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シンガポール~熱帯先進国から見る世界

シンガポールで進出支援・会社設立・資産管理をお手伝いする代表者ブログ
常夏のシンガポールから、つれづれなるままにコラムをお届けしています

銀行からレターが来て、写真のように'We are upgrading..'などと書いてあるので何かと思えば、銀行のシステムをいじるから週末はATMなど一切使えなくなるという通知でした。
日本なら「ご不便をおかけして申し訳ありません」というお詫び的な連絡だと思いますが、こちらは「より良いサービス提供に努力してます」というメッセージがドーン!と先に来ます。詫びる必要は最小限。日本との価値観の違いが垣間見えます目

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iPhoneからの投稿
最近、日本に住んでいる方々と話すたびに同じようなやりとりになります。

---日本はアベノミクスですごい景気回復に沸いているようですね?

「いやー、実際はどうなんですかね。実感はないですよ」
「マスコミが言っているだけで私たちにはあまり関係ありませんね…」

外国で暮らしていると日本に関する情報は、メディアやネットを中心に収集しているので、「日本は金融緩和・株高・アベノミクスで久しぶりの景気回復に沸いている」と、皆が鼻息荒く感じている姿を想像しています。しかし日本における人々の反応は割と冷静です。

それは長いデフレに慣らされて好景気の味を忘れてしまったのか、それとも元々景気回復というもの自体が幻なのか、現在進行形であるために判断がつきかねます。おそらく、どちらの要因も半々なのでしょう。

私を含め社会に出てからバブルを経験していない世代は、そもそも日本における好景気というものを体験していません。私はシンガポールに来た時に「これがいわゆる好景気か・・」と、とても新鮮に感じたことを覚えています。騒いでいる人の大半は日本のバブル時代を経験した人でしょう。そもそも「好景気」とはなんなのでしょうか?

経済学を引き合いに出すまでもなく、国家による金融政策と投資、企業の雇用創出と投資活動、人々の給与と資産の増加に伴う消費活動、そういった一連の活動が活発化することにより、お金が回り景気は良くなります。これは自明の理です。かつての経済成長はそのようなサイクルを経て実現してきました。

しかし2013年の今、そんな古いタイプの景気回復が狙い通りに実現するのでしょうか?世の中の関心も最終的にはそこに集まるでしょう。

まず日本はバブルとその崩壊を経験していますので、かつてのように消費が盛んにおこなわれるかわかりません。
私は若い頃によく、「バブルの時代にひと財産築いて、その時に守りに入っていたら今頃大金持ちだったろうに、皆、バカだったんだなあ…」と思っていましたが、大人になるにつれ、さにあらず。
物事はそう簡単でないと気づくようになりました。

今、たとえ資産が増え給与が増えたとしても、大盤振る舞いをする人がどの程度出て来るでしょうか?皆、不景気の頃のわびしい気持ちを覚えていて、景気が良くなっても財布のひもはあまり緩まないのではないか、という懸念があります。

また、景気回復には消費の回復、消費の回復にはサラリーマンの給与の増額が実現する必要があります。

昔のような家族的経営からドライな経営になりつつある日本企業が、どれだけサラリーを上げてくれるのか。甚だ未知数です。会社は儲かっても、内部留保や別の投資に使われては社員の給与増額・消費の回復にまでつながりません。

実際、マネーがグローバル化した現在は、どの国でも「資産バブル」という形で金融と不動産ばかり外部資金が流入して、国民の給与は変わらないのに物価だけ上がるという弊害が世界のあちこちで見られます。

シンガポールもご多聞に漏れず、不動産バブルと物価高によって生活がしづらくなったという国民の不満であふれています。日本は健全な意味でのインフレが起こるのか、という疑問は多くの人が持っているでしょう。
そういった違和感が、「日本は景気回復だ」とメディアでもてはやされても、手放しでは喜べない原因となっている気がします。日本人が賢くなったとも言えます。

ただ1つはっきり言えることは、景気が回復しようとしなかろうと、昭和の頃のような一億総中流社会が再び来ることはないということです。全世界的に「富める人」と「貧する人」の二極化が進んでおり、日本も例外ではありません。

会社は業績が上がったからと言って無駄な社員を抱えることはありません。むしろノーガードの打ち合いをしなくてはならないような、仁義なき個人競争社会が到来するでしょう。年を取ればとるほど仕事にはスキルを求められますし、即戦力にならない若手を育てる余裕もなくなってきます。今までのように若い頃から教育してもらい、エスカレーターの順番待ちをして、中年になったら偉くなるという道もなくなります。

そして、その社会が到来した時に「年齢や性別による差別を排除した、フェアで実力主義な社会」を見せつけられ、企業はブラックだ差別だと騒いでいる日本人の多くが戸惑うこととなるでしょう…。
「お金は良い召使いでもあり、悪い主人でもある」
Money is a good servant but a bad master.


