このフレーズは、そこここで引用されていてもなんら不思議はない気もする。
だがしかし、
何故か、キリスト教の教典・教義や世界観が引用されることはあっても
コーランの言葉はそれほど、広がっていない。
不可思議に尽きる。
なお、題名の句の挿入されている節の全文は、以下の通り。
枕草子の序段のように暗誦するに値する、
そんな、美しいことばにも、見える。
----「牝牛」メディナ啓示、全286節、おそらく22節より、『偶像崇拝の禁止』----
アラーこそは汝らのために
大地を置いて、敷床となし、
蒼穹を頭上に、建立し、
蒼穹から雨を下して様々の果実みのらせ、
それをもって汝らの日々の養いとなし給ふた御方。
されば、
偶像のたぐいを、
それと知りつつアラーとひとしなみに崇めたつことなかれ。
もし、
万に一つ汝らにして、
我らが僕、預言の使いムハンマドに下した
天上からの啓せられた言葉に、
疑念を抱きたりおるならば
まずは、我らが天啓に匹敵うべき、紛いものの天の知らせを
ひとくだり、
さあ
ここに、
出してみよ。
アラーのほかなる異教の神たるものを、
汝らの証人として、ここに
喚び出だして見るがいい、
もし汝らの言葉が、
本当だとでもいうのならば。
しかし、
もしも、それができないというのならば
-だがしかしながら、そのような滑稽な魔術は真実不可能であるが-
そのときは、
おそれるがよい。
畏れよ。
人間と石をもえしろに、
罰当たりどものためにしつらえられた、
地獄の、劫火を。
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※なおここでいう、「石」とは、石で作られた偶像のこと。
この節では、偶像崇拝するものは、偶像ごと罰せられることを忠告しているようにも見える。
もうひとつ、おわりに、
信心なき人々への警告のような句を、紹介。
-----同じく、「牝牛」 14節、偽りをのべ『目算どおりに行かなかったもの』-----
彼らは、
信心ある人々のまえにおいては
「アラーに讃えあれ」
と、もっともらしく述べ伝え、
悪魔の前にひとたび還るやいなや
その舌先の乾かぬうちに
「吾らは味方、そちらに加勢する者であり、先ほどは、信者と少し戯れてきただけ」
と訴える。
アラーは、
彼らをこそ、愚弄したまへる。
実に巧みに、罰を下し給ふ。
そして
彼らの、
頑なな不信を一層ますます頑なとなし給ひ、
彼らを、不信の渦中であてもなくその場を幾度となく、
うろたえ廻らしめし給ふ。
彼らは、
御導きを、売りとばし
その代金で
迷妄を、買い込んだ人々。
そして算術を誤った者たち。
目算どおりには、行かなかったのだ。
(以下略)
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岩波文庫の井筒訳に、かなりアレンジを加えてみました。
なお「目算どおりには行かなかった」は、
アラビア商人の間の言葉。
商家の、ムハンマドらしいといえば、らしい。