました。
けれど、妊娠6ヶ月のとき、
夫が一ヶ月のひのきしん隊(単身赴任のようなもの)に行ってしまい、
義実家に取り残されました。
そうやって夫が出ていき、私と子供だけ取り残されるということは
何度も経験していたのですが、
このときは3人目を妊娠中…
頼れるものもなくなり、
でもやるしかない!と自分を奮い立たせ、
日々の業務をこなしていました。
夫が出発して1週間後、
どうも私の体調がおかしい…
激しく嘔吐し、
ふらつき、立っていられるのもやっと。
それでも昼に起きてくる義父と義妹のご飯を作らなければいけない…と、
台所でなんとかご飯を作りました。
今思えば、もう心身共に、
とうに限界を超えていたのだと思いますが
そのときは気付くことができませんでした。
やっとの思いで義父と義妹にご飯を食べさせ
子供達にもご飯を食べさせ、
やっと自分が食べられる…と思った瞬間、
「みさえさん!こんなくだらないテレビ消しなさい!」
妊娠中で体調不良のため、子供達に料理作りの間だけでも観ててもらおうと
ジブリのDVDをつけていたのですが
それが面白くなかった義父に怒鳴られました。
それから一気に不機嫌になる義父。
こちらが何をしても、何を話しても
「いらん!」
の一点張り。
嫁いでから何年ものこの蓄積と、
疲労感でいっぱいな私に、
さらに追い打ちをかける出来事が…
その晩、パートから帰ってきた義妹は
右手に包帯を巻いていて、義父に
「お父さんすみません、仕事で腕を怪我してしまいました。でも骨に異常はなくて、普通に動かせます。」
と言い、私にも目配せをして
「ごめんね、しばらくよろしくね」
と言われ、内心、
(もうこれ以上お世話できないよ〜💦)
と思ったそのとき、
義父が私を睨みながら
「でも義妹ちゃんは大したもんやなぁ!普段からしっかり通ってるから神様が無事で済ませてくれたんや!みさえさん、義妹ちゃんにお酌せなあかんぞ!」
義父は意図的に義妹と私を比べ、
私を落とし、それに成功しました。
私はまんまとこの義父のモラハラの手段に
はまってしまったのです。
私のうつ病になった決定的な瞬間は、
このときでした。
そこから先は、途切れ途切れにしか
覚えていません。
ただ、嫁いでから今まで、
大変な義理の親だけど、
親孝行したい、
親に喜んでもらいたい、
教会の嫁としての責務を果たしたいと、
精一杯 頑張ってきたのに、
なんにも伝わらなかったことに
愕然とし、
今も、この先の未来も
真っ暗になってしまったのを覚えています。
上の子2人を抱えながら、
こともあろうに3人目を妊娠中に、
うつ病にさせられてしまったのです。
ここから先のことはこの記事に書いてあります
⏬⏬⏬
何年経っても、
このとき受けた傷は
なかなか癒えてはくれません。
以前の強く、明るかった私は
このとき 義父に、殺されてしまったのです。
今も、うつ病で辛い日々を過ごしています。
けれど、この経験が、
いつか誰かの役に立てるならと
綴ることにしました。
今も辛いけれど、
今 苦しんでいる人たちと
どうか乗り越えていきたいと
願っています。
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