後編★戦争とは何か?【日本が平和だった理由・憲法9条を守る意味】北朝鮮はなぜミサイルを打つの? | 和み雪 降る夜 

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後編/日本が平和だった理由

続・戦争をなくすために!

憲法9条(平和憲法)の価値!

日米関係アメリカとの距離!

北朝鮮はなぜミサイルを打つのか?

 

こちらの記事は、前回の記事の続きである。

前回の記事クリック!前編★戦争とは何か?【戦争をなくすにはどうしたら良いのか?】

 

 後編は、戦争をなくす方法に引き続き、日本(憲法問題)、北朝鮮問題(ミサイル)、アメリカ属国(軍事産業主義と日米同盟)などのテーマを用いて、「平和を守るためにできること」を分析したい。「日本が平和だったのは米国のおかげなのか?」「平和を維持したい」「戦争したくない!」「戦争は絶対に反対!」「日本は戦争になるの?不安」「憲法改正の本当の目的は何なの?」と疑問を持つ方々や、自衛官のご家族の方にも「前編」合わせて、幅広い方に読んでほしい。

 

戦争を防ぐ方法⑤歴史を知る

 

 やたら昔の日本(大日本帝国)に戦争の悪い印象を植え付けて、昔の日本が悪い国だという印象で、日本を叩きたがる勢力がある。こういった人達には、決まって「愛国心」がない。「愛国心」が無い人は、「愛国心」を気持ち悪いものだと思っている。おそらく戦争において「愛国心」が悪用されて、「愛国心があれば命を捨てろ」という武士の思想が、戦訓として使われたため、「愛国心」を怖いものだと勘違いしている日本人が多いのだろう。しかしそれは違う。「愛国心」が悪いのではなく、「愛国心があれば命を捨てろ」という思想を、万人に押し付けたことが間違っていただけなのだ。悪いのは「命を捨てろ」の部分であり、「愛国心」ではない。本物の「愛国心」とは、祖国を愛おしく思う心であり、「命を捨てること」ではない!(「命を懸けて戦うこと」と、「命を捨てて戦うこと」は、全く別の意味である。)偽物に騙されてはならない。本物はむしろ、「愛国心」は戦争の「ブレーキ」となる。

 

 本物の「愛国心」を手に入れれば、他国も同じように尊重することができるからだ。祖国を愛おしく思う心を「愛国心」と呼ぶならば、祖国が人間性の維持にとって大切なものであり、歴史や文化の蓄積がそれを形どり、人間性や国家が「唯一無二」なものだと理解する事だと分かるだろう。これは平和にとって重要である。国とは「ただ生活できて、ご飯が食べれればよい」というものではない。それではまるで家畜だ。人間は家畜ではないのだから、祖国へ愛を持たねば人間性は保てない。もし日本がアメリカの植民地(属国)にされて、例えば「アメリカ国ジャパン州」となったら、それはもう違う国であり「大切な祖国」ではない。その重み「愛国心」を大切に守ることは、自分の国と同じように、相手の国もまた唯一無二な「大切な祖国」であり、その人たちにとっても「愛国心」があるのだと気が付く。それは間違いなく「平和のためのブレーキ」となる。

 

 もし、祖国を愛おしく思う心「愛国心」という概念が消滅すれば、国は「ただ生活できて、ご飯が食べれればよい」とく、ただの土地・場所となって、人間はそこで生かされる家畜となる。祖国が消滅しても、適当に生活できれば「別にいいじゃん」、という思想は家畜の思想だ。そして実はこれは、「移民の思想」だったりもする。移民というイメージは遊牧民が分かりやすい。歴史も文化も無いのだから、土地にも依存しないし、祖国を愛おしく思う心「愛国心」もない。戦争国家アメリカが、ユダヤ移民に支配された国なのは、多くの人がご存じだろう。移民には「自分たちは強いんだ!」という威勢はあっても、「愛国心」が理解できないから、歴史や文化を失う恐れもなく、利益を最優先して戦争を起こせる。こういう移民の発想では、戦争はなくならない。

 

下の地図を見てほしい。

 

(赤は白人支配)

 

