🌿 観える世界、感じる世界
第1話|神話の時代から、未来を観る
― 世界が揺れるとき、人は何を取り戻すのか❓ ―
連休の朝。
いつものように、世界のニュースを眺めていた。
戦争が続いている。
国家は互いに牽制し、金融市場では大きなお金が動き、各国は自分たちの利益を守るために、新しい境界線を引こうとしている。
技術は目覚ましい速度で進歩しているというのに、人間同士の争いは、なかなか終わらない。
むしろ、仕組みが複雑になるほど、何が問題の根にあるのか、分かりにくくなっているようにも感じる。
僕は長年こうした出来事を毎日のように拾い集めてきた。
ただニュースを読むためではない。
出来事の後ろにある構造を観るためだ。
誰が動いたのか❓
何を守ろうとしているのか❓
そのために、誰が何を支えているのか❓
表面に現れる出来事を追いながら、その奥にある線を探してきた。
それを公開し始めたのが「ニュース天氣図」だった。
そして一年ほど続けてきた今、もう一つ、氣になっていることがある。
世界の仕組みを観るだけで、僕たちは次の時代を迎えることができるのだろうか❓
📖 三千年前の物語が、今も語りかけてくる
先日、ジョーゼフ・キャンベルの『神話の力』を読み終えた。
その頃、ちょうど目に入ってきたのが、映画『オデュッセイア』の記事だった。
古代ギリシャの叙事詩を題材にした作品。
戦いを終えた英雄オデュッセウスが、幾多の困難を乗り越え、故郷へ帰ろうとする物語である。
僕は、この「帰還」という言葉が妙に氣になった。
英雄は、ただ敵を倒して終わるわけではない。
旅の中で試され、失い、何かを知り、変わっていく。
そして、帰る。
けれども帰還とは、昔の自分へ戻ることではないのだろう。
旅を経験した自分が、もう一度、故郷と向き合うことなのかもしれない。
ここに、今の世界と重なるものを感じた。
現在の仕組みが行き詰まったとして、僕たちは単純に昔へ戻ればよいのだろうか❓
そうではないはずだ。
過去に学びながら、新しい時代に合ったものを作っていく。
そのためには、技術や制度を考える前に、もっと根本的なことを知る必要があるのではないか❓
人間とは、いったい何なのか❓
🌏 新しい技術を手にしても、人間は変わらないのか❓
昔の人々は、神話の中で世界を語ってきた。
神々の争い
英雄の旅
欲望と裏切り
死と再生
そして、失われたものを取り戻そうとする物語。
時代が変わり、登場するものが変わっても、どこか似たような出来事が繰り返されている。
今の世界も、そうなのかもしれない。
かつては剣で争っていたものが、今はミサイルや金融、情報、技術に変わった。
それでも、恐れや欲望、支配したいという思いは、人間の内側に残っている。
だとすれば、新しい技術が生まれるだけでは、同じことが繰り返される可能性がある。
AIが発達しても。
エネルギーの仕組みが変わっても。
新しい通貨や社会制度ができても。
それを使う人間が、何のために使うのかを見失ってしまえば、また別の形で争いが始まるのかもしれない。
だから最近、僕はこんなことを感じている。
神話の時代を知ることが、これから必要になっている。
古いものへ戻るためではない。
新しいものを作る前に、人間が何を繰り返してきたのかを知るために。
🌿 この島国に残っているもの
そして、もう一つ氣になっているのが、日本という島国である。
この列島には、長い時間をかけて、外からさまざまな人や文化が入ってきた。
その中で、日本語が使われ、独自の文化や暮らしが育ってきた。
僕が今、特に氣になっているのは、日本語そのものというよりも、日本語を使うことで育まれる感覚だ。
相手との間合い
言葉にしない部分
その場の空氣
自然との距離感
人間だけではなく、山や川、木々、石、そして目には見えないものとの関係。
こうしたものを感じ取る働きに、日本語や日本文化がどのように関わってきたのだろうか❓
角田忠信氏の「日本語脳」という研究も、その問いを考えるきっかけの一つになっている。
もちろん、研究上の仮説と、僕自身が感じていることは分けておかなければならない。
日本語を使う人が、必ず同じ感覚を持つわけでもない。
