レンドル選手のターニングポイントの試合とかなわなかった全英優勝 | メインウェーブ日記

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イワン・レンドル選手(アメリカ)は、1980年代に男子テニス界で長く王者として君臨しました。


レンドル選手は、チェコスロバキア・オストラヴァ出身で、1978年にプロ入りし、トップ選手として活躍しますが、大試合に弱く、4大大会では決勝に進出しても敗れていました。


いわゆる小心者の「チキンハート」ともいわれていました。


また「万年準優勝」のイメージもつきました。



そんなレンドル選手が「万年準優勝」のイメージを払拭したのが1984年の全仏決勝で、当時絶好調だったジョン・マッケンロー選手を3-2で下し、4大大会初優勝をした試合です。


この試合は、レンドル選手のターニングポイントというべき試合で、以後は4大大会でも勝てるようになりました。


この試合は、3-6、2-6から6-4、7-5、7-5と大逆転をした試合でした。



4大大会8勝(全豪3勝、全仏2勝、全米3勝)の男子テニス歴代8位タイを挙げましたが、悲願であった全英オープン(ウィンブルドン)はついに勝てませんでした。


レンドル選手の全英オープン優勝への執念と対策はすさまじかったのですが・・・

(自分専用の芝コートを作るなど)


芝コートを苦手としていたようで、芝コートの時代の全豪には勝てず、ハードコートに変わってからの全豪に3回優勝しています。

(現在の全豪はプレキクッション)


芝コートで行われた全英は優勝していません。