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メインウェーブ日記

気になるニュースやスポーツ、さらにお小遣いサイトやアフィリエイトなどのネットビジネスと大相撲、競馬、ビートルズなど中心

空腹なのに食欲がわかない吐きたいのに吐けないときの食材
水分不足の胃の炎症にはネバネバ食品を

「お腹はすいているのに食欲がわかない」「吐き気はするけど嘔吐できない」
こんな症状がたびたび見られる人は、体内の水分不足が不調の原因かもしれません。潤い不足から胃の粘膜の働きや胃液の分泌が低下し、胃が炎症を起こしている可能性があります

好んで辛いものを食べる人に多いほか、加齢で体内の水分量が減少することで発症する人もいます
このタイプは唾液の分泌が減って口が渇くため水分を欲しがりますが、冷たい水分は炎症を悪化させる場合があるので注意してください

症状の改善をめざすなら、何より胃に潤いを与える食材を積極的にとりましょう
その代表は「ネバネ食材」です
納豆やめかぶ、オクラやれんこん、長いもなどを料理にアレンジしましょう

もうひとつのおすすめは、たんぱく質と緑黄色野菜の組み合わせ
たんぱく質は胃粘膜の修復に欠かせない材料であり、緑黄色野菜は胃酸の分泌抑制と胃粘膜の保護に働くため、この2つがタッグを組めば健康な胃をくる理想的な献立が生まれます
ただし、たんぱく質のとり過ぎは胃酸の分泌を増やし、逆流性食道炎のリスクを高める可能性も。バランスのとれた食事が肝心です

たんぱく質なら消化のよい白身魚、豆腐、鶏のささみ、緑黄色野菜ではほうれん草、ブロッコリー、かぼちゃ、にんじんなどがおすすめです


胃の粘膜をつくってくれるネバネバ食材がおすすめ
ネバネバした食材に含まれる成分には、胃の粘膜を保護して胃酸から守る働きがあります。消化にいい食材も多いので積極的に食べましょう


※大量に食べることはイメージしていません
また、胃がかなり弱っている場合は「食物繊維」が豊富な食材は控えましょう

たんぱく質×緑黄色野菜で胃粘膜を守る


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 胃と腸の話』著:福原 真一郎

(この記事はラブすぽの記事で作りました)

ネバネバは身体にいいとはよく聞きます

 


胃と腸を整えれば、あらゆる不調はみるみる良くなる!
食事など、体に入るものの入口である胃、消化吸収の要である腸、その本来の力を取り戻すための効果絶大な方法だけを大公開!

太りやすい、病院に行ってもわからない慢性的な不調がある、疲れがすぐに溜まる、など、そんな悩みの原因は“胃と腸”が疲れているからかもしれません
また、胃と腸はメンタルとも密接に関わりがあり、痛みや不快症状が出やすい内臓でもあります。そんな胃と腸の状態が回復することで、その他の内臓や全身の機能がみるみるよみがえり、肥満、健康診断の数値、疲労感などが消えていきます
本書では、そもそも胃と腸の働きとは?といった基礎知識から、みるみる痩せる本来の胃の大きさに戻す方法、胃腸が一気に整う漢方や薬膳、さらにすごいスパイスカレーなども紹介
さらに過敏性腸症候群を改善するための座り方など、効果的な方法を厳選して紹介します
さらに今の自分はどんな状態なのか簡単にわかるチェック法なども掲載し、自分の体と向き合えます
どれも簡単にできる方法ばかりなので、ストレスで胃と腸の調子がよくない、なんとなく不調が続いている、という方にはぜひ手に取って頂きたい一冊です

胸やけ、吐き気、ゲップにうんざり 胃の熱をとりたいときの食材
お酒好きの胃熱は酸味で解決できる

胃に熱がこもりやすい胃熱タイプの人は、熱を冷ます食材を食事にうまく取り入れてください
東洋医学では、胃の熱を冷ますのは体の水分を排出して熱をとる「苦味」です
苦味成分を含む食材にはレタスやアスパラガス、ゴーヤなどのほか、緑茶やコーヒーなどがあります

水分に加えて潤いも補給するならトマトがおすすめ
トマトには体内の水分循環を促し、代謝で生まれる余分な熱を冷ます作用がります
とくに夏は水分不足になりがちですが、トマトなら水や飲料よりも健康的に体を潤すことが可能です

りんごの熱を下げる効果も注目に値します
東洋医学では「清熱生津(熱を下げて体で水分をつくる)」、「清肺止瀉(肺の熱を取って下痢などを治す)」と呼ばれる2つの作用をりんごがもつとしています
さらに、保水効果もあるため、体に潤いを供給しつつ、脱水症状の予防にも働くわけです
食欲旺盛で胸やけがしたり、ゲップが多かったりする人は、紹介している食材も含めて、いつもの食卓にトマトやりんごを取り入れてみてはいかがでしょうか

また、お酒を飲むと食が進み胃熱になる人がいますが、最善策としては酸味のあるおつまみを多くとること
酸味は胃の収縮と過剰な発熱を抑制するため、食欲が抑えられて食べ過ぎを防ぎます

酢の物や柑橘類がおすすめです

余分な熱をとって潤いをもたらす食材

豆腐
大豆には体を冷やす性質があり、豆腐は体が発熱しているときや体温が高いときに体の余分な熱を冷ましてくれます
消化もいいので胃腸に負担がかかりません

トマト
トマトの90%以上は水分で、のどを潤し、体温を下げるのに役立ちます
また含まれるカリウムが、体の余分な熱が尿とともに排出されるのを助けます

りんご
りんご特有のリンゴ酸には、体内の炎症を抑える効果があり解熱作用が期待できます
体内の水分バランスを整える作用もあり、すりおろすと胃と腸にやさしい

緑豆もやし
熱を体外に逃がす働きが期待できます
カリウムを豊富に含み、体内の余分な水分を排出する作用もあるため、むくみの改善にも効能を発揮します

オレンジ
東洋医学の観点から、オレンジの酸味は体の熱を冷まして潤いを与える食材として重宝されています
余分な熱を排出してくれるカリウムも含まれています

お酒の飲み過ぎで熱がたまりやすい人は「酸味」をとるのがおすすめ

胃を縮ませて過剰に熱をつくるのを抑え、食べ過ぎを防いでくれます

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 胃と腸の話』著:福原 真一郎

(この記事はラブすぽの記事で作りました)

 


胃と腸を整えれば、あらゆる不調はみるみる良くなる!
食事など、体に入るものの入口である胃、消化吸収の要である腸、その本来の力を取り戻すための効果絶大な方法だけを大公開!

