私がクラシック音楽を好きになった頃には、小澤さんはもうスーパースターだった。1973年には38歳でボストン交響楽団の音楽監督になっており、メジャーリーグで言えばエースで4番、それこそ今の大谷選手のような存在で、ともかくめちゃくちゃスタイリッシュでカッコよかった。

 

私が小澤さんの演奏を熱心に聴いたのは社会人になった1980年代後半からの20年間で、全部で22回。特に印象に残っているのは新日本フィルとやったヘネシー・オペラ・シリーズです。

 

新国立劇場がオープン(97)するまではオペラを聴く機会が少なくて、マノン・レスコー(91)、さまよえるオランダ人(92)、ファルスタッフ(93)、トスカ(94)、セヴィリャの理髪師(95)、蝶々夫人(96)はどれも本当に面白く貴重な機会だった。特にオランダ人は演出が蜷川幸雄で、この組み合わせでもっとやってほしかったが、これ1回だけだったのが残念極まりない。その頃は新日本フィルの定期会員にもなっていて、小澤さんが年2回は登場していたので東京文化会館へとよく通った。

 

私が40歳を過ぎてからは、関心がワーグナーやブルックナーに著しくシフトしていき、それらは小澤さんの主たるレパートリーではなかったので、聴く機会が減ってしまっていた。また、小澤さんが病気治療に専念し始めた2010年からはコンサートの数が激減してしまい、指揮者として最も充実した時期を迎える70代後半からほとんど活動できなくなってしまったのは、実にもったいないことだった。

 

今、ボストン交響楽団を指揮した2回目のマーラー「巨人」のCD(第3楽章)を聴きながらこれを書いています。心よりご冥福をお祈りします。