はっきりしないお天気です
時雨が来そうですね
もうすぐ期末テスト
23日水曜日が1週間前ですが、
勤労感謝の日で祝日なので、
きっと明日、範囲表が発表になると思います
そのあとは、範囲が短くなることはあっても、増えることはありません
安心して、がつがつ勉強しましょう
テストの勉強をみていると、
国語の勉強のしかたがよくわからない、と相談されるのですが、
残念ながら、
漢字を覚えましょう、提出物をやって、ノートを見直しましょう、
と、お決まりの返事しか、できていません
というのが、
プログレス学習教室広報担当は、
国語はいちばんの得意科目にもかかわらず、
じつは、国語の勉強をほとんどしたことがないのです
小学校のときから、国語の授業は大嫌いでした(教科書を読むのは好きでした)
中高生のとき、ノートも取っていませんでした(教科書に赤ペンで書きこんでいました)
似たような経験を持つ人は多くて、
国語が得意だったという人に聞いてみても、勉強したという話はあまり出ません
だから、思うのです
(小・中)学校の国語教育、じつは、ぜんぜん学力になっていないんじゃないの?
そう思うのには、ひとつ理由があります
国語を勉強する目的として、読む力をつけることが、何より重要ですよね
教科書も、文章を中心に構成されています
国語ですから、ほかの科目よりも、ずっとたくさん、文章を読まなければならないはず
だから、教科書にはたくさんの文章が載っているはず
でも、教科書の厚みを見たら、どうでしょう
ほかの科目の教科書と、大きくちがいません
つまり、読む文章量が、圧倒的に不足しているのです
たくさん文章を読むのではなくて、
文章の細かいところを、ちまちまと取り上げて、
理由をきいたり、つながりをきいたり、話し合いをして、意見をのべたり、まとめたり、
数ページの文章に、数週間も費やして、読み進めます(退屈です)
でもね、聞きたいのですよ
その文章を書いた人は、数週間もかかってたった数ページを書いたのでしょうか
そんなに細かいところまで、推敲に推敲を重ねて(表現は推敲したでしょうが、国語で表現はほとんどとりあげません)書いたのでしょうか
細部を読むより、全体を読んでもらいたいとは、思っていないでしょうか
一部分を取り上げて(ぶつ切りにして)、細かく読みこまれるのは、
ちょっと心外なのではないでしょうか
教科書をつくるひとたちも、読む文章が不足していると考えるのか、
中学校の教科書には、読み物がいくつか掲載されていますが(どれも文学的文章です)、
授業で触れる学校はまずありません
それどころか、学習単元に載っている文章をとばしてしまう先生もいて、
授業でとりあげるのは、教科書全体の半分もないでしょう
授業で触れないのですから、生徒は読みません
つまり、じっさいには、教科書は、半分しか読んでいません
読まないのに、読む力がつくはずがない、と、思うのですが。。。
小学校の教科書は、上と下の二分冊です
これを、国語は4分冊にして、
もっとたくさん文章を読んでいったらいいと思うのです
せっかく四季のある日本なのですから、季節ごとに、季節に合った文章を取り上げて
海外の翻訳ものもたくさん載せて、自然や文化の違いにも触れて
いまさら、「ごんぎつね」や「大造じいさんとガン」なんて、
わざわざ授業で読まなくても、うしろの名作コーナーにでも置いておけばいいじゃないですか
それよりも、時代に合った文章を、
総ルビにして、とにかくたくさん読んで、
しっかり語彙力をつけたほうがずっといい(国語はなんといっても語彙力・知識量です)
そして、中学校からは、多少難しい熟語の入り混じった文章を、
苦しみながら読んでいったらいいのです
語句の意味がすこしぐらい分からなくても、その場は読みとばしてしまって大丈夫
総ルビにしてあれば、漢字を何度も目にするうちに、自然にわかってくるものです
ことばの意味調べなんて、ほとんど役に立ちません
調べた意味の意味が分からなくて、意味調べの意味調べが必要なんて、ばかばかしいこともあるぐらいですから
と、ここで言っても、国語教育は当分変わらないでしょう
当分どころか、永久に変わらないかもしれません
だから、国語の教科書以外にまったく本を読まないお子さまがいらしたら、
いますぐに、自主的に、教科書に準じた文章を読み始めることを、おすすめします
もう済んでしまった前学年の教科書でもかまいません
古本屋などに、国語系のテキストを探しに行くのもいいでしょう
本を読む習慣がなければ、長い物語などは、息切れしてしまいます
できれば、あまり長くない文章がいろいろ載っているものが、理想です
国語が得意だったという人たちに聞いてみると、
例外なく、教科書以外に、たくさんの本を読んでいました
百科事典が愛読書だった人もいます
(昔は、子供のいる家庭に、百科事典の月賦販売がセールスに来たものです)
身の回りに情報があふれているいまの時代は、なおさら、
否応なくたくさんの文章に触れる機会をつくるべきだと思います