太りやすい、病院に行ってもわからない慢性的な不調がある、疲れがすぐに溜まる、など、そんな悩みの原因は“胃と腸”が疲れているからかもしれません
また、胃と腸はメンタルとも密接に関わりがあり、痛みや不快症状が出やすい内臓でもあります。そんな胃と腸の状態が回復することで、その他の内臓や全身の機能がみるみるよみがえり、肥満、健康診断の数値、疲労感などが消えていきます
本書では、そもそも胃と腸の働きとは?といった基礎知識から、みるみる痩せる本来の胃の大きさに戻す方法、胃腸が一気に整う漢方や薬膳、さらにすごいスパイスカレーなども紹介
さらに過敏性腸症候群を改善するための座り方など、効果的な方法を厳選して紹介します
さらに今の自分はどんな状態なのか簡単にわかるチェック法なども掲載し、自分の体と向き合えます
どれも簡単にできる方法ばかりなので、ストレスで胃と腸の調子がよくない、なんとなく不調が続いている、という方にはぜひ手に取って頂きたい一冊です

胃がスーッとラクになる消化を助けたいときの鉄板食材
胃と腸が弱い人はキャベツと大根を常備

消化不良による胃のもたれやムカつき、吐き気などに襲われがちな方は、食材選びだけで症状が軽減されることがあります

まずおすすめなのがキャベツです
豊富に含まれるキャベジン(ビタミンU)には、消化を助ける酵素が多く含まれており、胃もたれや胸やけの軽減が期待できます。消化の悪い揚げ物にキャベツの千切りが付くのは、こんな理由があるからです
さらに、胃酸の分泌を抑えて胃腸の粘膜を保護してくれるため、胃潰瘍や十二指腸潰瘍の予防・改善にも役立つとされています

消化を助けるもうひとつの食材は大根です
さまざまな消化酵素を含み「自然の消化剤」といわれるほどの強力な働きを見せます
生で食べると胃を冷やし、加熱すると胃を温めるという逆の作用になるため、状況や症状に応じて使い分けが必要です

そのほか、玉ねぎやパイナップル、きのこ類や緑黄色野菜の効用も見逃せません
玉ねぎの辛み成分である硫化アリルは、胃液の分泌を促して食欲の増進をはかります
パイナップルにはブロメラインというたんぱく質分解酵素が含まれているので、肉や魚と一緒に食べることで消化効率が高まるのです
胃や腸の働きを整える代表的な食材を紹介しました。身近なものばかりですから、いつものレシピにぜひ加えてみてください


胃の働きを促進して消化を助けてくれる食材

キャベツ
キャベジン(ビタミンU)が豊富で、胃の粘膜を保護し、胃酸の分泌を抑えてくれます
また、でんぷんを分解するジアスターゼも含まれ、消化を助けてくれる働きが


大根
でんぷんの消化を助ける酵素ジアスターゼが含まれています
ジアスターゼは熱に弱いため、生食が最適
とくに大根おろしで食べると効果を最大限に摂取できます


山いも
でんぷんを分解する消化酵素のジアスターゼの含有量は大根の2 ~3倍ともいわれています
そのまま食べてもいいですがすりおろすことでより効果を発揮


にんじん
豊富に含まれるβ-カロテンは体内でビタミンAに変換され、荒れた胃粘膜の修復や保護に役立ちます
また水溶性食物繊維のペクチンは腸内環境を整え、便通を改善


なめこ
ヌルヌルしたぬめり成分(ペクチン)が、消化を助け、胃の粘膜を保護します
消化液による刺激から粘膜を守り、胃もたれや胃痛を予防する効果が期待できます


パイナップル
消化を促すブロメラインはたんぱく質分解酵素(プロテアーゼ)の一種で、胃もたれや消化不良を防止
 また、クエン酸も含まれ、胃酸の分泌を促し、消化を助けます


玉ねぎ
たんぱく質分解酵素のプロテアーゼが含まれ、消化を促進します
また、生の玉ねぎに含まれる硫化アリルは、胃液の分泌を促しますが、食べ過ぎると逆効果に


ブロッコリー
キャベツから発見され、胃薬などにも使われるビタミンU(キャベジン)が豊富に含まれていま期待できます


きのこ類、緑黄色野菜
ビタミンAは胃の粘膜を強化し、胃の消化を助け、働きをよくしてくれる!

※大量に食べることはイメージしていません
また、胃がかなり弱っている場合は「食物繊維」が豊富な食材は控えましょう

胃酸の分泌を抑え、胃粘膜の修復を助ける効果が

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 胃と腸の話』著:福原 真一郎

(この記事はラブすぽの記事で作りました)

 


胃と腸を整えれば、あらゆる不調はみるみる良くなる!
食事など、体に入るものの入口である胃、消化吸収の要である腸、その本来の力を取り戻すための効果絶大な方法だけを大公開!

太りやすい、病院に行ってもわからない慢性的な不調がある、疲れがすぐに溜まる、など、そんな悩みの原因は“胃と腸”が疲れているからかもしれません
また、胃と腸はメンタルとも密接に関わりがあり、痛みや不快症状が出やすい内臓でもあります。そんな胃と腸の状態が回復することで、その他の内臓や全身の機能がみるみるよみがえり、肥満、健康診断の数値、疲労感などが消えていきます
本書では、そもそも胃と腸の働きとは?といった基礎知識から、みるみる痩せる本来の胃の大きさに戻す方法、胃腸が一気に整う漢方や薬膳、さらにすごいスパイスカレーなども紹介
さらに過敏性腸症候群を改善するための座り方など、効果的な方法を厳選して紹介します
さらに今の自分はどんな状態なのか簡単にわかるチェック法なども掲載し、自分の体と向き合えます
どれも簡単にできる方法ばかりなので、ストレスで胃と腸の調子がよくない、なんとなく不調が続いている、という方にはぜひ手に取って頂きたい一冊です

現代ではウサギ肉は、地中海沿岸諸国やフランス、ベルギーなどで高級食材として珍重され、さまざまな料理法で楽しまれています

しかし、ウサギが食卓にのぼるまでの歴史は、味や栄養だけでは語れません

中世ヨーロッパでは、宗教上の戒律や身分制度、農業の発展、さらには動物の分類をめぐる混乱までが絡み合い、ウサギの食文化は驚くほど複雑な歩みをたどることになったのです

古代ローマから中世、そしてルネサンス期に至るまでのヨーロッパにおけるウサギ食文化の流れ、そしてなぜウサギがある時代には食用とされ、また別の時代には禁忌とされたのか、その理由に触れていきます

