観える世界、感じる世界 第2話|まだ知らない世界と、どう向き合うのか❓ | 「6」 愛の狩人

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けどネ❕(笑

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( ^ω^)・・・           

🌿 観える世界、感じる世界

第2話|まだ知らない世界と、どう向き合うのか❓

― 未知との出会いは、人間を変えるのだろうか ❓―

連休二日目の朝。

いつものようにニュースを拾いながら、昨日書いた文章のことを考えていた。

神話の時代を知ること。

今ある仕組みの動きを観測すること。

そして、これから生まれてくる新しい技術や仕組み、人を拾っていくこと。

昨日は、そんなことを綴った。

けれど、もう一つ、以前から氣になっているものがある。

僕たちが、まだ知らない世界のことだ。

知らないというのは、存在しないということではない。

かといって、存在するということでもない。

ただ、今の自分には分からない。

まずは、そこから始めてみようと思う。


✨ ディスクロージャーという言葉

最近、映画『ディスクロージャー・デイ』が氣になっている。

ディスクロージャー。

日本語にすれば、情報の開示や公開といった意味になる。

何かが明らかになること。

それまで知らされていなかったものが、表へ出てくること。

この言葉を聞いて、僕が最初に思い浮かべたのは、宇宙や人類以外の知性についての問いだった。

僕たちは、この宇宙について、どこまで知っているのだろうか❓

自分たちの存在さえ、どこまで理解できているのだろうか❓

もし、これまでの常識では説明できないものに出会ったとしたら。

その時、僕たちはどうするのだろう。

恐れるのか❓

否定するのか❓

それとも、

新しい世界を知る機会として受け止めるのか❓

もちろん、映画は映画である。

物語として描かれたものを、そのまま現実の証拠にすることはできない。

それでも、その映画が自分の中で何かを動かしたのなら、そこには考えてみる価値があると思っている。

僕が今、氣になっているのは、

「何が開示されるのか❓」だけではない。

「何かが明らかになった時、人間はどう変わるのか❓」

ということなのだ。


📖 神話の中にも、知らない世界があった

昨日は『オデュッセイア』について書いた。

古代の人々が残した、長い旅と帰還の物語。

その旅には、見慣れない土地や不思議な存在が登場する。

主人公は、自分が知っている世界の外へ出ていく。

そこで試されるのは、単に身体の強さだけではない。

恐れとどう向き合うのか❓

誘惑にどう向き合うのか❓

何を信じ、何を選ぶのか❓

そして、

何を持ち帰るのか❓

こうして考えると、神話の中の旅は、僕たち自身の人生にも重なってくる。

知らない場所へ行く。

知らない人と出会う。

それまで信じていたことが、通用しなくなる。

自分の考えを変えなければならないこともある。

けれど、知らないものに出会ったからといって、すべてを受け入れる必要はない。

反対に、自分の知っている世界と違うからといって、すべてを否定する必要もない。

知らないものと出会った時に、自分はどう振る舞うのか❓

そこに、人間のあり方が現れるのかもしれない。


🌏 世界を分けてきた人間

少し、現実の世界へ目を向けてみる。

国家と国家

民族と民族

宗教と宗教

思想と思想

人間は、さまざまな境界線を引いてきた。

境界線があること自体は、必ずしも悪いことではない。

自分たちの暮らしや文化を守るために、必要なものもある。

けれど、その線の外側にいるものを、すべて脅威として捉え始めたらどうなるのだろう。

相手が何を考えているのかを知る前に、敵だと決めてしまう。

違いを理解する前に、排除しようとする。

そこから、争いが生まれることもある。

反対に、相手の言葉を何でも信じ、無条件に受け入れてしまえば、利用されることもあるだろう。

僕は最近、この両方が氣になっている。

疑いすぎても、信じすぎても、相手の姿を見失ってしまう。

では、どうすればよいのだろうか❓

一つの答えとして、今の僕は「観測する」ということを大切にしている。

相手の言葉だけではなく、行動を観る。

何を語り、何を行い、その結果として何が生まれているのか❓

時間をかけて、確かめていく。

そして、その時に自分が何を感じたのかも、忘れずに記録しておく。


🌿 直感は、答えではなく入口なのかもしれない

