橿原は古代史の宝庫|「欽明天皇陵」 | プログレス学習教室 橿原市

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近鉄南大阪線、橿原神宮西口駅南出口から西へ徒歩2分のプログレス学習教室は、たのしく勉強できる小さな学習塾です

きょうは暖かいですね
ヒノキが始まったようです

プログレス学習教室がある西池尻町は、畝傍南小学校区
中学は畝傍中学校に行くことになるんですが
ほんとうは畝傍南小学校よりも白橿北小学校のほうが近いんです
ところが、その校区の白橿中学校は、畝傍中学校よりもすこし遠いという、なんとも微妙な位置にあります
そのため、橿原神宮西口駅から橿原神宮前まで、一駅ですが電車で通学する生徒さんたちもいるようです

校区というのは、むずかしいものですよね
引っ越すときには、どの小学校、中学校になるのか、よく見ておかないと、あとで困ったなと思っても、気軽にかわるわけにはいきません
畝傍中学校は生徒数が増えているようですが
白橿中学校は、ニュータウンの高齢化がすすんでしまって、減少しています
生徒が急に増えるのも大変でしょうが、多かった生徒が少なくなるのも、困りものです
校舎に空き教室がたくさんあるのは、あまり気分のいいものではないでしょう
だからといって、校区の見直しはなかなかできるものではないようです
そのせいか、いびつな校区になっているなあと、思う地区もあります
通う生徒さんは大変ですが、
国会議員の選挙区定数見直しでもあれほど紛糾するのですから、生活基盤を変えるような校区の見直しはできないというのが本音かもしれません

いちど決定したらなかなか変更できないのがオヤクショの道理で
明日香村の平田梅山古墳が「欽明天皇陵」に指定されていますが
奈良県下最大の前方後円墳である丸山古墳をほんとうの欽明天皇陵だと考えている専門家も多いようです
丸山古墳については、蘇我稲目(馬子の父、入鹿の曽祖父)の墓という人もいますが、さすがに天皇を差し置いてそれより大きな墳墓はつくらないでしょうから、大きさから考えて、天皇陵と思うのが妥当でしょう
むしろ、宮内庁の指定する「欽明天皇陵」が稲目の墓かもしれません
欽明天皇の没後、妃であった堅塩媛(きたしひめ)が亡くなったときに合葬したということで、丸山古墳にも合葬の形跡があるそうですが、
それにしても、皇后の石姫皇女(いしひめのひめみこ)ではなく蘇我稲目の娘である堅塩媛を合葬するとは、稲目の権勢の大きさが推し量られます
欽明天皇が位につくときに蘇我氏の強力な後押しがあったものと思われます
天皇の即位の経緯が書かれている古事記や日本書紀は、蘇我氏の滅亡後に編纂されたものですから、蘇我氏の功績はかなり割り引いて書かれていると思ったほうがいいでしょう
古事記や日本書紀はそれ以前にあった帝紀・旧辞をもとに編纂されたということになっていますが、帝紀だの旧辞だのという漢文的な名前から考えても、存在がいかにもアヤシイ。
体裁を整えるために、歴史書は以前からあったんですけどねと、形を取り繕ったのではないかと思います

いずれにしても、丸山古墳や平田梅山古墳は、ほぼ最後の前方後円墳です
これからあとは、横穴式石室をもつ方墳や八角墳がつくられていきます
あ、でも、丸山古墳は横穴式石室です
過渡期の古墳ですね
そして、同時期に、新沢千塚古墳群は、新しい墳墓がつくられなくなりました
巨大な丸山古墳、近鉄の駅からもさほど遠くありません
もうすぐ、桜が咲くと、きれいですよ

新学年準備講座がいよいよ3月22日の週からはじまります
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