古代ローマにおけるウサギと食の関係

ヨーロッパでウサギが食材として登場する最初の記録は、古代ローマまでさかのぼります

博物学者プリニウスは大著『博物誌』の中で、若いウサギ、特に胎児や離乳直後のものを「ラウリケス(Iauriices)」と呼び、珍味として扱われていたと記しています

これは主に上流階級の間で楽しまれていた食文化の一環であり、一般の庶民にはなかなか手の届かない嗜好品でした

ローマ人はウサギを囲い地に集めて、半ば自然のまま飼う方法をすでに試していました
まだ本格的な家畜化とはいえませんが、人の手で管理する初期の試みだったとされています
とくにイベリア半島では、その旺盛な繁殖力が注目され、経済的な価値も見出されていました

ただし、当時のウサギは現在の家畜ウサギとは異なり、野生種に近いものでした

家畜化は中世や近世を通じて、徐々に進んでいったと考えられています

キリスト教の世界観と断食規定

中世に入ると、ヨーロッパの食文化はキリスト教の戒律に大きく規定されるようになりました

特に四旬節や金曜日などの断食日には、肉食が禁じられ、魚や一部の水棲生物のみが許される慣行が広まりました

この中でウサギは哺乳類であるため、断食期間中の摂取は原則として禁じられていたのです

しかし、例外的な記録も残っています

6世紀の歴史家グレゴリウス(トゥール司教)は『フランク人の歴史』の中で、ある人物が四旬節のさなかにウサギの胎児を食べたと記しています
ただしこの話は批判的な文脈で紹介されており、当時の教会が正式に認めていたわけではありません

しかし、こうした逸話はやがて誇張され、「教会がウサギを魚と認めた」という俗説が広まっていきました

その中でも有名なのが「教皇グレゴリウス1世がウサギの胎児を魚とみなした」という説ですが、これは前述したグレゴリウスとの混同から生まれたもので、現存する教令や史料にはそのような認定は一切見られません

つまり、断食中のウサギ食については、教会として統一された決まりがあったわけではなく、地域ごとの慣習や修道院の解釈、あるいは個人の判断に委ねられていた可能性が高いのです

中世社会におけるウサギの家畜化と管理体制

中世になるとウサギの飼い方も少しずつ変わり、とくに12世紀以降は、封建領主の荘園で本格的に管理されるようになります

そこで登場したのが「ワレン(warren)」と呼ばれる専用区画で、ウサギを飼い、狩り、増やすことまで計画的に行われるようになりました

こうした仕組みが整えられた背景には、ウサギの肉や毛皮に対する需要の高まりがありました

都市の成長とともに市場も広がり、食材としての肉や衣料用の皮が広く流通するようになったのです
また、飼育下での繁殖によって野生性が徐々に薄れ、現代に近い家畜種への変化が進んだとされています

同時に、ウサギは領主の支配力を示す象徴でもありました。中世の後期には、庶民が無断で捕えることが禁じられ、処罰の対象となった例もあります

ウサギはすでに「ただの動物」ではなく、領地の収益を生む資源として扱われていたのです

ウサギにまつわる神話と、ルネサンス以降の再評価

中世の終わりからルネサンスにかけて、自然科学や分類学が発展し、動物の生態や体のしくみに対する理解も深まっていきました

それにあわせて、ウサギに関する迷信や誤解も少しずつ解かれていきます
とくに「ウサギの胎児を魚に分類する」といった説は、近世の博物学の中で否定されました

とはいえ、一度広まった話は簡単には消えません

19世紀以降の文献にも「教会がウサギを魚と認めた」と書かれることがあり、学術的には否定されているにもかかわらず、一般の通念として長く残り続けました

一方で、ルネサンス以降の食文化においてウサギは再評価され、とくにフランス料理の発展とともに、繊細な味わいをもつ高級食材としての地位を固めました

この時代には家畜化もほぼ完成し、ウサギはもはや特権階級だけのものではなく、市場で広く取引される身近な食品になっていきました

このように、ウサギの食文化は宗教の戒律や身分制度、動物観、そして自然との関わり方など、さまざまな要素が絡み合って形づくられてきました

現代においてウサギ肉は再び高い評価を受けていますが、その背景には長い歴史の積み重ねがあったのです

参考資料:
「中世の食生活」/ブリジット・アン ヘニッシュ
「プリニウスの博物誌〈縮刷版〉2」/中野定雄, 中野里美, 中野美代訳
The distribution of rabbit warrens in medieval England:an east–west divide?/David Gould
文 / 草の実堂編集部

(この記事は草の実堂の記事で作りました)

現代ではウサギ肉は、地中海沿岸諸国やフランス、ベルギーなどで高級食材として珍重され、さまざまな料理法で楽しまれています

しかし、ウサギが食卓にのぼるまでの歴史は、味や栄養だけでは語れません

中世ヨーロッパでは、宗教上の戒律や身分制度、農業の発展、さらには動物の分類をめぐる混乱までが絡み合い、ウサギの食文化は驚くほど複雑な歩みをたどることになったのです


【ウサギ肉の禁忌と美食】古代ローマからルネサンスまでの知られざる食文化史・・・


ウサギにまつわる神話と、ルネサンス以降の再評価

中世の終わりからルネサンスにかけて、自然科学や分類学が発展し、動物の生態や体のしくみに対する理解も深まっていきました

それにあわせて、ウサギに関する迷信や誤解も少しずつ解かれていきます
とくに「ウサギの胎児を魚に分類する」といった説は、近世の博物学の中で否定されました

とはいえ、一度広まった話は簡単には消えません

19世紀以降の文献にも「教会がウサギを魚と認めた」と書かれることがあり、学術的には否定されているにもかかわらず、一般の通念として長く残り続けました

一方で、ルネサンス以降の食文化においてウサギは再評価され、とくにフランス料理の発展とともに、繊細な味わいをもつ高級食材としての地位を固めました

この時代には家畜化もほぼ完成し、ウサギはもはや特権階級だけのものではなく、市場で広く取引される身近な食品になっていきました

このように、ウサギの食文化は宗教の戒律や身分制度、動物観、そして自然との関わり方など、さまざまな要素が絡み合って形づくられてきました

現代においてウサギ肉は再び高い評価を受けていますが、その背景には長い歴史の積み重ねがあったのです


 

 


食事の時間と回数、調理師と台所、調理法と献立、食卓の用意、食事の作法、断食の難行、宴席と余興など、聖書と教会の絶大な影響の下での13-15世紀西洋社会の食生活の実態を、祈祷書から勘定書にいたる綿密な文献渉猟を通して描き出す