 赤く塗られたところ国は、当時の列強国(白人)の支配下である。どこもかしこも真っ赤っかである。黒船に乗ったペリーが日本に鎖国を迫ったのは、もちろん日本と仲良く貿易しようなどという生易しい目的ではない。あわよくば日本を植民地支配して自国の勢力圏に収めようという野望を持って、海を越えてやってきたのである。そのときの日本の恐怖は、現代人の感覚では推し量れない。そういう中で、日本は富国強兵として立ち上がったのだ。富国強兵が悪だと言っている人は、思考がおかしい。日本が白人支配されないための政策の、どこがおかしいのだろうか?決して白人に屈したわけではないし、主権が奪われる恐怖、主権を守るために奮起した誇り高さは、現代日本人には想像できない背景がある。日本が主権国家として生き残るための手段として朝鮮半島を足掛かりにしたのは、地政学的に簡単に理解できる。良いか悪いかは別として、それしか手段が無かったことは事実であった。少なくとも白人が行っていたような植民地支配の思想とは、根源が全く違うのである。歴史を紐解けば、それが分かるだろう。当時の世界は白人支配で、有色人種の中で、日本だけが唯一、白人国(ロシア)に奇跡的に勝利した。地図で見て分かる通り、世界の中の有色人種としての当時の日本の存在感は凄かったのだろう。こうした時代背景を考えないで、現代人の感覚で昔の日本人を叩くのは、現代人が昔にタイムスリップするくらい、おかしい。それは歴史分析家として間違った姿勢である。

 

ついでに勢力図も添付しておくので、参考にしたい。

 

(どの国も白人なのがわかる)

 

 どれも当時の列強国ばかりで、このような白人武力の下で脅されたら、小さな国家は抵抗できずに逆らえなかっただろう背景が読み取れる。当時の白人は、他国を征服し支配権を拡張することは正義であると認識していたし、当時は世界通念上、それが認められていた時代だった。現代でこそ、「どの国とも仲良く」なんて言っているが、この勢力図を見ればわかるように、世界は、絶対的な白人支配だったのだ。今でこそ、他国の征服は「侵略」と呼ばれているが、これが「国家悪」と考えられるようになったのは、第二次世界大戦から世界が得た思考の進歩であり、多大の犠牲を払ったあげくに成し得た理念だということを忘れてはならない。こうしたこの歴史背景を知らない者たちが、GHQの洗脳にのっかって、日本人自らの手で、日本を自虐へと追い込んでいる。この勢力に騙された日本人が、次々に「愛国心」を手放していった。日本をろくでもない国だと誤解して、愚かにも「愛国心」を手放していったのである。

 

 世界中が絶対的な白人支配下に落ちていく中、世界で初めて昔の日本(大日本帝国)が「人種差別の撤廃」を主張して、最後まで粘り強く「人種差別の撤廃」を訴え続けた。昔の日本は、誇り高く立派な国だったのだ。

 

 1919年(大正8年)に開かれたパリ講和会議と並行して、世界平和のための「国際連盟」の設立が大きな議題となったとき、国際連盟の規約に「人種差別の撤廃」を条項として入れることを強く主張したのである。この頃からアメリカでは日系移民が差別されていたし、世界では有色人種(黄色人種、黒人)が白人の奴隷として扱われていた。昔の日本(江戸時代)は鎖国していたとはいえ、オランダとは交易があったのだ。そのためオランダで黒人が奴隷として売買されていることを日本は知っていたのである。

 

 「人種差別の撤廃」の主張の中心は大隈重信であり、猛烈な運動を展開したと言われている。全米1200万人の黒人が大きくこの活動に期待して、日本の全権使節団がパリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄った折に、「ボストン・ガーディアン」紙の編集長(モンロー・トロッター)など黒人指導者4人が、「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに尽力してほしい、と嘆願書を出したほどの期待の大きさだった。自分の国のウィルソン大統領が講和会議の議長役をするというのに、それをさしおいて、わざわざ日本の使節団に嘆願するというのは、異例であった。

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 全米黒人新聞協会が発表したコメント
「われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で「人種問題」について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである」

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 日本の「人種差別の撤退」の主張は否決されたが、それでもめげなかった日本は、今度は「諸国民平等の原則」という言葉を、規約本文ではなく前文に挿入するという提案を行う。この提案は国際連盟委員会17票中11票の賛成を得たのだが、委員長のウィルソン(アメリカ)は全会一致を主張し、この妥協案ですら不採択とした。要するに、アメリカ人は、有色人種の差別を止める気が無かったのである。この結論に、アメリカの黒人は数万の負傷者を出すほどの暴動を起こした。

 

