ノーベル賞哲学者ラッセルは、なぜ投獄されたのか? 反戦活動と平和へのメッセージ | メインウェーブ日記

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1918年、第一次世界大戦下のロンドン
ブリクストン刑務所に、一人の哲学者が収監されました

彼の罪状は「戦争に反対し、平和を訴えたこと」でした

その人物こそ「分析哲学」の父と呼ばれ、ノーベル文学賞作家ともなるバートランド・ラッセルです

歴史に名を残す哲学者は、なぜ囚人服を着ることになったのでしょうか

平和を訴え続けたラッセルのエピソードを紹介します


哲学の巨人、バートランド・ラッセルとは?

1872年、イギリスの名門貴族の家系に生まれたバートランド・ラッセルは、哲学と数学の両分野で世界的な名声を得た人物です

ジョージ・エドワード・ムーアとともに、それまでの観念的な哲学に対して明晰な論理を重視する「分析哲学」の潮流を打ち立てました

また、数学者ホワイトヘッドとの共著『プリンキピア・マテマティカ』では、数学を論理に基づいて体系化するという画期的な試みに挑み、現代論理学の基礎を築いたことで知られています

ラッセルの筆致は、難解な数理論理を明快な言葉で表現する力に優れ、専門家のみならず一般読者からも高く評価されました
その功績は哲学や論理学にとどまらず、人道的・倫理的なエッセイによって文学的評価も高まり1950年にはノーベル文学賞を受賞しています

貴族階級出身という恵まれた立場にありながら、ラッセルは常に個人の良心に従うことを選び、生涯を通じて反戦と反核を訴え続けるなど、権力に屈しない反骨の精神を貫いた哲学者でした

ラッセルはなぜ独房へ? 第一次大戦下の反戦活動

1914年に第一次世界大戦が始まると、イギリス国内では愛国主義の機運が一気に高まり、戦争に反対する意見は次第に封殺されていきました

そんな中、ラッセルはケンブリッジ大学の講師という立場にありながらも、理性と良心に基づいて戦争反対を訴え続けました

彼はとりわけ徴兵制の非人道性に強く異を唱え、「理性に反する組織的な殺人行為である」と批判したのです

その姿勢は、徴兵反対協会(NCF)を通じたビラの執筆などに表れます
ラッセルはこの活動を理由に、1916年にロンドン市長の前で罰金刑を受け、ケンブリッジ大学の講師職を失うこととなります

それでもなお反戦活動を続けたラッセルは、1918年にはアメリカ兵の英国駐留に反対する内容の記事を寄稿したことが問題視され、「公共の安全を脅かした」として、治安維持法違反により6か月の禁固刑を言い渡されてしまったのです

刑務所が教室に変わった

ロンドンのブリクストン刑務所に収監されたラッセルは、自伝の中で「ある看守がチョークを手に、論理の問題を教わりにやって来た」と振り返っています

毎朝の洗面時間などのわずかな機会を利用しながら、彼は三段論法や命題論理の基本などを丁寧に説明し、「理性的な思索こそが人間の尊厳を守る」と穏やかに語りました

この即興の講義は徐々に評判を呼び、当直の看守たちがラッセルの独房前に椅子を並べて聴講するようになった、という逸話も残されています

独房で生まれた平和への道標

1918年、ラッセルは独房の静けさを学びの場へと変え、「国家の命令よりも個人の良心を優先させるべきだ」という信念を、さらに強く深めていきました
獄中では哲学書の執筆にも取り組み、とくに『数学哲学序説(Introduction to Mathematical Philosophy)』などは、この時期の思索を色濃く反映した代表作として知られています

同じく1918年には、戦争と国家の構造に根本から疑問を投げかけた書籍『自由への道(Roads to Freedom)』が出版されました

その冒頭においてラッセルは、国民を殺戮に駆り立てる国家の政策を「誤った公理体系」であると断じています

公理体系とは、数学におけるあらゆる定理の出発点となる基本的な前提のことです

彼は、「もしその前提が誤っていれば、そこから導かれる結論も必ず誤る」と述べ、国家の戦争政策に潜む論理的欠陥を鋭く批判したのです

釈放後もラッセルは、国内外で平和を訴える講演活動を続け、世界の平和運動に大きな影響を与え続けることになります

そうした活動の中で生まれたのが、1955年に発表された「ラッセル=アインシュタイン宣言」です

アインシュタインが署名したわずか数日後に世を去ったこともあり、この宣言は世界中に大きな衝撃を与えました

この声明は、特定の国家や政治思想の立場ではなく、「人間としての視点」から核兵器の危険性を訴えた、きわめて普遍的なメッセージでした

多くの科学者の良心に訴えかけたこの宣言は、やがて科学者たちが社会的責任について討議する国際的な場、「パグウォッシュ会議」の設立へとつながっていきます

哲学者、数学者、そしてノーベル文学賞作家でもあるラッセルは、自らの良心に従い、反戦を訴え、平和を希求し続けました

異なる意見を安易に排除するのではなく、理性によってお互いの理解を目指したラッセルの姿勢は、深刻な「分断」が問題となっている現代社会に、重要なメッセージを示しているのではないでしょうか

参考文献:
齋藤孝(2022)『60代からの幸福をつかむ極意 -「20世紀最高の知性」ラッセルに学べ』中央公論新社
ラッセル『自伝〈第1巻・第2巻〉』みすず書房
文 / 村上俊樹 校正 / 草の実堂編集部

(この記事は草の実堂の記事で作りました)

1918年、第一次世界大戦下のロンドン
ブリクストン刑務所に、一人の哲学者が収監されました

彼の罪状は「戦争に反対し、平和を訴えたこと」でした

その人物こそ「分析哲学」の父と呼ばれ、ノーベル文学賞作家ともなるバートランド・ラッセルです

哲学者、数学者、そしてノーベル文学賞作家でもあるラッセルは、自らの良心に従い、反戦を訴え、平和を希求し続けました

異なる意見を安易に排除するのではなく、理性によってお互いの理解を目指したラッセルの姿勢は、深刻な「分断」が問題となっている現代社会に、重要なメッセージを示しているのではないでしょうか



 

 

 


少子高齢化、自然災害、パンデミックなどネガティブな世相の昨今だが、実は日本は「隠れ幸福大国」である
ただ、バラ色老後のために足りないのは「考え癖」と「行動癖」
この二つを身に付けて幸福をつかみとるための最良テキストが、哲人ラッセルの『幸福論』なのだ
同書を座右の書とする齋藤氏が、現代日本の文脈(対人関係、仕事、趣味、読書の効用、SNSやデジタル機器との付き合い方等々)にわかりやすく読み替えながら、定年後の不安感を希望へと転じるコツを伝授する
なお、ラッセルは九七歳で天寿をまっとうするまで知と平和と性愛に身を投じており、本書は高齢社会のロールモデルとして読み解いていく