おはようございます。
森 信三、修身教授録(到知出版社)より、~13~

人間、将来のことばかり考えて、そのために現在の事をおろそかにするのはよくないですが、同時に、常に前途に対して、思いを巡らしているようでなければいけないでしょう。
それは鉄砲が、引金を引かなければ弾丸は出ないが、しかし照準を定めておかねば、いかに引金を引いても何の役にも立たないようなものです。

人間は、年と共にしだいに忙しくなります。
責任のある忙しさが加わってきます。
内容的な忙しさが加わると共に、学問知識は、いよいよ広く深くなることが要求せられてきます。
壮年期では、必要な知識を仕入れる暇がない、ともなります。

「盗人を見て縄をなう」という諺にもあるように、すべて読書研究というものは、必要が起こってから始めたのでは、すでに手遅れです。
必要が起こってから始めた読書では、決して真の力は得られません。
真の読書とは、自己の内心の已むにやまれぬ要求から、ちょうど飢えたものが食を求め、渇した者が水を求めるようであってこそ、初めてその書物の価値を十分に吸収することができるものです。

一人の人間の持つ世界の広さ深さは、要するにその人の読書の広さと深さに、比例すると言えます。
将来何らかの事に当たって、必要の生じた場合、少なくともそれを処理する立場は、自分がかつて読んだ書物の中に、その示唆の求められる場合が少なくないでしょう。
つまりかつての日、内心の要求に駆られて読んだ書物の中から、現在の自分の必要に対して、解決へのヒントが浮かび上がってくるわけです。
事の決まったその場で、大体の見当がつくくらいでなくては、だめだと思います。