妻を他人に貸す古代の婚姻慣習

古来より中国の婚姻は、時代ごとの社会状況や人々の暮らしぶりに応じて姿を変えてきた

豊かな時代には夫婦の結びつきが重んじられたが、戦乱や飢饉、貧困が広がると、家族のかたちすら大きく揺らいだ

その中で現れた風習のひとつが「典妻(てんさい)」である

典妻とは、夫が自分の妻を一定期間、他人に「貸し出す」形で成立した特殊な婚姻慣習のことである

「典」とは抵当や質入れの意味を持ち、妻を物品のように他者に譲り渡す契約を指していた
契約が成立すると、妻は承典人(しょうてんにん : 妻を借り受けた者)に移り、事実上の妻として過ごすことになる

期間が満了すれば、妻は元の夫のもとに戻ることもあったが、そのまま戻れずに他人の妻として売られてしまうことも少なくなかった

重要なのは、この慣習が単なる性的な貸与にとどまらず、「子を産ませる」ことを大きな目的にしていた点である

承典人の家で生まれた子はその家の子として扱われ、姓を継ぎ、財産の相続権を認められる場合もあった
つまり、女性は単なる労働力や慰みではなく、家を継がせるための出産をも担わされていたのである

契約内容によっては、家事や奉公などの労働を伴う「典貼(てんてい)」の形もあり、実質的に奴婢と変わらない扱いを受けることも多かった

また「典妻」は妻に限定されず、妾や婢女も対象となった

社会的に地位の低い女性ほど対象にされやすく、彼女たちは夫の経済的困窮や負債の犠牲となったのだ

「典妻」が広がった時代背景

「典妻」という慣習が生まれ、広がっていった背景には、いつの世にも戦乱や飢饉といった社会不安があった

古代から中世にかけて、中国の庶民生活は戦争や天災に左右されやすく、米や衣服といった最低限の生活資源さえ欠乏することが珍しくなかった

家族を養えないほど困窮した夫が、最後の手段として妻を「典妻」に出し、その見返りで生活をつないだのである

史料に残る記録をたどると、その発端は戦国期(紀元前5世紀から紀元前3世紀頃)からすでに見られる

戦国時代の法家・韓非が著した『韓非子』六反には、次のようにある

「天饑歲荒,嫁妻賣子者,必是家也」

意訳 : 天候不順や飢饉で食糧が不足すると、妻を嫁に出したり子を売ったりする家が必ず出てくる。

『韓非子』六反より

こうした光景はその後の時代にも見られ、前漢から南北朝時代にかけては「質妻」「質子」といった記述が残されており、重い税や戦乱に追い詰められた人々が、妻や子を抵当にして金を得る習慣が広まっていたことがうかがえる

やがて宋代に入ると、この慣習はより広く民間に定着し、役人や富裕層があえて貧しい農民に金を貸し付け、返済条件として妻女を差し出させるといった不正も横行した

元代以降もこの流れは止まらず、元の法律書『元典章』にも「典妻雇子成俗久矣(妻を典に出したり、子を雇わせたりすることは、すでに長く当たり前のことになっている)」と記されている

特に江南や浙江といった、人口が集中し商業も活発な地域では、典妻は「一時的に家計を支える方策」として常態化していた

明末から清代にかけて社会不安が増すと、典妻はさらに広がり、貧困家庭にとっては「生きるための選択肢」の一つとなっていった

つまり典妻は、時代ごとの社会不安と庶民の貧困が作り出した産物だったのだ

法令による禁止
このように、典妻は中国史において長らく庶民社会に根を下ろしたものの、各時代の為政者たちはそれを容認していたわけではなかった

唐律では典妻した場合は婚姻を解消とみなし、夫に刑罰を科すと定められていた
明代には夫に杖一百、妻に杖八十という厳しい罰まで設けられた

清代もそれを引き継ぎ、法律の上では典妻は禁止されていたのである

ところが、現実はまったく違っていた

清の時代、とくに「太平天国の乱」のあとは社会が大きく乱れ、農民の生活は困窮を極めた

食べるものもなく借金に追われた家庭では、典妻して当座の金を得るしかないという状況が広がったのである

典妻された女性は承典人の家で子を産み、その子はその家の姓を継ぐ
妻を貸す側も借りる側も「仕方ない選択」として受け入れていたが、犠牲になるのは女性だった

清政府はたびたび禁令を出したが、地方では黙認されることが多く、典妻は庶民の暮らしの中で続いていった

この慣習がようやく減っていったのは、20世紀に入ってからである。

中華民国の時代にも農村では典妻が続き、文芸作品の題材として女性の悲劇が描かれた
都市では、妻を社交や利益のための道具として扱うような、新しい形の「典妻」を描いた小説も生まれている※柔石『为奴隶的母亲』など

中華人民共和国成立後は、旧来の封建的な婚姻慣習を一掃する運動のなかで、典妻は完全に廃止された
しかし、それまで続いた長い歴史と女性の犠牲は、文学や民間の記憶として今も語り継がれている

典妻は、単なる過去の慣習ではなく、戦乱や貧困が人々の倫理や家庭をいかに揺るがしたかを示す、生々しい歴史の痕跡といえるだろう

参考 :『韓非子』六反『元典章』『南齊書』他
文 / 草の実堂編集部

(この記事は草の実堂の記事で作りました)


妻を他人に貸す古代の婚姻慣習

古来より中国の婚姻は、時代ごとの社会状況や人々の暮らしぶりに応じて姿を変えてきた

豊かな時代には夫婦の結びつきが重んじられたが、戦乱や飢饉、貧困が広がると、家族のかたちすら大きく揺らいだ

その中で現れた風習のひとつが「典妻(てんさい)」である

典妻とは、夫が自分の妻を一定期間、他人に「貸し出す」形で成立した特殊な婚姻慣習のことである

「典」とは抵当や質入れの意味を持ち、妻を物品のように他者に譲り渡す契約を指していた
契約が成立すると、妻は承典人(しょうてんにん : 妻を借り受けた者)に移り、事実上の妻として過ごすことになる

期間が満了すれば、妻は元の夫のもとに戻ることもあったが、そのまま戻れずに他人の妻として売られてしまうことも少なくなかった

重要なのは、この慣習が単なる性的な貸与にとどまらず、「子を産ませる」ことを大きな目的にしていた点である

承典人の家で生まれた子はその家の子として扱われ、姓を継ぎ、財産の相続権を認められる場合もあった
つまり、女性は単なる労働力や慰みではなく、家を継がせるための出産をも担わされていたのである

