「お金は良い召使いでもあり、悪い主人でもある」
Money is a good servant but a bad master.
この言葉は的を得た良い言葉だと思います。何時から何時まで働いて、嫌なことがあっても我慢し、その対価として金銭を得る。そのような生き方をしている限り、お金は悪い主人にとどまってしまいます。私は自分が会社に雇われていた時代を振り返ると、仕事を好き勝手にやってはいましたが、そのような状況もあったことは否定できません。
シンガポールという国は、悪い意味で言うと「カネ、カネ、金がすべて」の価値観の国です。日本人はその感覚に慣れていません。「金のためだけに生きている訳ではない」という気持ちがすぐに出てきてしまいます。私も以前はそうでした(いや、今も)。では、人は最低限の暮らしさえ保証されれば、お金のことは一切考えずに働いたり、生活できるのでしょうか。そうではありません。「お金のために働く訳ではない」というプライドと、「少しでもお金を得て豊かになりたい」という欲は、本来全く矛盾しないのですが、日本人はその折り合いをつけるのが下手な国民かもしれません。私はシンガポールに来てその感覚を身につけることができました。
シンガポールでは子供のころからお金の価値観を教育されているせいか、日常的にお金の話題がでてきます。例えば新しくコンドミニアムに入居した人が、隣人から「この家はいくらで買ったのか?」とあいさつ代わりに聞かれる。あるいはタクシーの運転手から儲かった自慢話を聞かされる、といったことも日常茶飯事です。日本人にとっては下品な話ですが、彼らは何とも思いません。またシンガポール人はお金に細かいと思いますが、決してケチという訳でもありません。日本人とは少し違う感覚です。
お金を召使いと考えれば、話題として特に忌み嫌う必要はないでしょう。若い頃からお金に関する勉強を重ねていれば、そこから目を背けることより真正面から考えた方が良いことは間違いありません。たかがお金のために人生を棒に振ることは愚かですし、ストレスをためたり、友人を失うようなこともばかげていると考えるようになります。しかし実際、人生の多くの不幸は、お金=悪い主人から生まれてしまうものです。
太古の昔から、人はいかに食料を確保し、生きながらえていくかということを毎日のように考えて来ました。文明が発達してお金が流通し、欲しいものと交換できるようになると、今度はそのお金をいかに確保するかということが、生きるために必要な知恵になりました。生まれてからノーストレスで死ぬまで平穏に暮らすということは、人類の歴史上ほぼ実現できていない環境でしょうから、「なぜ自分には安心できるお金がないのか」と私たちが嘆くのはナンセンスです。日本人はもっとふてぶてしくお金のことを考え、かといってお金に心や人生をとらわれることなしに生きていく術を身に着けるべきかもしれません。