おはようございます。
毎日曇り、雨が続くと青空が見たくなりますね。森 信三、修身教授録(到知出版社)より、~17~

「葉隠」には、「武士道とは死ぬことと見付けたり」とあります。
すなわち武士道の極意は、常に死の覚悟をしていることが第一だと言うのです。

本を読む場合、分からぬところはそれにこだわらずに読んでいくことです。
そうしてところどころピカリピカリと光るところに出合ったら、何か印を付けておくもよいでしょう。
そして一回読み終えたら、少なくとも二、三か月は放っておいて、また読んでみるのです。
そうして前に印を付けたところ以外にもまた、光るところを見つけたら、また新たに印を付けていく。
そうして前に感じたことと、後に感じたことを比べてみるのは面白いものです。

書物というものは、一頁読めばもうその本の香りは分かるものです。

書物というものは、義務意識で読んだんでは駄目です。
義務意識や、見せびらかし根性で読みますと、その本の三分の一はおろか、五分の一の味も分からないでしまいます。

真の修養とは、人間的威力を鍛錬することです。
つまり真の内面的な自己を築くことです。
その人の前では、おのずから襟を正さずにはいられないような人間になることです。

人間も自己を築くには、道具やこつが必要です。
この場合道具とは読書であり、こつとは実行をいうのです。
この二つの呼吸がぴったり合うところに、真の人間はでき上がるのです。

読書の順序は、まず第一には、当代における第一流の人の本を読むこと、その次は古典です。
当代の一人者級の人の世界を知らないで、古典を読むということは、私は考え物だと思います。

常に書物を読んで、(卒業後)独力で自分の道を開いていけるような人間にならねばなりません。

誠実と言っても、真の内面的充実がなくては駄目です。
人間も単に生まれつきの「人のよさ」というだけでは足りないのです。
うっかりすると、その人の無力さを示すだけです。
ですから、内面的な弾力のある人格を築かねばなりません。
それには何と言ってもまず読書です。
そして次には実践です。

人生は二度とないですからね。
人生は、ただ一回のマラソン競争みたいなものです。
勝敗の決は一生にただ一回人生の終わりにあるだけです。
しかしマラソン競争と考えている間は、まだ心にゆるみが出ます。
人生が、五十メートルの短距離競走だと分かってくると、人間も凄味が加わってくるんですがー。

人間というものは、自分のかつての日の同級生なんかが、どんな立派な地位につこうが少しもあわてず、悠々として、六十以後になってから、後悔しないような道を歩む心構えが大切です。

人間もほんとうに花の開き出すのは、まず四十くらいからです。
そしてそれが実を結ぶのは、どうしても六十辺でしょう。
ところが偉人になると、実の結ぶのは、その人の肉体が消え失せた後ですから、大したものですね。

真に書物を読むことを知らない人には、真の力は出ないものです。