人の話を聞いていて、妙に氣になることがある。

理由は分からない。

けれど、何かが引っかかる。

反対に、初めて出会ったものなのに、不思議と親しみを感じることもある。

こうした感覚は、何なのだろう❓

過去の経験から生まれたものなのか❓

無意識のうちに、何かを拾っているのか❓

単なる思い込みなのか❓

僕には、まだ分からない。

だから最近は、できるだけ、その瞬間の感覚を残しておこうと思っている。

ただし、ここで大切なのは、

違和感を覚えたからといって、相手が何かを隠していると決めつけないこと。

そして、

好感を持ったからといって、相手が正しいと決めつけないこと。

感じたことは、自分の中で起きた出来事として記録する。

そこから仮説が生まれることもあるだろう。

けれど、その仮説が現実と合っているかどうかは、別に確かめる必要がある。

もし違っていたら、修正すればいい。

分からなければ、分からないまま置いておけばいい。

無理に答えを出さなくてもよいのだと思う。

見えない世界を感じる鍛錬とは、もしかすると、そうした小さな積み重ねなのかもしれない。


🌱 すべてを知る必要はあるのだろうか❓

ここで、もう一つの問いが浮かんできた。

僕たちは、宇宙のすべてを知る必要があるのだろうか❓

目に見えないものを、すべて説明できなければならないのだろうか❓

今の僕は、そうは思っていない。

たとえば、森の中を歩いている時。

鳥の声が聞こえる

風が木々を揺らす

湿った土の匂いがする

僕は、その森に存在するすべての生命や物質の働きを理解しているわけではない。

それでも、森の中にいることはできる。

何かを感じることもできる。

もちろん、森を理解しようとする科学的な研究は大切だ。

その研究によって、今まで知らなかった関係が明らかになることもある。

けれど、理解することと、感じることは、必ずしも同じではない。

知ることで深まる感覚もあれば、感じることから始まる探究もある。

どちらか一方だけではなく、その両方を大切にしたい。


🕊️ 大調和とは、すべてを一つにすることなのか❓

僕は以前から、「大調和」という言葉が氣になっている。

人間同士だけではない。

動物も、植物も、水も、土も

そして、この地球や、その先に広がる宇宙も含めて。

それぞれが、どのような関係の中に存在しているのだろう。

僕が考えている大調和は、すべてが同じになることではない。

違うものが、違うまま存在している。

それでも、互いの存在を認め、必要な関係を結んでいく。

もちろん、自然界にも競争や捕食がある。

調和とは、争いや衝突が一切なくなることではないのだろう。

むしろ、違いがあることを前提に、全体がどのように成り立っているのかを知ることなのかもしれない。

だとすれば、人間がまだ知らない存在に出会ったとしても、大切なのは、最初から敵か味方かを決めることではないはずだ。

何者なのか❓

何を求めているのか❓

どのような関係を結べるのか❓

そして、

自分たちは何を大切にして生きていくのか❓

そうした問いが必要になるのではないだろうか❔❔


🌅 まだ知らない世界へ

連休二日目。

今日もまた、世界のどこかで新しい出来事が起きている。

僕は、これまで通りニュースを拾っていく。

目に見える世界で、何が動いているのか❓

誰が何を支え、どこに変化が生まれているのか❓

それを、粛々と観測していく。

そして、もう一方では、自分の中に生まれた感覚を拾っていく。

なぜ、これが氣になったのか❓

なぜ、あの言葉に違和感を覚えたのか❓

なぜ、今まで見過ごしていたものが、急に目に入ってきたのか❓

答えが出るものもあれば、出ないものもあるだろう。

けれど、それでいい。

知らないことを、知らないまま観測できること。

それもまた、大切な力なのかもしれない。

『オデュッセイア』の英雄が、長い旅を経て帰る場所を探したように。

僕たちもまた、まだ知らない世界と出会いながら、自分たちのあり方を問い直していくのだろう。

そして、その旅の途中で、何かを感じたなら。

まずは、静かに書き留めておこうと思う。

見える世界を「観る」。

見えない世界を「感じる」。

そして、

二つの世界をすり合わせ、一つにしていく。

まだ知らない世界への旅は、始まったばかりなのだから。


《観える世界、感じる世界》

― 見えるものと見えないものを、すり合わせながら生きる ―

 

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