この言葉は的を得た良い言葉だと思います。何時から何時まで働いて、嫌なことがあっても我慢し、その対価として金銭を得る。そのような生き方をしている限り、お金は悪い主人にとどまってしまいます。私は自分が会社に雇われていた時代を振り返ると、仕事を好き勝手にやってはいましたが、そのような状況もあったことは否定できません。

シンガポールという国は、悪い意味で言うと「カネ、カネ、金がすべて」の価値観の国です。日本人はその感覚に慣れていません。「金のためだけに生きている訳ではない」という気持ちがすぐに出てきてしまいます。私も以前はそうでした(いや、今も)。では、人は最低限の暮らしさえ保証されれば、お金のことは一切考えずに働いたり、生活できるのでしょうか。そうではありません。「お金のために働く訳ではない」というプライドと、「少しでもお金を得て豊かになりたい」という欲は、本来全く矛盾しないのですが、日本人はその折り合いをつけるのが下手な国民かもしれません。私はシンガポールに来てその感覚を身につけることができました。
シンガポールでは子供のころからお金の価値観を教育されているせいか、日常的にお金の話題がでてきます。例えば新しくコンドミニアムに入居した人が、隣人から「この家はいくらで買ったのか?」とあいさつ代わりに聞かれる。あるいはタクシーの運転手から儲かった自慢話を聞かされる、といったことも日常茶飯事です。日本人にとっては下品な話ですが、彼らは何とも思いません。またシンガポール人はお金に細かいと思いますが、決してケチという訳でもありません。日本人とは少し違う感覚です。

お金を召使いと考えれば、話題として特に忌み嫌う必要はないでしょう。若い頃からお金に関する勉強を重ねていれば、そこから目を背けることより真正面から考えた方が良いことは間違いありません。たかがお金のために人生を棒に振ることは愚かですし、ストレスをためたり、友人を失うようなこともばかげていると考えるようになります。しかし実際、人生の多くの不幸は、お金=悪い主人から生まれてしまうものです。

太古の昔から、人はいかに食料を確保し、生きながらえていくかということを毎日のように考えて来ました。文明が発達してお金が流通し、欲しいものと交換できるようになると、今度はそのお金をいかに確保するかということが、生きるために必要な知恵になりました。生まれてからノーストレスで死ぬまで平穏に暮らすということは、人類の歴史上ほぼ実現できていない環境でしょうから、「なぜ自分には安心できるお金がないのか」と私たちが嘆くのはナンセンスです。日本人はもっとふてぶてしくお金のことを考え、かといってお金に心や人生をとらわれることなしに生きていく術を身に着けるべきかもしれません。

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先日の日経ビジネスで表題、「グローバル人材の幻想」という特集があったので読んでみました。優秀な人材の確保、教育をどのようにおこなうかということについて、日本企業の抱えている問題点が並べられていました。

言葉の問題、外国人を扱う上での企業文化の問題、これらの問題は何年も前から言われていることで、日本企業の国際化にとって実際に障害となっているとは思いますが、この2013年の時点では既に0.5歩くらい遅れた問題だと、私は思うのです。シンガポールでも優秀なシンガポール人をマネージャーにすえている日系企業は多く存在していますが、それはそれで問題がない訳ではなく別の問題も出てきています。優秀な日本人が業務をおこなったほうが良いケースもあります。
つまり会社としての仕組みづくりが本来のテーマであって、どういう人種がどの仕事をおこなえばよいか、ということは本題ではなく、そのポジションに合った人材であればなに人でも構わないのです。

シンガポールでも例えば両替商などはインド系が多いですし、接客はフィリピン人が優れているなどの人種ごとの特長というのは確かに存在します。その特性を仮説として適材適所を考えるのは当然有効な方法ではあります。
企業は利益を追求する集団でありますから、結果を最大に出せる人を配置すれば良く、真のグローバル化とはどんな国籍の人であってもその企業で居場所を確保し、力を発揮することができる環境を会社が整えられるということでしょう。社内公用語を英語にするとか、海外支社を現地化するとか、すべての取り組みは手段であり目的とはなりえません。

根本的な問題は、日本企業は起業家マインドを社員に求めてこなかった、いやむしろ起業家マインドのある社員を排除してきたということに一因があると私は考えています。同じ日本人であっても、駐在員でない社員は現地採用と呼ばれ、海外支社では出世させる道は閉ざされているケースがほとんどです。駐在員は手厚い待遇を施され、その分現地で雇った人間は当地に合った待遇で済まさないといけないという仕組みを取っている会社が多いですから、どんなに結果を出してもリターンがない=起業家マインドを持った人材は必要ない、ということになります。日本人であっても出世する道が必ずしも開かれている訳ではないのですから、これは言葉や人種の問題というより会社の仕組みの問題です。

先日、日本のある大手チェーン店の幹部が私のもとに相談にみえました。シンガポール進出にあたり上層部や銀行などの提案してくる内容に疑問を覚え、現地を知っている人にアドバイスを聞きたいという依頼でした。その幹部は会社と戦ってでも、事業として現地に根付く店を出店・展開したいと燃えていましたが、今は大企業でも従来のやり方に危機感が強まってきているのではないでしょうか。

現地での利益を最大化するための方法は、業種にも企業規模によっても変わりますし、千差万別です。正解は結果でしか判断できません。トップが現地の言葉がわからなくても大きな結果を出している会社も数多くあります。とにかく結果を出したものが勝つのです。

私達の様な零細企業経営者はいかに売上・利益を確保するかを日々求めざるを得ませんから、国籍にかかわらず経営がうまくいくための話ならば積極的に耳を傾けます。
日本企業はまずは経営の原点に戻って企業の利益最大化を目指すことに専念すべきではないでしょうか。そうなればどんな国籍の人であれ力を発揮できる環境づくりをせざるを得ませんし、会社の真のグローバル化につながると思います。