契約内容によっては、家事や奉公などの労働を伴う「典貼(てんてい)」の形もあり、実質的に奴婢と変わらない扱いを受けることも多かった

また「典妻」は妻に限定されず、妾や婢女も対象となった

社会的に地位の低い女性ほど対象にされやすく、彼女たちは夫の経済的困窮や負債の犠牲となったのだ



典妻は中国史において長らく庶民社会に根を下ろしたものの、各時代の為政者たちはそれを容認していたわけではなかった

唐律では典妻した場合は婚姻を解消とみなし、夫に刑罰を科すと定められていた
明代には夫に杖一百、妻に杖八十という厳しい罰まで設けられた

清代もそれを引き継ぎ、法律の上では典妻は禁止されていたのである

ところが、現実はまったく違っていた

清の時代、とくに「太平天国の乱」のあとは社会が大きく乱れ、農民の生活は困窮を極めた

食べるものもなく借金に追われた家庭では、典妻して当座の金を得るしかないという状況が広がったのである

典妻された女性は承典人の家で子を産み、その子はその家の姓を継ぐ
妻を貸す側も借りる側も「仕方ない選択」として受け入れていたが、犠牲になるのは女性だった

清政府はたびたび禁令を出したが、地方では黙認されることが多く、典妻は庶民の暮らしの中で続いていった

この慣習がようやく減っていったのは、20世紀に入ってからである。

中華民国の時代にも農村では典妻が続き、文芸作品の題材として女性の悲劇が描かれた
都市では、妻を社交や利益のための道具として扱うような、新しい形の「典妻」を描いた小説も生まれている※柔石『为奴隶的母亲』など

中華人民共和国成立後は、旧来の封建的な婚姻慣習を一掃する運動のなかで、典妻は完全に廃止された
しかし、それまで続いた長い歴史と女性の犠牲は、文学や民間の記憶として今も語り継がれている

典妻は、単なる過去の慣習ではなく、戦乱や貧困が人々の倫理や家庭をいかに揺るがしたかを示す、生々しい歴史の痕跡といえるだろう


 

 


清朝は中国最後の王朝
北方の異民族(漢人以外)がどのように中国を統治したのか
ヌルハチからラストエンペラーまで栄光と苦悩の270年

絶好調の胃腸をつくる最強の食事
胃腸が快適に働ける環境を整える

東洋医学では「朝食は皇帝・昼食は皇子・夕食は皇后」のように食べることをすすめています
もう少し詳しく説明しましょう
朝は排泄の時間です
消化は排泄を阻害するので、量は食べずにその分、栄養価の高い食物をとるようにします
量より栄養なので卵料理や果物などがおすすめです
まさにゆとりある皇帝の朝の食事ですね

昼は胃や腸の動きが活発です
つまり消化力が最も高まっているので、若い皇子のように量をしっかりとることをすすめています
さらに、活動的な時間帯ゆえ、すぐに使えるエネルギーを補給したいもの
そこで最適なのが炭水化物です
消化に時間はかかりますが、昼なら問題ありません

夜は睡眠の質を高めるためにも、消化のよい物を控えめに食べましょう
さながら皇后の質素な夕食が理想となります
日本では夜の食事に重きが置かれがちですが、健康意識の高いヨーロッパではタ食を軽めにするのが当たり前です
その代わりに昼食をしっかりと食べます

ドイツでのビールが公認されていたり、2時間以上も昼休みをとる国があったりするのはそのためです

この食事法を実践すると、食事と食事の間に消化がスムーズに完了し、胃が空っぽになる時間ができます
これによって機能が温存され、稼働のリズムも整って、胃や腸にとってベストコンディションで働きやすい環境となるわけです



胃を空っぽにする食事バランス
朝は排泄のためにも栄養価の高い物を第一に、消化力の高い昼は炭水化物多めでボリュームがあってもOK

夜は脂質少なめの消化にいいものを選びましょう

元気な胃と腸がもたらすメリット
消化器官が休まり、活発に1日をスタートできる
胃と腸を休ませると、自律神経の切り替えがスムーズに行われ、すっきり起きられます

グーッとなるのは大掃除中のサイン
お腹がグーッとなるのは、食べた物を消化し、胃の内部に残った物の掃除がはじまった証拠

ぐっすり眠れる
消化活動による体の負担が減るので、より深い睡眠がとりやすくなり、睡眠の質が向上します

脂肪が燃えやすくなる
空腹で体がエネルギー不足になると、体脂肪を分解(脂肪燃焼)してエネルギー源にします

脳がリラックスする
胃と脳は自律神経を通じて互いに影響し合っているため、胃が休むと脳も休息モードに


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 胃と腸の話』著:福原 真一郎

(この記事はラブすぽの記事で作りました)

 


胃と腸を整えれば、あらゆる不調はみるみる良くなる!
食事など、体に入るものの入口である胃、消化吸収の要である腸、その本来の力を取り戻すための効果絶大な方法だけを大公開!

太りやすい、病院に行ってもわからない慢性的な不調がある、疲れがすぐに溜まる、など、そんな悩みの原因は“胃と腸”が疲れているからかもしれません
また、胃と腸はメンタルとも密接に関わりがあり、痛みや不快症状が出やすい内臓でもあります。そんな胃と腸の状態が回復することで、その他の内臓や全身の機能がみるみるよみがえり、肥満、健康診断の数値、疲労感などが消えていきます
本書では、そもそも胃と腸の働きとは?といった基礎知識から、みるみる痩せる本来の胃の大きさに戻す方法、胃腸が一気に整う漢方や薬膳、さらにすごいスパイスカレーなども紹介
さらに過敏性腸症候群を改善するための座り方など、効果的な方法を厳選して紹介します
さらに今の自分はどんな状態なのか簡単にわかるチェック法なども掲載し、自分の体と向き合えます
どれも簡単にできる方法ばかりなので、ストレスで胃と腸の調子がよくない、なんとなく不調が続いている、という方にはぜひ手に取って頂きたい一冊です

胃と腸に不調があるときの回復法
食物繊維や脂質、刺激物を控える

胃は外部から食物を直接取り入れるため、さまざまな影響を受けやすく、不調になりやすい臓器です
しかし、同時に回復力が高いため、自分で管理しやすいという特徴もあります
ですから胃腸の調子がすぐれないときは、食生活において以下のような点を試してみてください
意外と早く復調の兆しが見えるものです

まずおすすめしたいのは絶食
消化にかかる時間は胃で2~3時間、小腸で5~8時ですから、10時間ほどのプチ断食で胃と腸を空にして休ませてあげましょう

食材選びという点では、食物繊維を多く含む食品を控えてください
とくにきのこやごぼう、たけのこなどに豊富な不溶性食物繊維は、消化に時間がかかる分だけ腸の負担が高まります
脂質の多い肉類なども同様です

私は「食べたいものは体が欲しているもの。自分の感覚に従い、味付けにも過敏になりすぎなくてよい」と考えています
ただし、それは健康体であるときだけ
食物繊維もたんぱく質も通常は推奨される食べ物ですが、胃や腸に乱れがあるときは、一時的に控えたほうがいいでしょう