 こうした人種差別や奴隷を嫌う日本人の気質のエピソードは様々あり、黒人の奴隷買収するオランダ人を心の底で軽蔑していて、18世紀にスウェーデンの植物学者ツンベリーが来日し、「さざんか」をヨーロッパに紹介した際に、彼がオランダ人の格好をしていたため、日本人から受ける視線が冷たいのに気付き困惑したという話や、幕末の頃にも「奴隷制度を廃止しない連中は犬畜生」という言葉が書があったり、明治5年にペルー船籍の奴隷船マリア・ルス号が日本に寄港したとき、支那人奴隷が脱走して助けを求めてきたため、日本政府はこれを保護し、支那人らを救助し、国際仲裁裁判で争い勝訴したという話もある。そこから感じられるのは人種差別による奴隷買収に対して激しく憎悪していたという「人間性」と「道徳の高さ」のである。

 

 下記は当時の日本の新聞である。何をしても白人は正しくて、何をしても有色人種は奴隷扱いを受ける、そういう世界において、「正しいものは正しい!」と言えた日本は世界中の有色人種たちの頼もしい勇者として映ったであろう。結果は惨敗であっても、誇り高い姿は、愛国心溢れる日本国民の一人一人の胸に響いたのではないだろうか?昔の日本(大日本帝国)は本当に立派だったのである。敗戦後、国際連合は人種差別撤廃が認められたのは、この姿勢は、日本の主張が正しかったことを証明している。これは間違いなく日本の誇りある歴史なのである。

 

 

 戦争において「石油の一滴は、血の一滴」と言われるほど貴重で、戦争の勝敗には大きく影響する。当時の日本の石油の輸入依存度は92%で、しかも81%が米国からの輸入であった中、1939年からアメリカによる嫌がらせの数々が始まり、その中で決定的なことは、「石油禁輸」(1941年 昭和16 年8月)だろう。これは、日本の息の根をとめるものであり、実質的なアメリカからの宣戦布告であった。真珠湾攻撃(1941年12月)よりも、日本の講和条件を拒絶する「ハルノート(11月27日)よりも、「石油禁輸」はずっと前のことであり、9月6日の御前会議で対米戦略が練られたこと自体は、日本人が生き延びる手段として当然だったのだ。つまり日本が戦争をしたがっていたのはGHQのねつ造の歴史だった。(日本人とは、なんて悲しいのだろう。)

 

 敗戦後の日本の歴史教育は、GHQの手によって、日本に不利な形で教え込まされてきた。それは現在の文部科学省にも続いているから、「日本が戦争を始めた」「日本は侵略戦争だった」と怒鳴り散らすような人が今もいる。だが、冷静に当時の状況を紐解いてほしい。食料を耕作するにも(今でこそ棚田は良いなんて言われるいが)、日本は山また山の起伏の激しい立地は耕作には適さなかった。耕作ができない土地に人は暮らすことができない。おまけに日本は資源が全く取れない。平地があり資源のとれるアジア諸国を植民地にしたり、アジアに移住してインフラ開発することは、日本国民が生き延びる上で必須な生命線だった。もはやアジア諸国を開発なければ、日本人の多くが飢え死にするような真っ暗な時代だったのだ。その時代背景を抜きに考えたら、正しい歴史分析なんて絶対に出来ない。現代人が過去にタイムスリップするような分析方法は、とても愚かだ。先代の日本人が飢え死にすればよかったのか、白人の植民地になっていればよかった、とでも言うのか。

 

 現代の日本は「主権」が当たり前だから、「主権」のありがたみなんてわからないのだろう。しかし当時の世界が白人支配下される勢力図において、「国家の主権」を主張することは、どれだけ死に物狂いの努力が必要だったことか。明治維新後の日本の壮絶な努力を考えてみれば、主権を守ることが最重要課題であったことは簡単に推察できる。それを忘れてはならない。日本人ならば。

 

 最後に、アジア周辺国の支配地図を見てほしい。

 

(白人支配だらけ)

 アジア諸国は、白人には勝てなかったのだ。日本だけが頑張っていた。黒船が来た時の恐ろしさ、石油を絶たれた時の恐ろしさ、その中で「国家の主権」を守ろうとする死に物狂いの努力は、ふやけた現代人の感覚では理解できないのだろう。ふやけた現代の感覚のまま、歴史にタイムスリップするような愚かな分析方法はダメなのだ。正しい歴史を知れば、沸々と日本人の心の中に、祖国を愛する心「愛国心」が芽生えるものである。歴史に蓋をしてはならない。日本はアメリカのような移民の国ではないのだから、もっと昔の日本を愛してあげてほしいのだ!祖国を愛おしく思う心は、他国を尊重する心につながり、それが必ず平和につながる。

 

日本が平和だった理由とは?

