おはようございます。
天風さんに戻って、叡智のひびき(講談社)より。

~本心良心は徹頭徹尾(どこまでも)絶対である~

人間の理性と、感情には、まことに複雑で微妙なものがあります。
そして、これらによって哲学ができ、科学が進み、いっさいの宗教も、芸術も、文学も、思想も生じています。
いえ、さらに言えば、生活の一挙手一投足のすべてが、みなこれで作られているのです。

ここで、現在の自己の持つ理性や感情が、決して明日も同一のものではないという重大な事実を想ってみましょう。
すると、理性や感情のみに依存して活きることは、当を得たものでないと気付くでしょう。

理性や感情は、身に付けた教養や、経験から、培われた理智を根源としています。
そして、理智は、恒に間断(かんだん)なく発育している、相対的なものです。
このように多分に変移性をもつものに人生生活を依存すると、しばしばつまずきや、あやまちが生ずるのは必然です。

そうではなく。
常に人生生活のいっさいは、すべからく本心良心の指示するところにしたがいましょう。
本心良心は、宇宙創造の根本主体に直通する霊性心意の中に現存するものであり、変移性が毫末(ごうまつ、ほんの少し)もありません。
すなわち、完全無欠で絶対的なものです。

ですから、本心良心なるものは、あえて学ばず究めずとても、真理を透感(とうかん)する自然作用があり、また経験や教養に関係することなく、事物事象に対して、その正当を直感する力があるのです。

要するに、この世界の中に、普通の人の企及(ききゅう、追いつくこと)し能(あた)わぬ尊い創意や、また考量しえぬ価値ある創見の生まれ出ずるも、けだし(まさしく)、理念や情念を超越した霊性意識より発祥せるインスピレーション(霊感)を発現する優れた人が、多くの人の中に稀ではあるが存在するからです。
誇るに似たりといえども、わが天風哲学もまたしかり。

いかにすれば、随処随処、自己の思うがままに、霊性意識を発現し、理性や感情を超越したインスピレーション本位の、霊智的生物としての本領を発揮した真の活きがいのある人間になれるか。
これは人生の先決(まず解決すべきこと)問題です。
(過去、ご紹介してきた幾多の天風の教えを実践して)人生至上の至妙境に、終始安住する叡智大定(えいちだいじょう、ゆるぎなく安定した悟り)の絶対的生活に到達して、人類の幸福の先達者(せんだつしゃ)たらんことを目指しましょう。