9月14日
ネタ切れだ
毎日、きょうは、なんの日かな~と、Wikiを見るのですが…
- 1822年 - シャンポリオンがロゼッタ・ストーンのヒエログリフの解読に成功。
- 1829年 - オスマン帝国が露土戦争の講和条約「アドリアノープル条約」に署名。
- 1858年(安政5年8月8日) - 孝明天皇が水戸藩に対し戊午の密勅を下す。
- 1862年(文久2年8月21日) - 生麦事件。
- 1862年 - 南北戦争: サウス山の戦い
- 1864年(元治元年8月14日) - 下関戦争: 長州藩が英米蘭仏4か国連合艦隊と講和。
(一部抜粋してみました)
こうしてみると、幕末の攘夷がらみの動きが多いですねー
こんなに関連のあることがらが同じ日に集中しているなんて、ちょっと恐ろしい感じもしますが…
このなかで、どれかを今日のテーマに選ぶとすると…

「シャンポリオンがロゼッタストーンのヒエログリフの解読に成功」ですかねー

というわけで、今日のテーマは、古代史。。。というよりも、石

ロゼッタストーンは、ナポレオンのエジプト遠征のときに拾い出されたものです
ナポレオンは、とても有名な人物なのに、中学校の社会の教科書には出てこないかもしれませんね
フランス革命だって、ちょこっとしか扱われませんし。。。
フランス革命後の国内の混乱に乗じて台頭し、18世紀末から19世紀初頭にかけて、
怒涛のように革命戦争を引き起こして、ヨーロッパじゅう(大陸側)を混乱の渦に陥れた、
野心家です(Be anbitious ! 野心を持つことは悪いことではありませんが…)
で、ね、碑文の刻まれた「家具調こたつ」ほどの大きさもある(重さ760kg)ロゼッタストーンなんですが、
「発見した」フランス軍ではなく、フランスに勝ったイギリス軍によってエジプトから運び出され、
いまも大英博物館にあったりするわけですよ(エジプトは返還を求めています)
イギリスは、なんでも持って帰っちゃうからね~
大英博物館にある目玉展示は、大半ほかの国から手に入れたものですもんね

エジプトがフランスから奪い取った(わけではなく、条約によって無理やり手に入れた)理由は、
もちろん、
ものすごく貴重なものだとにらんだから





つまり、当初から、「こいつはたいしたお宝だ」と思われていたらしいのです

ロゼッタストーンには、3種類の文字で同じ内容が記されています
ひとつはヒエログリフ(神聖文字)、ふたつめにデモティック(民衆文字)、みっつめにギリシャ文字
エジプトというと、ピラミッドを思い浮かべるかもしれませんが、
ロゼッタストーンはそれほど古いものではありません
ロゼッタストーンに碑文の刻まれたプトレマイオス朝(最後の王が有名なクレオパトラです)は、
アレクサンドロス大王後にできた王朝です(後継者争いでマケドニアはおもに3つに分裂しました)
アレクサンドロスといえば、遠征によってギリシャ文明を東方にもたらし、ヘレニズム文化が生まれるもとになった人物ですよね
ヘレニズムの影響は日本にも見られ、
法隆寺の回廊の柱が「エンタシス」だとか、唐草文様になって残っているとか、…
ここまで話を広げるときりがないので戻します
プトレマイオス朝はギリシャ人がエジプトに建てた王朝
だから、ロゼッタストーンにはギリシャ文字も書かれているのです
そのギリシャ文字を手掛かりにヒエログリフを読み解いたのが、
シャンポリオンというフランス人の学者でした
ロゼッタストーンがイギリスに持ち帰られるや否や文字の解読は試みられていたのですが、
なかなか解読されないまま、石を横取りされたフランス人によって解読されるという…
ちょっと皮肉な気もしますね

もちろん、読み解かれたヒエログリフは、エジプト原始王朝の時代から使い続けられてきたものですから
メンフィスやテーベなどの遺跡に残されているものやパピルスに書かれているものと同じものです
エジプト文明は四大文明の一つ
紀元前3000年ごろからナイル川流域に栄えた
ナイル川が定期的に氾濫することを利用して小麦を栽培していたため、
氾濫時期を正確に知るために太陽暦を利用し、
象形文字を使っていた
王はファラオと呼ばれ、ピラミッドやスフィンクスなどの建造物が残る
社会科的に覚えておかなければならないのは、このぐらいでしょうか
覚えるものだけ列記したら、やっぱり味気ないですよね~