 

 外務省には昔から「武力カード」を欲する動きがあったと聞くが、日本が武力外交を主体にする国家をチラつかせるなら、いったいどうやって、国防リスクを軽減するのか謎だ。日本の国土状況のリスクは、昔から何も変わっていない。国土は狭いし朝鮮半島は目と鼻の先、食料も足りないし資源も出ない。そのような中、軍隊だけ強くして、兵器を色々保有したって、外国移民だらけで情報ダダ漏れ、資源もない食料もない、石油や食料などが確保できなければ、補給を攻撃されてまた同じ失敗を繰り返す。まして狭い国土のあちこちが原発だらけという条件を抱えていては防御が弱すぎて、戦争に勝てるはずもない。「日本も核兵器を持とう!」とか言っている人がいるが「打てない核に意味は無い」。仮想敵国を中国にしたら、中国国土は広くて大きなダメージを与えられないから、すぐに核は打たれ返されるし、北朝鮮に打てば、日本は近すぎて被爆被害を受ける。しかも開発やら実験やらの計画はどうするのか?自衛のための武力は当然強化すべきである。だが、軍事的にどうにもならない弱点を抱えながら、ことさら武力を誇示することは、日本にとって支離滅裂な方針である。さっぱりわからない。脆弱なリスクが高くなるだけである。

 

 要するに、自民党草案の憲法9条の改正の目的は、武力を誇示して軍事産業アピールしたいとか、アメリカ要請に応えるためとしか思えないのである。あまつさえ、公的年金の積立金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が、人道的見地から国際条約や法律で禁止されているクラスター(集束)弾を製造する米国企業「テキストロン社」の株式を保有していることが判明している。クラスター弾はしばしば映画などでも出てくるため、知ってい人も多いだろうが、空中で多数の子爆弾をばらまき、殺傷力が高く民間人の被害も絶えない。日本でも製造や所持は法律で禁止されているが、政府は「製造する企業の株式を保有することは禁止されていない」との見解を閣議決定した。民進党の長妻昭衆院議員の質問主意書に答えた。GPIFが投資しているのは2015度末の時点で約192万株を保有していた。株式投資の本質は卑しい金儲けの道具ではなく、その会社に投資することを意味している。非人道的な殺人兵器の企業に、私たちの年金を投資して増やすというのか?それはあまりに卑し過ぎる。恥ずかし過ぎる。日本が憲法改正したがる「卑しき背景」の片鱗が、薄っすらと浮かんでくる。

 

 これからの日本は、アメリカなど外国の一部になり下がるようなことが無きよう、必死に努力することだけが、散っていった軍人たちの誇りを継承する事であり、処刑された愛国者たち、空襲や原爆で死んだ被害者に報いることに繋がる。敗戦から新たにスタートした日本は、その必然性に早くも気がついて、武力の行使を使わずに成功させるために、日ごろから様々な国と仲良くしておくという、基本的な親和外交に切り替えた。敗戦から掴んだこの「日本が出した答え・やり方」は、転んでも立ち上がる不屈の精神から生まれた到達点であり、近代国家のあり方として正しく、かつ先駆け的な新しい外交手法として、日本が生き延びる「手段」を手に入れた瞬間となった。ペコペコ外交の裏には、武力を手放した必死な思いや、日本の誇りが詰まっている。日本は戦争に負けたけれど、日本という国家は完全に敗北したわけじゃない!という希望さえ感じる。

 

 敗戦後70年の日本が平和だったのは、アメリカのおかげではない。最も大きな理由を占めるのは、日本国自身による努力のおかげである。敗戦後に武力を放棄した日本は、軍事に金を使う代わりに貿易に金を投じてきた。そうやって貿易で儲かった金を諸外国に恵むことで、どの国とも仲良くしてきた背景が大きい。これが事実であり、これは恥ではない。

 

 ODA(政府開発援助)と称して、開発途上地域の開発を「目的」としたことに公的資金を使うことで、基本的人権を推進させたり、人道支援やインフラ協力をしたり、飢えや貧困に苦しみ、十分な食料や飲み水が得られなかったり、教育や医療を満足に受けられなかったりする人々を抱える国・地域に対して、情報や金を恵んだり貸したりして、国際社会における日本の信頼を培ってきたのである。こうした努力が外国との貿易パイプを作り、資源のない日本国民の生活を守り、相互繁栄を実現することにもつながり、武力に代わる新しい平和国家として役割と手法を編み出した。諸外国に恩を売る「全方位外交」をすることで新たな貿易を生み出そうとしたのは、金で買収するだけでない、信頼関係も同時に築こうとした。無論、日本にとって有利になるように取り図ることは、あって当然の貿易の基本だ。しかし、アメリカやロシアのように、人を殺して相手の国を脅迫して金を得るような卑しい方針ではない。だから日本人は、もっと自分の国に自信を持てほしいのだ。

