最近ずっと、Siipというアーティストの「Siip」というファーストアルバムを聴いている。K-popばかり聴いていたけど、その前はインディーズのバンドとかも好きだったから、その感じを思い出した。その時好きだったバンドのボーカルの声が高くて特徴的だったのと、何だか顔も似ている気がして思い出した。皆で盛り上がったり、気持ちが高揚するような音楽ではなくて、どちらかと言うと、こう、静かで、内省的で、暗いからこそ落ち着く、みたいな。だからずっと聞いていられる。

 

「Siip」というアルバムは北欧神話や聖書がモチーフになっていて、作品としてすごく完成されている感じがする。でも、同時に彼の背景を考えると、苦しくもある。とても魅力的な歌詞が多くて色々考えたので、感じたことを書いておこうと思う。

 

 

 

アルバムは2021年にリリースされたけど、2018年には完成していたという「Cuz I」。歌詞は皮肉っぽくて、搾取され続ける構造や、無自覚に消費し続けることへの諦めや、そういう構造を理解してしまった自分への嫌悪みたいなものも感じる。でも、なぜか突き放されてる感じはしなくて、優しい感じがするのだ。少年ぽい声や温かな音のせいかもしれない。「さぁさぁ好きなだけ踊り 疲れてしまいなさい」という、対象への距離を感じる言い回しも、何だかすごく心地良い。苦しいからこその俯瞰の視点というか、その冷静さが逆に切ないような感じもする。

 

 

 

 

 

2019年頃に作られたという「2」。このタイトルの意味をチャットGPTに聞いてみた結果だと、今の自分と過去の自分みたいなことと解釈すると、私としてはしっくりきた。

 

歌詞の中で印象的なのは、「見せ合いっこしよう」と、「僕を飲み干せる誰かが欲しい」というところで、自分の「歓び」や「哀しみ」や「幸せの代償」を見て欲しいと訴えているところ。自分の内側が濁っていると知ってしまった自分と、まだ信じたい自分。まだ知らなかった自分に「お忘れになられるんでしょう?」「お帰りになられるんでしょう?」「愛を知り悲しむんでしょう?」と聞くのは、希望を捨てきれないからでしょうか。濁っている自分や、諦めきれない自分、知ってしまって絶望してしまった自分、それを丸ごと飲み干して欲しい、なんて、とても切実で子どもみたいな純粋な願いだな、と。

 

 

 

 

 

「オドレテル」という曲は、感情的な歌い方で、苦しさが直接的に表現されていると思う。「溺れられず踊れてる」「消えれずに浮かんでいる」想像するだけで苦しそう。死にそうになりながら踊ってても、楽しく踊ってても、見ている人には同じに見えたりするものなんだと思う。

 

夢見た場所に立っても、そこに居続けるためには大きな代償があるのか、と思ってしまう。叶わない夢とは、私を呪わないこと、あなたには分かってもらうこと、あなただけには届かぬこと、心安らく場所があったあの頃に戻ること?今いる場所では手に入れられないものなのかもしれない。でも、もう今いる場所から引き返すこともできない。踊り続けるしかない、のか。

 

 

 

 

 

「来世でも」は、とても温もりのある歌声が素敵だと思う。産まれ来るあなたにも、別れ往くあなたにも、来世でもキスをしようと。ご本人がインタビューで「讃美歌を聴くような、ゆりかごに揺られているような、誰もが胎児に戻れるようなそんな曲でありたいと思っています」と言っている通りの、包容力のある優しい歌だと思う。こんな風に肯定されたいという願いをよく理解している人なのかな、と想像する。

 

 

 

 

「scenario」は、「全部シナリオ通りに狂ってる」と、諦観や絶望を描いているようにも思うけど、私はとても優しい曲だと感じる。

 

「scenario」の中で、彼は塵達に居場所を創り、愛を記して、希望を吊るしてくれる。聖書の中で「塵」とは、人間の弱さや儚さ、創造と終焉を象徴する重要な概念だそう。人は神によって命を与えられ、死後は土に戻る無力な存在である、と。

塵は、弱くて傷つきやすい私たちであり、彼自身なのかな、と考えてしまう。

 

悲しんでいる人がいるから、仕方なく愛を記してくれる。何とかやり過ごせるように。

 

 

 

仕方ない

今日を記して

塵達に居場所を創って

片手間に希望を吊るしても

愛おしさが鎖になってる

 

 

 

 

インタビューの中で「美しさを追い求めるのも含めて狂っているのだと、悲しいけどもそう思ってしまう日があります。きっと神様は優しい方なのだと。そうでなければこんなにも複雑で不条理なものに世の中は出来上がっていないと思います。私との共通項ですが、正しさよりも愛おしさが目に入ってくるのでしょうね」と言っていたSiipさん。諦観より、愛おしさが中心にあるから、このアルバムは温かいのか、と。

 

そして、この時期だけの彼の感性が、混ざり物のない純粋な状態で作品として残っていることが素敵なことだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「作品が出来上がってみて、『歪な清純さ』みたいなものを感じて、この作品も、自分自身もとても愛おしく思いました」という言葉がとても好き。きっと世界のこともそういう優しい眼差しで見ているのかな、と感じる。








忘れてたけど、3ヶ月前の私はこんなことを書いていた。私の中にあるこういう感性が、Siipに投影されて共鳴している、ということなのかもしれないな、と思った。



人が苦しんでいると思うと、たまらなく悲しくなる。それは、人を思いやる優しさではなく、自分の悲しみなのだ。一生のうちで耐えられる悲しみの量は決まってるんだろうか。許容を超えた悲しみを乗り越えたつもりでも、心はそれを忘れない。ふとした時にその感情だけが沸き上がる。トラウマ、と言うのかもしれない。もう1人の自分は、それも過ぎていくものだと冷静に知っている。でも、悲しさが溢れてきて、流さないと収まらない時があるのだと思う。そんな感情を持つ自分を嫌いじゃないのと同時に平穏な世界に生きる人を羨ましいと思う。こんなに悲しいのは、悲しい自分から目をそらさずにいられるようになったからだとも言える。全ては過ぎていくもので、悲しみも喜びも不足していることも揺らぎも、そのままでいいのだ。