また、刺激物といわれる香辛料の効いた食物、アルコールやカフェインを含む飲み物は胃酸の分泌を増やすため、胃の粘膜が刺激されて不調の原因に
これらも避けるのが無難です

胃と腸の調子が悪いときの注意点

1 無理に食べず、断食をして胃と腸を休ませる
食べ物を胃に入れなければ消化機能を使わないので、胃や腸を休ませることが可能です

2 熱すぎるor冷たすぎる物は控える
胃の血流を低下させる冷たい物は消化を妨げ、胃の粘膜を刺激する熱すぎる物は炎症を引き起こす可能性があります

3 食物繊維が多い食材は控える
とくに不溶性食物繊維は腸での消化に時間がかかるので、調子が悪いときは控えたほうがいいでしょう

4 脂が多い物は控える
消化しにくい脂っこい物は、胃に負担がかかり消化不良や胃もたれの原因になります

5 胃酸の分泌を高める物は控える
塩辛い物、甘い物、アルコール、炭酸飲料など、胃酸の分泌を高める可能性があるものは、症状の悪化につながります

6 刺激物を控える
わさびやからしといった香辛料や、コーヒーや紅茶などカフェインを含む飲料は、胃を刺激してしまうので避けましょう



【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 胃と腸の話』著:福原 真一郎

(この記事はラブすぽの記事で作りました)

 


胃と腸を整えれば、あらゆる不調はみるみる良くなる!
食事など、体に入るものの入口である胃、消化吸収の要である腸、その本来の力を取り戻すための効果絶大な方法だけを大公開!

太りやすい、病院に行ってもわからない慢性的な不調がある、疲れがすぐに溜まる、など、そんな悩みの原因は“胃と腸”が疲れているからかもしれません
また、胃と腸はメンタルとも密接に関わりがあり、痛みや不快症状が出やすい内臓でもあります。そんな胃と腸の状態が回復することで、その他の内臓や全身の機能がみるみるよみがえり、肥満、健康診断の数値、疲労感などが消えていきます
本書では、そもそも胃と腸の働きとは?といった基礎知識から、みるみる痩せる本来の胃の大きさに戻す方法、胃腸が一気に整う漢方や薬膳、さらにすごいスパイスカレーなども紹介
さらに過敏性腸症候群を改善するための座り方など、効果的な方法を厳選して紹介します
さらに今の自分はどんな状態なのか簡単にわかるチェック法なども掲載し、自分の体と向き合えます
どれも簡単にできる方法ばかりなので、ストレスで胃と腸の調子がよくない、なんとなく不調が続いている、という方にはぜひ手に取って頂きたい一冊です

イギリスでは、幽霊が出るとされる部屋や屋敷が人気を集め、時にはそうした物件に高い価値がつくこともあります

実際、イギリスには幽霊の名所を巡るツアーが存在し、歴史的な建造物の中には、幽霊の目撃談が多く残る場所も少なくありません

日本では、人が亡くなった後に幽霊や不可思議な現象が報告されると、「曰くつきの物件」として忌避され、お祓いや鎮魂の儀式が行われることが一般的です

一方、イギリスではこうした伝承を観光資源として活用する傾向があり、日本とは大きく事情が異なっています

不気味ながらも多くの人を惹きつけるイギリスの幽霊城と、それにまつわる歴史上の人物たちの関係について詳しく見ていきます


幽霊城の極み「ウインザー城

首都ロンドンから西へ約3.5km、テムズ川の南岸に位置するウインザー城は、イギリス国王が週末を過ごすことでも知られるヨーロッパ最大級の古城です

その起源は11世紀に遡り、征服王ウィリアム1世の治世に築かれました

当初は、盛り土による「モット」と呼ばれる丘の上に城塔(ドンジョン)を建て、周囲を堀と土塁(ベイリー)で囲んだ城塞でした
その後、歴代の王たちによる拡張と改築を経て、現在の壮大な姿へと発展しました

近年では、故エリザベス2世がこの城の聖ジョージ礼拝堂に埋葬されたことも記憶に新しいところです

しかしウィンザー城は、イギリスで最も由緒ある城のひとつであると同時に、最も幽霊の目撃が多い場所でもあるのです

その数は報告されているだけで25体以上にのぼり、その多くが歴史上の著名な人物です

城は王の居城や外交の場としてだけでなく、時には幽閉の場としても利用されてきました
また、城内の礼拝堂は王家の墓所でもあり、エリザベス2世を含む10人以上の王や王妃がここに埋葬されているのです

死してなお城を彷徨う王

ウィンザー城で目撃される数々の幽霊の中でも、特に有名なのはヘンリー8世とその妻たちです

16世紀前半に在位したテューダー朝第2代イングランド王ヘンリー8世は、絶対王政の強化を進め、ローマ教皇庁から分離してイングランド国教会を設立しました

また、王位継承のために男児を求め、半ば強引に6人の妃を次々と娶った上、妃らの殆どが無事に生き延びられなかったという、ある意味悪名高き人物としても知られています

身長182cmの堂々とした体格に恵まれていたものの、晩年には極度の肥満と足の潰瘍に苦しみました

ウィンザー城では、足を引きずりながら歩き回る彼の足音を聞いたという証言が数多く残されており、中にはうめき声を聞いたという人もいるそうです

哀し気な王妃、凛とした女王の幽霊

ヘンリー8世によって最初に処刑された王妃アン・ブーリンの姿も、ウィンザー城で目撃されています

ホールやバルコニーに現れる彼女は、どこか悲しげな佇まいを見せるといいます

アン・ブーリンは、男児を流産したことでヘンリー8世の不興を買い、王妃の地位を剥奪された上に、流産からわずか四か月後に斬首されました
その無念さが、今も城に彼女の姿をとどめているのかもしれません

また、ヘンリー8世とアン・ブーリンの娘であるエリザベス1世も、この城で目撃されている幽霊のひとりです

1558年に25歳で即位した彼女は、歴代の君主の中でも特に輝かしい足跡を残した人物といっても過言ではありません
善政を敷き、国内の宗教問題を解決し、イギリス海軍を改革してスペインの無敵艦隊を打ち破るという快挙を成し遂げました
また、産業の発展を促し、ウィリアム・シェイクスピアをはじめとする芸術・文化の黄金期をもたらした名君でもあります

このような偉業を成し遂げたエリザベス1世ですが、その姿がウィンザー城のライブラリーで目撃されています
城の警備員によると、黒のガウンに黒のショールを身にまとい、絨毯の敷かれていない床に靴音を響かせながら、隣の部屋へと移動していったそうです