 

 この外交の成功を疎んじる勢力なのか、「戦争に代る経済植民地支配だ!」「金をばらまくのはけしからん!」などと自虐で歪んだ日本人が出てきた。しかし、それはおかしい。どのみち日本は資源が無いのだから、他国の資源を頼るしか生き延びられない。再び戦争をしないと反省すればこそ、人一倍の必死な努力が日本には必要だ。その事情は、戦前と何も変わっていないのだ。この努力は生きるための生命線なのが現実なのだ。もし戦争だけでなく、親和外交(経済外交)までも否定するなら、日本人は餓死するしかない。あるいは主権国家を放棄して、アメリカ属国として生きろとでも言うのか?それは事実上での祖国はなくなることを意味する。そんなことを望むような人は、国籍が日本人であっても、その心は日本人ではない。

 

 諸外国に恵んでやる金が枯渇したのなら、議員の給料を半分に減らし国民への奉仕の精神という原点に戻ること、日本の自給率を高めることに努め、アベノミクスみたいな見せかけの経済で騙すのではなく、株価の数字ばかりを追うのではなく、企業リアルを根本から強化し見直すこと、年金は見直しあるいは停止し働ける老人は働かせる、国防リスクや生活の安全のためにも原発の危険性を減らす研究を国策で取り組み、世界の被爆国として誰もがやっていない未知の領域に大胆な踏み込むこと、など。緊急時にあらゆる選択肢を日本の手元に有利な形で残すためにも、どの国にも恨まれず、どの国とも仲良くすること「全方位外交」が肝要である。日本地図を見ていると、日本は地政学的にアジアともっと親しくした方がいいのが分かる。このまま「大胆に改新」が実現しなければ、日本という歴史ある国家は終わってしまうだろう。間違いなく、他の卑しい移民国家と同列以下まで落ちる。

 

日本とアメリカは真逆の性質

 

 日本と違い、移民国アメリカ(ユダヤ国家)は、武力という暴力を使って平和を保ってきた国である。武力という強迫をベースにした平和は、「一時的な持続力」でしかないことに、アメリカはいまだに気が付けない。武力をチラつかせる外交が下品だということにも気が付かない。アメリカ(ユダヤ人)は移民だから、自分の国の歴史を愛する心が無い、金に卑しくて、道徳心の高さも全く違う。それは民族国家(民族愛がある)と移民国家(民族愛が無い)の差でもある。恐怖で相手の国を脅すような暴力団国家は本質的には誰からも好かれない。暴力で抑え込んで勝った気になって得意げになっている。その正体はバレバレで、周りは仕方がなくチヤホヤ扱っているにすぎない。一時的に相手国に言うことを聞かせても、本当の信頼など構築できないから、背後に多大な怨念が渦巻いているのも気が付いていない。平和を維持するコストパフォーマンスが猛烈に悪いから、どんどん貧乏になっている。本当に武力を行使してしまうような愚かな国は、どうせ金の匂いで近づく人しか周りにいない。国力が衰退していくのは当たり前だ

 

 敗戦後の日本とアメリカの平和維持の方法は、全く逆の性質であり極めて対照的だ。真逆であるから、あいまみえない。歴史的に分析しても、正義のありかたの精神が異なる。もちろん国土の広さも地政学も違う。意図的な戦争を起こしているアメリカの復讐の連鎖の惨たらしさは、見ていればよくわかる。もしアメリカのこれに巻き込まれれば、日本が築いてきた「道徳高きイメージ、優しくて温かいイメージ」が一気に台無しになってしまうからだ。アメリカに引きずられることなく、もう少し距離を置いた付き合いとし、どの国とも調和して、アメリカ勢力圏外の選択肢も増やせるようになれた方が良い。これが、未来へ向けた新しい国防の展望だろう。アメリカと同じ視点で考えるのは、いくら何でも無理がある。安倍政権を見ていると、アメリカ属国の加速化により、余計ぺこぺこした平身低頭なみっともない外交になってしまった。アメリカ従属は限界なのだ。

 

 憲法9条(平和憲法)の効力は、この愚かなアメリカのくだらない戦争に巻き込まれずに済んだことが大きい。アメリカは自作自演ですぐに戦争をやらかす。出兵要求を拒む言い訳として、憲法9条(平和憲法)は多大なる役割を果たしてくれた。良いカードをくれたものである。いや、勘違いしてはならない。これは大東亜戦争で果敢に戦ってくれた大日本帝国からの、時代を超えた戦利品の一つなのだから、日本人は鼻高く誇れば良い!

