おはようございます。
中村天風著、叡智のひびき(講談社)より。

~油断をするといつしか「誓」の言葉を空文にして活きて居る事があるから十分気をつけねばならない~

せっかく毎日「甦(よみがえ)りの誦句(2011.8.18のブログに書いてます)」や「誓い」の言葉を心をこめて唱誦(しょうしょう)して、今日一日の人生を、できるだけ尊く、清く、活きぬこうと心がけていたのに、ひょいと気づいてみると、いつしか消極的な感情のとりこになり、あるいは怒り、悲しみ、怖れ、憎み、悩んでいる。
これはよく経験されることです。
そしてこれは、「油断」ということが、その主な原因なのです。

精神の積極化ということが、完全に徹底的に成就するまでは、ちょっとでも精神態度の把持(はじ)に「油断」という心的状態が生ずると、たちまち消極的な感情で占められてしまうことになります。
このように心が「油断」という状態になる第一の過程は、その場合の意識が明瞭を欠いているからです。
心の明瞭度がピンボケになっていると、その虚につけ入って消極念が実在意識領に侵入するのです。

だから、誓いの言葉どおりの人生に活きるには、もっともっと精神使用の原則を尊重して、観念集中を現実にすることに努力しなければいけません。
せんじつめれば、実践躬行(きゅうこう、自ら行うこと)ひたすらに倦(う)むなかれです。
実践躬行に努めさえすれば、それが必ずや第二の天性になるというように習性化するに決まっているからです。
第二の天性というようになれば、どんな場合でも「誓い」を裏切るような気持ちには断然なりません。