そしてこのブログがきっかけでももクロに興味を持って頂けたら、こんなに嬉しいことはないです。
なので、ももクロの生い立ち?についても改めて自分なりに書いてみようと思います。
いろんなメディアを参考にしていますが、私の個人的な解釈も多分に入る可能性があるので、その点は広い心でお読みください^^;
今や国民的アイドルとして認められ始めた彼女たちにも、もちろんスタートがあります。
彼女たちの所属事務所「スターダストプロモーション」。
竹内結子、柴咲コウ、北川景子など有名女優が所属する事務所です。
どんな可能性を秘めているかわからない事務所の新人たちをピックアップし、「その先の芸能活動に役立てるために舞台で歌ったり踊ったりする経験をさせてみよう」と思ったのが、ももクロ誕生のきっかけだそう。それが2007年の末頃のお話。
このときピックアップされたメンバーの中に、百田夏菜子(現赤担当)、玉井詩織(現黄担当)、高城れに(現紫担当)がいました。
(この当時、百田さんと玉井さんに至っては”次回の契約更新しないリスト”に入っていたらしいです。人生何がきっかけになるかわからないですね…)
「ただ特技に”ダンス”って書いてあった」からピックアップされたようなメンバーは、もちろん歌もダンスもほぼ未経験。
(歌に至ってはピアノの音程に合わせるのも難しいレベル…過去映像より)
そんな状況で日々歌とダンスの練習を重ねながら、最初のオリジナル曲『あの空へ向かって』の作詞まで本人たちがやっていました。(この曲は後々、節目となるコンサートの終盤で用いられるレア曲となります)
そして初めてステージに立ったのが、2008年5月17日川﨑アゼリアでの事務所のイベント。後に、この日付がももクロの結成日とされます。
この時のメンバーは、現在のももクロである3人を含めた6人でした。
(ちなみに、「ももいろクローバー(結成当初はZなし)」というグループ名は、百田夏菜子の母親の案が採用されたと言われています)
ここから、ももクロの伝説が始まります。
2008年だったんですね。
2008年ってどんな年だったか覚えていますか?
「北京オリンピック」、「エド・はるみ」、「ゲリラ豪雨」、「ポニョ」という言葉が流行った年のようです。
私がちょうどバンクーバーに語学留学している時ですね。川﨑からこんな伝説が始まっていたなんて知る由もなかったです。
あなたはその当時何をしていましたか?