不動産宣伝広告との出会い | 選手が心を傾けるスポーツコーチ ヤディ(八所和己)

不動産宣伝広告との出会い

wavecom社長のヤディです。

 

不動産宣伝広告と出会って27年が経ちました。

 

振り返ると長い。

 

結構覚えているものです。

 

広告代理店に入社して2年目に営業1部の不動産担当になりました。

 

後にwavecomを立ち上げる先輩と入れ替わりです。

 

担当は大手デベロッパー。この会社のトップダウンの仕事です。

 

以前イベント会社で働いていた私は過酷な労働には慣れていました。

 

配属されると上司と一緒に挨拶。クライアントのムードメーカーの方に

 

「〇〇は皆色が黒いね」と言われたことを覚えています。

 

最初の物件は川口。クリアランスでした。

 

チラシの打合せに立ち会って、CLとデザイン事務所のディレクターの話を聞いていて

 

さっぱりわからなかったことを覚えています。

 

挨拶が終わるとすぐに一人で放り出されたので、CLに色々と教わるという

 

イレギュラーな形でした、しかし、ここの会社ではそれが普通だったのです。

 

ハウスエージェンシーがあったので、そことのやりとりになるというのも

 

CLから教わる理由の一つでもありました。

 

最初の新規物件は座間。

 

当時の分譲マンションは郊外が主流だったので、都内よりも周辺の神奈川・埼玉・千葉の

 

物件が多かった記憶があります。

 

とにかく終わりが遅いことと、拘束時間が長いこと。

 

打合せは最低2時間。

 

今では考えられないほど、アナログかつブラックでした。

 

でも若かった私はそこにやりがいを見つけていたように思います。

 

当然版下の時代であり、色校がでるまでどんな色で仕上がるかはデザイナーの

 

頭の中だけにしかなかった時代です。

 

当時のデザイナーは色指定を全て把握しており、プロフェッショナルな仕事だなと

 

関心した記憶があります。フォントも色も指定する。

 

フォントは写植屋さんが、色は印刷屋が表現します。

 

デザイナーはディレクターだったとも言えます。

 

バブルがはじけて、世の中はその余韻に浸っていた時代。

 

マンションはここからとんでもないブームへと突っ走っていくことになります。

 

当然我々の仕事もとんでもないことになっていきます。

 

マンションブームの火種ができた頃なんだと思います。

 

そして不動産宣伝広告の世界はどのように変わっていったのでしょうか?