そして興味深いことに、エリザベス2世と妹のマーガレット王女も、エリザベス1世の幽霊を目撃したというのですから、信憑性もなかなかのものではないでしょうか

もう一つの幽霊名所「ロンドン塔」

イギリスの観光名所として広く知られるロンドン塔は、その歴史の古さでも際立っています

その起源は古く、この地には古代ローマ時代から囲壁が存在していました。その東南隅に城郭を築いたのが、前述した征服王ウィリアム1世です

その後、ロンドン塔は増改築が繰り返され、王の居城としてだけでなく、幽閉や収監、さらには処刑場としても使われるようになりました

そのため、ロンドン塔はロンドンのランドマークであると同時に、その血塗られた歴史から「幽霊の名所」としても知られています

そして、ここで目撃される幽霊の中でも特に興味深いのが、アン・ブーリンです
王妃として暮らしたウィンザー城での目撃談が多い彼女ですが、このロンドン塔でも目撃が絶えません

というのも、アン・ブーリンが流産の後、言いがかり同然に姦通罪を問われ、処刑されたのがこのロンドン塔だからです

彼女の幽霊は塔内のさまざまな場所で目撃されていますが、特に多いのが斬首された王室礼拝堂前の芝生です。中には、首のない姿で徘徊しているという証言もあります

また、先に述べたウィンザー城で目撃されるエリザベス1世の幽霊は、女王が少女時代を過ごしたロンドン郊外の館ハットフィールド・ハウスでも目撃されているそうです
しかも、その姿は女王に即位する前の少女の姿だったといわれています

ことの真偽はともかく、こうした目撃談を通じて、かつて生きた人々が幽霊という形で現在の記憶に留められていることは、歴史上の人物への一種の鎮魂の形なのかもしれません

参考文献:『英国の幽霊城ミステリー』/織守きょうや(著),山田佳世子(イラスト)
文 / 草の実堂編集部

(この記事は草の実堂の記事で作りました)

イギリスでは、幽霊が出るとされる部屋や屋敷が人気を集め、時にはそうした物件に高い価値がつくこともあります

実際、イギリスには幽霊の名所を巡るツアーが存在し、歴史的な建造物の中には、幽霊の目撃談が多く残る場所も少なくありません

日本では、人が亡くなった後に幽霊や不可思議な現象が報告されると、「曰くつきの物件」として忌避され、お祓いや鎮魂の儀式が行われることが一般的です

一方、イギリスではこうした伝承を観光資源として活用する傾向があり、日本とは大きく事情が異なっています


イギリスは幽霊にまつわる話も多い
英国王室をめぐる話も・・・
ことの真偽はともかく、多くの目撃談を通じて、かつて生きた人々が幽霊という形で現在の記憶に留められていることは、歴史上の人物への一種の鎮魂の形なのかもしれません


 

 


今なお 城をさ迷う幽霊たちの物語の中に、英国の歴史を読み解く鍵がある

英国においては、言ってみれば先住者である幽霊たちを追い出すという発想は一般的ではないようだ
日本のように、視たら祟られる、呪われる、というような話はほとんどなく、英国の幽霊はほとんどの場合、ただそこにいるだけだ
悪さをするわけでもないなら共存しよう、というのが英国人の考えらしい
むしろ、歴史を体現する存在である幽霊に親しみを感じ、価値を見出す向きすらある(中略)
幽霊を恐れながらも尊重しようという英国人の姿勢からは、幽霊は歴史的事実に基づく存在であり、民衆の共感、同情、尊敬の念によってこの世にとどめられているものであるとする、彼らの幽霊に対する意識が見てとれる
――「CASE1  ウィンザー城と25人の幽霊」より抜粋

幽霊は英国の歴史を背負って現れる

「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」

これは、藤原道長が後一条天皇に三女・威子を入内させて中宮とし、前例のない「一家立三后」を成し遂げたその立后の日に詠んだ、いわゆる「望月の歌」である

この和歌は、社会科や歴史の教科書にも必ずといってよいほど掲載されているので、ご存じの方も多いだろう

藤原道長は、平安時代中期の966年(康保3年)、摂政を務めた藤原兼家の五男として誕生した

いくら隆盛を極めた摂関家とはいえ、五男という立場は大きなハンディキャップであり、本来ならば氏長者となる資格はなかった

だが道長は、一条・三条両朝において摂政や関白には就任せず、内覧の地位にとどまりながらも、その権勢は摂政・関白に劣らぬものと評され、摂関政治の最盛期を築き上げた

その歩みをたどれば分かるように、この人物は運の面から見ても只者ではなかった

しかし一方で、道長は「望月の歌」を詠んだ頃から、華やかな生涯の裏で、糖尿病をはじめとするさまざまな病に長く苦しめられていたのである

道長がいかにして権力の絶頂に至ったのか、そして栄華の陰で病に苦しんだ姿についてたどっていく


兄たちの相次ぐ死とライバルの失脚

990年(永祚2年)、父・兼家が死去すると、長男の道隆が関白となった

しかし、道隆はおよそ5年で病没し、関白を継いだ三男・道兼も、その就任からわずか数日で死去してしまう

この時、道長は摂関に次ぐ地位である内覧に就いていた
これは道長の姉で円融天皇の后となった詮子(せんし/東三条院)の引き立てによるものであったという

とはいえ、ここからすんなりと摂関の地位に就くことはできなかった

それは、道長には道隆の長男で内大臣の伊周(これちか)という最大のライバルが存在していたからである

ところが、その伊周が思いもよらぬ理由で失脚することになる

996年(長徳2年)正月、藤原為光の四女のもとに通っていた花山法皇に対し、伊周は弟の中納言隆家と共謀し、待ち伏せして矢を射かけるという事件を起こした

これは、伊周が想いを寄せていた為光の三女と花山法皇が親しくしていると誤解し、逆上して引き起こした凶行であった

皇族に矢を射かけるという前代未聞の事件により、伊周は太宰権帥に左遷され、隆家も出雲権守に降格となり、兄弟はそろって失脚した

さらに兄弟の失脚に伴い、一条天皇の皇后であった妹・藤原定子も、自ら鋏を取って髪を切ったため落飾と見なされることになった

この時、定子は妊娠中であり、翌年の正月に第一子・脩子内親王を出産している

なお、定子に仕え、彼女の死去まで忠実にその側近を務めた女房が、随筆『枕草子』を著した清少納言である

長女・彰子により道長の威信が高まる
藤原伊周が失脚した後、道長は、彰子(しょうし)を一条天皇の皇后に、妍子(けんし)を三条天皇の皇后に、そして威子(いし)を後一条天皇の皇后に立て、いわゆる「一家立三后」を成し遂げた

