一年を終えて一区切り
春分からもこれていなかったしね。
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和気清麻呂公は奈良時代(769年)、皇位継承問題で揺れる朝廷の勅使として宇佐に派遣され、八幡大神より神託を受け国の危機を救った廷臣である。
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神社
護皇神社
和気清麻呂が宇佐(現・宇佐市)へ配流された際に、道鏡から送り込まれた刺客に襲われたのを、突如現われた300頭の猪によって難事を救われたとの伝説
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240331/22/wawa-3/f2/67/j/o0810108015419895448.jpg?caw=800)
清麻呂が刺客に襲われた際、足に傷を負ったが、猪が去った後に足の傷も癒えた
と、Wikipediaには載っていた
心身の健康のためにここに来たのかな?
と。勝手に想像はしてみた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240331/22/wawa-3/51/d6/j/o1080081015419895455.jpg?caw=800)
京都の護王神社神社と どちらも同じだけど
字が違う
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240331/22/wawa-3/17/66/j/o0810108015419895464.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240331/22/wawa-3/1e/14/j/o1080081015419895472.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240331/22/wawa-3/cc/53/j/o0810108015419895480.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240331/22/wawa-3/5d/d9/j/o0810108015419895486.jpg?caw=800)
宇佐の記事でみると
足の怪我から、大隅につながるのか!!!
その神託は道鏡非望を打ち砕いたが、道鏡の怒りをかった清麻呂は、足の腱を切られ大隅国(鹿児島県)へ流されてしまった。その道中、暗殺を謀って送られた道鏡の刺客から、突然の天地雷鳴や300頭あまりの猪の大群が清麻呂を護り、さらに宇佐へ詣でたところ、道鏡に傷つけられた脚が回復するなど、八幡大神のご守護により数々の奇跡がおきたと伝えられている。
大分県に住みながら
元々10年前
家族のルーツに鹿児島が由来すると言われ
そこからは、毎年。その前からか
好きで通っている鹿児島。
この数年は、友達になる方は
鹿児島出身だし。
近頃特に、鹿児島由縁の方々と話すことが増えていて、久しぶりに鹿児島いかなければかねー。
と。話してました。
八幡さまは、産土様でもあり。
岡山では和氣にもご縁をし。
そして。岡山の時に鹿児島に行ってから、12年
年数回鹿児島に行く我が家。
時空を越えて、
何かしらの縁を運んでいるのかも知れませんねぇ
大尾神社とともに令和2年(2020)に修復され。和気清麻呂は不幸から守り、災害を避け、足の怪我を癒す神様として崇められている。
●道鏡事件どうきょうじけんと和気清麻呂わけのきよまろ
天平勝宝てんぴょうしょうほう元年(749)に日本史上唯一、女性でありながら皇太子こうたいしとなり、即位した孝謙天皇こうけんてんのうは、天平宝治てんぴょうほうじ2年(758)淳仁天皇じゅんにんてんのうへ譲位じょういして孝謙上皇こうけんじょうこうとなります。その孝謙上皇こうけんじょうこうが天平宝治てんぴょうほうじ5年(761)に病に伏せった際、看病したのを機に孝謙上皇こうけんじょうこうから寵愛ちょうあいされるようになったのが、弓削氏ゆげしの僧・道鏡どうきょうでした。淳仁天皇じゅんにんてんのうを廃位はいいさせ、皇位こういに復帰した称徳天皇しょうとくてんのう(孝謙上皇こうけんじょうこう)は、道鏡どうきょうを徴用し、天平宝治てんぴょうほうじ9年(765)には、道鏡どうきょうは天皇に準じる法王ほうおうに任ぜられます。
こういうことが、現代の女性が。。。
天皇の。話しにも通じてきているのかね。。。
10年通って、過去に一度だけ登っていた
この神社に。
前は、木でおおわれて影になりやすく
こけだらけの狭くて、木が倒れていたり
ここまででやめようって、帰った気がする。
それが今日は、気になり
そして、多分上まで来たのは初めてなんじゃないかな
最初の鳥居のところにきたら、
突然少年が1人できて、スタスタ軽やかに登り始める。
私達が眺めている間に戻ってきたので
聞いてみた。
「どう?」
道のりを教えてくれて、私達が行こうとすると
じゃあ一緒にもう一度行く!と。
中学生くらいの少年なので
「誰かと参拝に来たんじゃないの?」
「うん。家族ときた」
なのに。辺りにはいませんしー。
とりあえず早いからついていって
さらに、右に護皇神社があると、偵察までしてくれて
ありがとう❤️と、伝えたら、
今度は、ピョンピョン階段を下りて戻ってしまった。
あれは、まるで案内人(^。^;)
その後、ご家族といる姿をみたけど
彼の行動が不思議で仕方ないし。
ありがとうと、何かお礼でもできたらいいなと思いつつも、そこまでの接近はなかった。
何はともあれ
少年ありがとうございました\(^^)/
参拝を終えて
イチゴパフェ