 

 日本国憲法は、ほとんどワイマール憲法だという指摘がささやかれているが、憲法9条(平和憲法)の平和条文だけが、ワイマール憲法ではない。多くの日本人が知りつつある歴史である。【トルーマンの3S政策【獣化計画・悲しき日本人の真実】ヒトラーとワイマール憲法】についてはコチラをクリック!!

 

 当然にして、憲法9条(平和憲法)のこの素晴らしい平和希求は、GHQ案ではない。日本の主権を制圧されている中において、日本の政治家による最後の抵抗だった。大日本帝国として強く突き進んできた日本にとって、武力を放棄せよというのはあまりに惨めな印象を日本国民に与えかねない。それよりも、自らが積極的に平和を希求する姿勢を示すことで、日本国民のプライドを必守しようとしたのである。

日本の政治家による知恵であり、偉大なるアイディアだった。「日本が不必要な戦争に巻き込まれないように」というせめてもの愛の形だと、どうか日本人に気が付いてほしい。想像してみてほしい。日本の政治家たちによって、この平和憲法が提案されていなかったら、アメリカのくだらない戦争に巻き込まれていた。アメリカの魔の手から日本が守られてきたのは、日本の努力とプライドのおかげだと、日本に感謝するものである。

 

 この必死な思いを、「平和ボケ」などとあざ笑っている日本人は不遜すぎて恥ずかしくないのだろうか?思わず笑ってしまうのだが、もし日本人が「平和ボケ」しているのなら、その人が、ただ単に、歴史と政治を学ぶ努力を怠けた結果だろう。多くの日本人が怠けてきたことを、平和憲法のせいにするなんて、そんな思考は愚かだ。苦痛や憎悪全てを大日本帝国という悪者役に押しつけて「自分たちは悪くないのだ」と正義感ぶって、何も努力せず、甘えて歴史に蓋をしてきた者たちこそ「平和ボケ」だ。こういう不遜な発言をする者は、同じように「日本が平和だったのはアメリカの核の傘のおかげ」「日本が平和だったのは在日米軍のおかげ」とか言っている。要するに、いわゆる「そういう勢力」なのだろう。日本が平和だったのは、間違いなく親和外交(貿易努力)によるものなのだ。もし「アメリカの核の傘・在日米軍基地」と「平和憲法」の効力を二者択一で選ばせたいのなら、間違いなく、憲法9条(平和憲法)の方が日本の平和に役に立った比重が高い。「アメリカのおかげが大半だ」と見せかける演出に騙されてはならない。

 

 それなのに、なぜ、日本人は自分の国に自信が無いのだろうか?そうなのだ、日本人はずっと長い間、間違ったことを教わってきたために、現代日本人は日本の真実を知って、自分の国に自信を持つことが怖いのだ。真実を語ることも、知ることも、認めることも怖いのだ。今の日本人は臆病者だから。

 

北朝鮮は何を考えているのか?

 

 一部の日本人は、北朝鮮の軍事パレードをみて、「あれは偽物だ!画像加工だ!」とバカにする。あるいは、近年急ピッチで構築された北朝鮮の高層ビルが「ハリボテだ!」とか、「エレベーターが無い」とか言って笑っている人達もいる。だが冷静に考えてみてほしい。これらは外国向けの宣伝である趣旨と同時に、自国民を団結させるためのアピールが「目的」となっている。国体維持の「手段」なので、ハリボテを使うのは理にかなっている。本物の武器を全て諸外国に見せるわけがない。本物は戦闘行為で使えば良いのであって、外国や国民に見せる画像など、加工で十分だと考える。石油は温存し、いざとなった緊急状況で、しっかり使えるように管理しておくのが国防の基本だ。北朝鮮は休戦中なので、日本とは状況が違う。北朝鮮の軍事パレードや高層ビルについて本当に分析したいのなら、日本の事情で考えるのではなく、北朝鮮の事情を前提とした本質(「目的」と「手段」)で考えなければダメだ。

 

 例えば、億万長者は、何千万も何億もする宝石を購入するとき、必ず同じイミテーションを作る。本物を身に着けて外に出れば、海外では指ごと持っていかれたり殺されたりする。高価な宝石を所有しているというステイタスさえ周りに見せられれば良いため、パーティー等ではイミテーションを身につけて周りを騙して、大切な本物は金庫に保管する。これが本当の億万長者の行動であり、北朝鮮のハリボテは同じ理論だ。

 