彰子は、敦成親王(のちの後一条天皇)と敦良親王(のちの後朱雀天皇)をもうけ、妍子と威子もそれぞれ内親王を出産した

さらに、六女の嬉子(きし)も、彰子の子である後朱雀天皇の后となり、親仁親王(のちの後冷泉天皇)を産んでいる

道長の娘たちの中でも、やはり彰子の存在は大きかった
彼女が二人の皇子を天皇にしたことにより、道長の威信は大いに高まった

彰子の存在があってこそ、道長の子孫は「御堂流」と呼ばれ、代々摂政・関白および、藤氏長者の地位を継承する礎が築かれたともいえよう

ちなみに、彰子に仕えた女官が『源氏物語』を執筆した紫式部だ

道長と彼女が恋愛関係にあったとする説は古くからあり、大河ドラマ『光る君へ』でも、その微妙な関係が描かれていた

この点については、道長の人脈の一端として、改めて別の記事で紹介したい

絶好期から糖尿病による合併症に苦しむ

こうして権勢の頂点に立った道長であったが、いわゆる独裁者ではなかった

むしろ、政敵との調和を図りつつ政治を進める指導者であったとされる

そのことは、かつてのライバルであった藤原伊周についても、一条天皇に対して朝政への復帰を提案している点からも明らかである

学校の授業では、平安貴族は歌舞音曲や色恋にばかり興じ、地方政治を顧みなかったため、それが社会の混乱を招いたとよく語られる

実際、荘園における受領(国司)の横暴や、1019年(寛仁3年)3月末から4月にかけて女真系とみられる海賊が壱岐・対馬・九州を襲撃した刀伊の入寇への対応は、決して十分なものではなかった

しかし、平安貴族の中でも道長のような執政官は、宮中でのさまざまな儀式や役人の監督に追われ、ほとんど休む間もなく働いていたのである

しかも慢性的な運動不足や、贅沢で偏った食料事情による影響で、道長も「一家立三后」を成し遂げ、人生の絶頂期であった頃から糖尿病による合併症により、胸病の発作や視力の衰え(白内障)に苦しんでいたとされる

当時は現在のような医療技術がなく、病を治すには神仏に祈ることが唯一の方法と考えられていたため、平安貴族たちは皆、信心深かった

道長も例外ではなく、1019年(寛仁3年)に長男・頼通に実権を譲ってからは、自ら造営した無量寿院(法成寺)に住み、本堂に安置した九体の阿弥陀像の前で、読経や念仏の日々を送ったと伝えられる

そして1027年(万寿4年)12月4日、死期を悟った道長は、九体の阿弥陀如来の手と自らの手とを糸で結び、僧侶たちの読経の中、自身も念仏を口ずさみながら西方浄土への往生を願い、62年の生涯を閉じたのである

※参考文献
山中裕著 『藤原道長』吉川弘文館刊
矢部健太郎監修 『偉人たちのやばい黒歴史 日本史100人の履歴書』宝島社刊
文 / 高野晃彰 校正 / 草の実堂編集部

(この記事は草の実堂の記事で作りました)

「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」

これは、藤原道長が後一条天皇に三女・威子を入内させて中宮とし、前例のない「一家立三后」を成し遂げたその立后の日に詠んだ、いわゆる「望月の歌」である

この和歌は、社会科や歴史の教科書にも必ずといってよいほど掲載されているので、ご存じの方も多いだろう

藤原道長は、平安時代中期の966年(康保3年)、摂政を務めた藤原兼家の五男として誕生した

いくら隆盛を極めた摂関家とはいえ、五男という立場は大きなハンディキャップであり、本来ならば氏長者となる資格はなかった

だが道長は、一条・三条両朝において摂政や関白には就任せず、内覧の地位にとどまりながらも、その権勢は摂政・関白に劣らぬものと評され、摂関政治の最盛期を築き上げた

その歩みをたどれば分かるように、この人物は運の面から見ても只者ではなかった

しかし一方で、道長は「望月の歌」を詠んだ頃から、華やかな生涯の裏で、糖尿病をはじめとするさまざまな病に長く苦しめられていたのである


道長は運と実力、「根回し」などで栄華を極めた
その一方で多忙や運動不足などで身体はボロボロだったようだ

 

 


日本史を彩ったよりすぐりの偉人100人が、もし自ら履歴書を作成したとしたら、やばい黒歴史で埋めつくされた!?
古代から近代にかけ活躍した偉人100人の足跡、家族構成、性格、変な癖、トラウマエピソードなど、現代人の感覚では想像を絶する驚愕の「個人情報」が満載
日本史の学習、大河ドラマがいっそう面白くなること間違いなしの一冊です
國學院大學文学部史学科教授の矢部健太郎監修

胃の不調の原因は胃だけではない
すべての臓器が協調して健康が保たれる

胃の不調を訴える患者さんがいると、西洋医学では胃の検査や診察をして原因を調べます
それに対して東洋医学では、胃はもちろんですが、胃を取りまく臓器にも目を向けます
胃から続く小腸をはじめ、腸の消化を助ける膵臓や肝臓の状態もチェックしていくのです

これは「体全体のバランスを見ながら症状改善に取り組む」東洋医学ならではのスタンスであり、「すべての内臓は互いに影響を与え合い、単独で働いている内臓はない」という考えに基づく診療といえるでしょう

胃や腸もその例外ではなく、まわりの臓器との相互作用によって働きが保たれています
心臓は血液を巡らせることで胃に力を与え、胃は水分を肺に供給、肺は大量の酸素を腎臓に送って濾過作用を助け、腎臓は老廃物を排除することで肝臓の機能維持に役立っているのです

さらに、こうした働きかけとは別に、肝臓は胃の粘膜の生成に関わることで、胃の正常な機能をコントロールしています
いわば乱調や暴走を防ぐ管理者となっているわけです
このようにそれぞれの臓器が異なる役割をこなしつつ、協調し合うことで体内の精密な均衡が保たれ、健康が維持されます
胃や腸をはじめ消化器系の臓器も、その一端を担っているわけです

胃と腸が健康なのは心臓や肺、腎臓、肝臓のおかげ!?
東洋医学では、「すべての内臓は互いに影響を与え合い、単独で働いている内臓はない」という考えがあります



それぞれの臓器が弱ると胃腸にこんな負担が!

肝臓
解毒にエネルギーを使いすぎると消化を助けられない


心臓
血流が悪くなると疲れやすく、精神面も不安定に。ストレスから胃腸が弱ってしまう



水分が不足すると機能が低下する。呼吸が浅いと吐き気の原因となる



体温と血圧の調整をしている。体温の調節がうまくいかないと消化不良を起こす


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 胃と腸の話』著:福原 真一郎

(この記事はラブすぽの記事で作りました)

 


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