スポーツの枠を越えて マルチな経験が未来を創る | 選手が心を傾けるスポーツコーチ ヤディ(八所和己)

スポーツの枠を越えて マルチな経験が未来を創る

こんばんは。
プレイフルコーチの
ヤディです。

私は幼少期、
たくさんのスポーツをやってきました。

3歳でスキー、4歳から体操と水泳。
9歳からヨット、11歳から野球。

父親がすべて決めました。
私には意思はなかった。

中でも
ヨットは苦痛だった記憶があります。

ヨットは嫌でしたね。
なぜか?

毎週日曜日の朝、江の島まで行く。
父親の運転で連れて行ってもらいます。

当時車酔いがひどくて
ヘビースモーカーの父親の車で
毎週酔っていました。

気分が悪いまま到着。
そこで厳しい先輩たちに
怒られながら準備します。

この時間がとても苦痛でした。
さらに、1人用のヨットに乗っていたのですが、
とても孤独な時間を過ごしていたんです。

風がない日は進まないので、本当に嫌になる。
風があるとスピードが出るので怖い。
風をつかむセンスもなかったようで、
常に後ろの方を走っていました。

セーリングがうまい子たちと
仲良くなれず、
東京から来ている子も少なかったので、
アウェイ感満載でした。

一度だけ諏訪湖の
ヨットレースに出たことがあって、
真ん中より少し前の11位でフィニッシュ。

すごく良くもなくダメでもなく。
満足感は全くありませんでした。

やらされている&厳しい&仲間ができない。
これじゃ楽しいわけないですよね。

それでも小学校3年から中学3年までは続けました。
本来は高校3年まであるのですが、
ラグビーを始めたきっかけで途中退部しました。

子供の頃は親が決めたスポーツをやることが
多いと思います。

親はそのスポーツに魅力を感じて
やらせるのでしょう。

でも、それが必ずしも
子供とマッチするとは限りません。

子供は本当に楽しんでいるか?
ということを見てあげることは
大切だなと思います。

私の場合は次男ということもあり、
兄がやっていたスポーツを
必然的にやるという流れでした。

そうなると兄と比較されるのが
また嫌な瞬間でした。

それでもやめなかったのは
純粋にスポーツは好きだった。
そして、
義務感からだと思っています。

スキーは20歳くらいまでやりました。
ヨットは中学3年生。
体操と野球は小学校を卒業と同時に辞めています。

その後中学ではソフトテニスをやるんですが、
それも父と兄の影響でした。

ソフトテニスも嫌いではありませんでしたが、
やっぱり3年生になった頃は飽きていました。

自分で決めたわけではなかったので
思い入れが足りなかったのかもしれない。

他のスポーツも
楽しいとは感じていたが、
長く続けるというイメージはなかった。

高校生になったらソフトテニス以外のスポーツを
やろうと決めていました。

そして、ラグビーを選択。
初めて自分で決めた競技でした。

言うまでもない。
見事にハマりました。

それでも父親には感謝しています。
たくさんのスポーツを
やらせてもらえたということ。

これは貴重な体験でした。
身体を動かす楽しさを実感できたと思います。
そして、スポーツの楽しみ方を
覚えたような気がしています。

私が中学までのスポーツで学んだことは2つです。
1つ目は、身体の動かし方の豊かさ。
2つ目は、継続と責任です。

競技を絞らずにマルチにやってきたことで、
いろんな動きを無意識に習得しました。

そして、いろんなスポーツを同時にやる
継続することの素晴らしさも知りました。

遊び感覚でやる体操やスキー。
ガチで真剣勝負のヨット。
その中間の野球。

それぞれの経験が後の自分の経験に
活かされていると思っています。

そして、中学でテニス部の主将をやったことで、
責任を知りました。

スポーツにたくさんのことを教えられました。
父がどんな思いでスポーツをやらせてきたのかは
もう今は聞くことができませんが、
マルチスポーツの経験は今の人間形成に
活かされていると思います。

スポーツの環境としては恵まれていて、
スポーツは遊びの一環だという意識。

複数のスポーツを同時にやることで
子供は学ぶことが一気に増えるんじゃいかなって。

そして、自分で決めてやることがベストです。

マルチスポーツは、
スポーツの視点を変えます。

もし、今一つの競技に息詰まっているとしたら、
もう一つ、別の競技をやってみるという選択も
良いかもしれません。

プレイフルコーチ ヤディ