“父親とはこうあるべき”を手放すと見えてくるもの | 選手が心を傾けるスポーツコーチ ヤディ(八所和己)

“父親とはこうあるべき”を手放すと見えてくるもの

仕事を終えて帰宅すると、
リビングの隅でブロックを
積み上げている子どもが目に入る。

「パパ見て!」
と得意げに差し出すその笑顔に、
思わず
「すごいな」と
言いながらも、
携帯の通知に
目がいってしまう。

そんな瞬間が、
きっと誰にでもあるはずです。

父親の子育ては、
特別なことのようでいて、
本当は何も特別ではありません。

母親任せにせず、
日々を分け合いながら
子どもと関わること。

それだけで、
十分なのです。

一緒に遊ぶ、話す。
食事、入浴、寝かしつけ、送迎。
そうした“当たり前”を当たり前にやることが、
家庭の安心と信頼の土台になります。

ある日、
子どもと一緒に風呂場で
シャボン玉をしていると、
泡がはじけるたびに、
子どもが声をあげて笑います。

その瞬間、思うのです。
「教えるより、
いまを楽しむことのほうがずっと難しいな」と。
でも、
だからこそ、
父親としての新しい学びがあります。

父親の関わりが多いほど、
子どもの社会性や言語発達、
自己肯定感が高まりやすい。
そんな研究があります。

でも、
本質は、量や回数ではなく質にあります。
そして、
その質を高める鍵こそが
「プレイフルさ」です。

プレイフルとは、
ただ“遊ぶ”ことではありません。

「遊び心を持って、夢中になること」
そして、
「相手を夢中にさせること」。

父親がこの“夢中の空気”を
つくれるかどうかで、
家庭のエネルギーは
まったく変わります。

子どもは、
大人の真剣さよりも、
大人の“楽しさ”に反応します。

その一瞬の笑い、発見、想像の広がりが、
子どもの中で「学び」や「挑戦」の
芽になるのです。

「母親は家庭、父親は外」
そんな分担が
まだどこかに残るなかで、
父親が家庭に
プレイフルな関わりを
持ち込むことは、
家族の空気を柔らかく
ほぐす力を持ちます。

父親が“特別な存在”である
必要はありません。

むしろ、
同じ目線で笑い合える
距離にいてほしい。

母親も父親も、
ただの大人として。
それぞれの個性のまま
関わり合えば、それでいいのです。

ある父親は言います。
「子どもの笑顔を見ていると、
“教える”よりも
“教わる”ことの方が多いんですよ」と。

その言葉どおり、
私たちは子どもから、
“夢中になる方法”をもう一度
学び直しているのかもしれません。

「父親とはこうあるべき」
という枠を握りしめていると、
その遊び心は、
どんどん失われていきます。

理想を掲げ、
きれいな型にはめようとすればするほど、
子どもは自由を失い、
関係は窮屈になります。

「自律してほしい」と願いながら、
「あれはダメ」「これをしなさい」と言っていたら、
本当の“主体性”は育ちません。

親がつくるべきなのは、
完璧なルールではなく、
冒険できる“枠です。

抜け道があってもいい。
たまに鍵が壊れていてもいい。

そんな不完全でおもしろい
“アドベンチャーワールド”こそが、
子どもの探究心や
創造力を引き出します。

子どもは、
育てなくても、
育ちます。

だからこそ、
父親ができるのは、
観察すること。
聴くこと。
そして、夢中になること。

“教える力”より、
“一緒に楽しむ力”。

それが、
これからの父親の新しいスキルです。

“父親とはこうあるべき”という小さな枠を手放したとき、
見えてくるのは――
家族がひとつのチームとして、
生き生きと成長していく世界です。
父親がプレイフルであること。
それは、
子どもが「人生って楽しい」と感じるための、
最初のサインなのかもしれません。

プレイフルな関わりを、
一緒に考えてみませんか?