 「北朝鮮が何でミサイルを打つのか?」


 その答えも「目的」と「手段」で考えてればよくわかる。武力とは本当に使うわけではなく、チラつかせるだけで十分に脅迫(抑止力)を果たす。その理由は、武力の行使とは「政治的な目的」のための一つの手段に過ぎないのだから、目的を果たすことが本来の目的だからだ。北朝鮮にとっての「目的」は、国家の維持であり、その「目的」は、どの国も持つような純粋かつ正常なものである。当然、他国が圧力を加えるべき問題ではない。アメリカにとって北朝鮮が気に入らないという理由で制圧している、核を持っている国は他にもある。ならば他の国はどうなのか?という疑問が沸いてくる。

 

 「何を考えているかわからない国」、「スパイを送り込めない手堅い国」、「外国に情報を漏らさない国」と思わすことで相手の国からの諜報活動を防御する。これも作戦として正しい。観光ホテルに盗聴器をつける、国籍構わず移民をさせない、国家方針に逆らう反逆者を迷わず処刑する、怪しい外国人は拘束して取り調べをする、これは国防として正しい。完璧なスパイ排除を実施して、相手国への情報を遮断(不確かさを与える)するなど、徹底的な防諜をする。小国ながらも守りの国防に手堅いことは、地政学や周辺国家との兼ね合いと合わせれば、「戦争の抑止力」になっている。

 

 相手国がどう動くのか、相手国がどの程度の破壊で屈服するか、破壊のリスクと、屈服のリスク(戦後の国家状況)をどう天秤にかける作業は武力外交の必須項目で、それらは相手国の考えや、状況次第である。その意味で、戦争の方向性を大きく占めるのは「不確かさ」が四分の三と言われており、それが不明確だと攻撃しにくい。方針も作戦も立てられないからだ。したがって、北朝鮮は「戦争の危険性」を強く認識しているからこそ、相手の国に「不確かさ」を与えて、相手の国に対して武力行使を躊躇させるという方針で国家体制を保持している国なのだ。北朝鮮が与えている謎めいた雰囲気は、「戦争の抑止力」になっていると理解するのが正しい。

 

 国家の主権を守るため国防の強化に努力をする北朝鮮のどこが「危険国家で世界の敵」なのだろうか?北朝鮮(有色人種)の核を捨てさせたければ、まず、アメリカ(白色人種)が核を捨てればいいじゃないか。日本はアメリカの傘の下に入って安寧を維持したいから、アメリカにひたすら同調しているだけだろう。なんて卑しい。だが、北朝鮮の飢餓の問題も、国家体制の問題も、国内で解決する事であって、他国が口出すことではない。なぜそのような理由で、世界中の国が団結して、北朝鮮を叩き潰さなければならないのだろうか?よく冷静に考えてみてほしい。白人国家は正しくて、有色人種は許さない、こんなの間違っている!。昔の日本人が見たら嘆き悲しむはずだ。誰かがアメリカに「あなたの国は間違っている」と教えてやらねばならない。かつて人種差別撤廃を唱えた日本が、有色人種の武装廃絶に加担するなど、日本人として極めて屈辱的なことである。

 

 北朝鮮はかつての大日本帝国を模範としているだけでなく、大日本帝国が負けた理由を、完璧に分析できている。だからアメリカの罠に乗るような間抜けはしない。頭がいいのだ。だから日本を攻撃してくるわけがない。それなのに、ミサイル実験くらいで地下鉄を止めるような鉄道会社も、ハリボテだと笑っている人たちと同じで、物事の本質が分からない者たちだ。本質を知ることは「目的」と「手段」を認識することから始まるのである。

 

(日本が平和だった理由 by 雪華天)

※転載自由。著作権主張。転載元記載要

 

 

参考資料 1

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【太平洋戦争において、日本は原油備蓄をどう持ちこたえたか?】

開戦時点での国内備蓄: 800万キロリットル
開戦前の年間消費量予測: 500万キロリットル(現実には400万キロリットル程度で収まった or それしか使えなかった)
戦争中の全消費量: 1300万キロリットル
戦争中の国内生産量: 150万キロリットル
東南アジアからの輸入総量: 500万キロリットル

東南アジアに展開した軍や企業が現地で直接消費した分は入っていない数字ですが、まあ、こうなります。終戦の年である1945年には輸入が途絶え、燃料備蓄の減少から消費量も極端に減っているので、これらの数字の大半は1942~1944年の3年分だと考えた方が良いかもしれません。「800万(事前備蓄)+150万(国内生産)+500万(輸入)-1300万(消費) = 150万(残り)」ですから、輸入の途絶えた1945年にはまともに活動できるだけの燃料が残っていない現実が判ると思います。

