(個人的な重い話を書いています)











母が初めに精神科に入院した時、私は4歳か5歳くらいだったと思う。それから母は多分15年おきくらいに症状が悪くなった。

母はずっと具合が悪いわけではなくて、元気で幸せそうな時間も沢山あった。毎日栄養たっぷりのご飯を作ってくれて、髪を結んでくれて、遠くの海までキャンプに連れて行ってくれた。従兄弟の結婚式には姉とお揃いのワンピースを着て、髪を巻いてもらって、家族で出掛けた。写真が趣味だった父が撮ってくれた家族写真が沢山ある。

精神疾患になりやすい体質というのは多分あって、(つまりは脳の疾患なので)遺伝もあると思う。母は兄弟が多いのだけど、そういう病で亡くなった人もいる。子どもだったから詳しいことは教えてもらわなかったけれど、とにかくそういう話が日常的にあった。

そして、そういう人と暮らすのは相当しんどい。もちろん本人が1番苦しいのだけど、受けとめきれずに突き離したことが沢山ある。逃げるように家を飛び出してワンワン泣きながらドライブしたこともあった。当たり前に、ただそういう日々を過ごしていた。私は母のことがとても心配だったで、何かに手を合わせて祈る時は、必ず「母の心が少しでも穏やかに苦しみのないものになるように守ってください」とお願いしていた。



数年前からは、母と私は色々な事情から物理的な距離を取ることになった。「色々な事情」は、本当に色々あった。その幾つかは、思い出そうとするだけで軽く吐き気をもよおすほどのヘビーさで、思い出す必要はないので、もう思い出さないと思う。

物理的な距離のおかげで、私は穏やかな日常を過ごせるようになった。話を聞いてくれた人たちや、沢山読んだ本や、旅行先で出会った感動的な風景や、外国の様々な価値観や、困難に負けずに笑う姿を見せてくれるエンターテイナーや、愛情を込めて世界を見つめる映画監督や、そんなものたちのおかげで、生きてることは悪くない、と思えている。

それでも、母のことを思うと2秒で涙が出る。例えば、母が闘ってる病の苦しさを思って。それから、母とフラッと入った焼き鳥屋で「お母さん焼き鳥屋さん初めて」と言った母の可愛らしさを思い出して。幸せな思い出も、やっぱり号泣のスイッチを押す、いまだに。幸せと後悔と納得と申し訳無さと温かさと感謝と悲しみと…、そういった思いが込み上げてくる(言葉に出来ない思いが込み上げて流れる涙って、私にとってはそういうもので)。泣いてスッキリするものではないので、泣かないように気持ちをコントロールして鎮める。










「自分の幸せを探す」ということは、つまり「幸せを感じる訓練をする必要があった」と考えてしまう私には、オニュさんが太陽礼拝をして、シャバーサナでリラックスしている姿は、なかなか胸にグッときた。

私も、急に泣きたくなった時や、自分がダメなんじゃないかと思いそうになった時に、心を守るための訓練を続けようと思っているから。