それでも、日本語や日本文化の中に、これからの社会を考える手がかりが残っているのではないか❓
そんなことを考えている。
もし、異なる文化を持つ人々が、互いの違いを認めながら、一緒に暮らしていく仕組みを作れるのなら。
もし、人間と自然を、どちらかが一方的に支配する関係ではなく、支え合う関係として捉え直せるのなら。
そこには、これまでとは違う社会の可能性があるのかもしれない。
僕は「大調和」という言葉の考えていて、それは、皆が同じになることではないと思っている。
違うものが、違うまま存在しながら、互いを壊さずに生きていくこと。
それは、人間同士だけの話でもない。
動物も、植物も、水も、土も。
さらに、その先に広がる宇宙も含めて、僕たちはどのような関係の中に存在しているのだろうか❓
まだ答えはない。
けれど、その問いを持ち続けたいと思っている。
✨ 見えない世界へ、もう一つの窓を開く
『オデュッセイア』と並んで、最近氣になっている映画がある。
『ディスクロージャー・デイ』だ。
人類以外の知性
宇宙
人間がまだ知らないかもしれない世界
こうした題材に触れると、僕たちはつい、いるのか?、いないのか?、本当なのか?、嘘なのか?、という結論を急ぎたくなる。
けれど、今の僕は少し違うところを観ている。
なぜ、このような物語が氣になるのだろう❓
なぜ、遠い昔の神話と、人類の外側にあるかもしれない世界が、同じ時期に自分の中へ入ってきたのだろう❓
単なる偶然かもしれない。
僕自身の関心が、そうしたものを拾いやすくしているだけかもしれない。
それでも構わない。
まず、氣になったことを記録しておく。
「そこから何を感じたのか❓」を、言葉にしてみる。
そして、見える世界の出来事と照らし合わせていく。
感じたことを、すぐに真実にしない。
見えないからといって、最初から切り捨てもしない。
その間に、もう一つの観測の仕方があるのではないかと思っている。
🕊️ これから生まれてくるものを拾う
現実の世界では、これからもさまざまな問題が続くだろう。
国家間の対立
金融や通貨の問題
資源やエネルギーの確保
気候変動に伴う暮らしへの影響
今ある仕組みが、いつ、どのように変わっていくのか❓
僕には分からない。
だからこそ、これまで通り、ニュース天氣図を続けていく。
同時に、もう一つのことも意識していきたい。
今の仕組みがどう動いているのか?を観測しながら、新しい技術、新しい仕組み、そして新しい人を拾っていく。
誰かが大きなことを言ったからといって、すぐに信じるわけではない。
逆に、今まで聞いたことがないからといって、すぐに否定するわけでもない。
何を語っているのか❓
何を実際に行っているのか❓
その結果、何が生まれているのか❓
そして、
「自分はそこに何を感じるのか❓」
一つひとつ、すり合わせていこうと思う。
🌅 そして、もう一つの旅が始まる
シルバーウィークが始まった。
世の中が少しだけ休日の空氣に包まれる中、僕はまた、いつものようにニュースを拾い、氣になったことを書き留めている。
これまで一年ほど続けてきた、見える世界を「観る」訓練のニュース天氣図。
そして、これから少しずつ始めていく、見えない世界を「感じる」鍛錬。
二つは、別々の世界なのだろうか❓
それとも、もともと一つだった世界を、僕たちが別々に捉えているだけなのだろうか❓
今は、まだ分からない。
ただ、オデュッセウスが長い旅を経て故郷へ帰ろうとしたように、僕たちもまた、何かを取り戻そうとしているのかもしれない。
それが何なのか❓
どこへ向かえばよいのか❓
急いで答えを出す必要はないだろう。
まずは、自分の足元から。
目の前の世界を観る。
内側に生まれた感覚を拾う。
そして、二つを少しずつすり合わせていく。
見える世界を「観る」
見えない世界を「感じる」
二つの世界をすり合わせ、一つにしていく。
その先に、まだ僕たちが知らない、新しい時代の姿が観えてくるのかもしれない。
そんなことを思いながら、今日もまた、静かに一日を始める。
《観える世界、感じる世界》
― 見えるものと見えないものを、すり合わせながら生きる ―
All Green Project 🌿
ai-kusunoki & 「6」
構造で読む力を、暮らしの中心に