 

そして事前予測通りに年間500万キロリットルのペースで石油を消費すれば、3年もたずに石油供給が破綻したであろうことも判ります。例えば、戦争中ずっと海軍の艦隊の動きが鈍い(戦艦や空母がなかなか出動しない)大きな理由は燃料を節約するためなのですが、そうやって燃料を節約したから、4年近くも戦い続けることができたわけです。また南方からの石油輸入は、現地の生産量にはゆとりがあり、主にタンカーの不足によって日本本土への輸送が滞っています。

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参考資料 2

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【太平洋戦争 対日経封鎖 ウィキペディア】

アメリカによる対日封鎖と経済制裁のあらましを記す。

  • 1937年(昭和12年)10月5日 ルーズベルトによる隔離演説
  • 1939年(昭和14年)7月 日米通商航海条約破棄を通告
  • 1939年(昭和14年)12月 モラル・エンバーゴ(道義的輸出禁止)[として航空機ガソリン製造設備、製造技術の関する権利の輸出を停止するよう通知。
  • 1940年(昭和15年)1月 日米通商航海条約失効
  • 1940年(昭和15年)6月 特殊工作機械等の対日輸出の許可制
  • 1940年(昭和15年)7月 国防強化促進法成立(大統領の輸出品目選定権限)
  • 1940年(昭和15年)7月26日 鉄と日本鉄鋼輸出切削油輸出管理法成立
  • 1940年(昭和15年)8月 石油製品(主にオクタン価87以上の航空用燃料)、航空ガソリン添加用四エチル鉛、鉄・屑鉄の輸出許可制
  • 1940年(昭和15年)同8月 航空機用燃料の西半球以外への全面禁輸
  • 1940年(昭和15年)9月 屑鉄の全面禁輸
  • 1940年(昭和15年)12月 航空機潤滑油製造装置ほか15品目の輸出許可制
  • 1941年(昭和16年)6月 石油の輸出許可制
  • 1941年(昭和16年)7月 日本の在米資産凍結令
  • 1941年(昭和16年)8月 石油の対日全面禁輸

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ちなみ真珠湾攻撃は1941年12月8日である。

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参考資料 3

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【NHKスペシャル憲法70年 ”平和国家”はこうして生まれた 2017年4月30日放送 クリック!】

【NHKスペシャル日本国憲法 70年の潮流 2017年5月6日放送 クリック!】

【NHKスペシャル日本国憲法誕生 全編2007年4月29日放送 クリック!】

 

※動画は当方がUPしたものではないため、削除されている場合は、ご自身でタイトル探してみてください。

 

あとがきメモ 

 この記事はGWを返上して書いたものである。執筆中の10日間は、ほぼ外に出ず室内に缶詰めで誰と会うこともなく、テレビニュースなど外部情報は録画にして後回しとして遮断させた。歴史分析は当時の背景を理解しなければ難しい。それは知識だけでなく、感情も持ち寄る必要がある。その位置に立てなければ正確な歴史分析は絶対にできない。そのためには現代の情報や、現代人の感覚が邪魔であった。「現代」の気配を極限まで消すために、現代を遮断させることは必然だった。朝から晩まで戦争史の勉強漬けをして、そこまでして、ようやく筆が動いたくらいであった。

 そもそも、そこまでストイックにやらなければ、正確な歴史分析ができないという事実が凄まじい。改めて気が付かされたが、ふぬけた現代において、安っぽくてご都合主義的な歴史分析が萬栄するのは仕方がない。楽しくて気持ちがいい方がみんな好きなのだろうから。まして戦争史となれば、無意識に拒絶反応が出る。過去の時代に飛ぶことは怖い。知れば知るほど涙がこぼれる。真っ暗。それでも自分たちの国の歴史を何も知らずに、ポカンと笑って生きていくより、暗闇を受け止めて生きる方がマシであろうと私は思う。

 この記事を書き上げたら旅行にでも行こうと歯を食いしばっていたが、書き終えてみれば旅行などどうでも良くなって、もう次の分析に頭は向いていた。散った日本軍を悲しませるようなことはしたくない、少しでも気持ちを晴らしてやりたい、役に立たせてやりたい、それは私のすべてだ。記事を書くにあたり、当時の話を聞かせてくれた恩師に心から感謝する。頭が下がる。

 記事完成後に久しぶりに外に出たら、外はとっくに春で、桜が散って新緑にあふれていた。暖かくてとても驚いた。外がどうなっているのか分からなかったのだ。体験したことのない変な気持ちであった。