西双版納4日目・易武古鎮へ

高品質な普洱茶の産地、易武山に連れて行っていただく事ができました。

「公家大园」

こちらの広場は茶馬古道の南部ルートの起点の一つでした。清代、乾隆年間から道光年間にかけて(1736〜1850)易武が貢茶を管理するようになり、易武古鎮には30以上の老舗茶荘が設立されました。倚邦山、蛮砖山など古六大茶山からの7割のお茶がこの起点に集積・加工され、キャラバン(馬幇)がここで茶を積み替えて出発していました。こちらの公家大园では貢茶に跪拝して出発の儀式を行っていました。お茶はただの商品ではなく貢物としての文化財だった証として残されていました。



中国茶を知るまで、お茶はチベットなどの遊牧民の人たちにとって、なくてはならないものだったとは全く知る由もありませんでした。雲南省の六大茶山のことも、普洱茶の存在すら知らない世界のことでした。


ここから遥々遠くチベットまでキャラバンが運んでいたことを思うと,改めてすごい世界だなと感じます。

石に古六大茶山の名前が赤い文字で書かれていました。

易武(曼撒)山/Yìwǔ

攸乐山/Yōulè

革登山/Gédēng

倚邦山/Yǐbāng

莽枝山/Mǎngzhī

蛮砖山/Mánzhuān

倚邦茶山はこの旅の最終日に訪れましたので

また別のブログでご紹介します♪

馬が背負う茶の入っているカゴに易武正山・曼撒と産地が示されています。

お茶の生産がないチベットでは、唐の時代641年に文成公主がチベット(吐蕃)の王にお嫁入りした際の嫁入り道具にお茶があり文成公主はお茶をのむ習慣をチベットに伝えました。チベットでは肉や乳製品、消化のあまり良くない麦などが主食で野菜やフルーツなどをほとんど食べないため、お茶の様々な効果効能は健康に欠かせないものとなっていきました。


ちなみに紅茶がイギリスで飲まれるようになったのも、嫁入り道具にお茶があったからとされます。

文成公主の時代から約1000年もあとの時代ですが17世紀にポルトガル王の娘・キャサリン王妃キャサリン・オブ・ブラガンザ(1638~1705)が、チャールズ2世に嫁いで (1662年)喫茶の風習を宮廷にもたらしたのがきっかけとされています。イギリスにお茶の文化が定着したのも東洋趣味のキャサリンの影響といわれます。 


チベットでも,イギリスでもお茶は嫁入り道具だったの歴史は面白いですね。


茶馬古道は長さ3000キロ以上、チベットを通ってインドまで繋がっていたので、山のシルクロードと言われています。

平均標高4000mの山を越えインターナショナルな交易路です。出発のときは緑茶に近いものが竹の皮などに包まれていましたがチベットの山は昼は乾燥していて、夜は湿気があり馬の背で運ばれているうちに自然に二次発酵して黒茶(いまでいう普洱茶の熟茶)になったと言われています。最初は自然に生まれた黒茶ですが、やがて人為的に発酵したお茶を作るようなりました。そして少数民族が自分たち用に飲んだり、近隣のチベットやミャンマー,モンゴルなどへの交易品になっていきました。

チベットではバター(ギー)やミルクをいれて飲んだりします。スープみたいな感じですね。

易武古鎮には百年以上の歴史のある茶荘や建物が点在しています。歩いていて何よりこちらの頑丈な石畳に感動しました。

十字街(元は武慶街)は伝統的な民家建築群が残り、2012年「中国伝統村落第一次リスト」に登録された重要な村落です。

易武古鎮には有名な老舗茶号(茶荘)が百年以上の歴史を持ち、今も高い評価を受け名を残しています。

国内外に高品質な普洱茶を広く流通していました。

同興号

同昌号

車順号

福元昌

君利祥号など

同興號古茶坊

同興號は、もともと「同順祥号」として創業され、のちに改名されました。清代末から易武で重要な地位を築き民国初期には生産量も多く、易武の主要な茶荘の一つとされていました。


中に入ることができました。

袋には「越陳越香」と印刷されていました。

年月が経てば経つほど、より香りや風味が深まる

yuè chén yuè xiāng 

福元昌號原址  第三代嫡孫余智畅

福元昌號はもともと「元昌號」として知られていましたが改名されました。原址 (元の場所)とあるのは1970年代の火災で多くの茶荘が被害を受けましたが、福元昌號の建物は一部が現存し当時の繁栄を今に残しています。

車順號には重要な文化遺産「瑞貢天朝」の扁額が掲げられていたことを示されていました。清代、易武の車順號や同興號、福元昌號などが作る高品質なお茶は貢茶(献上茶)に選ばれ、車順號「瑞貢天朝」の扁額を賜ったと伝えられています。

公家大园の広場にあった石碑に

「馬幫貢茶萬里行   易武ー北京」

と記されていたのを思い出しました。


「馬幇(キャラバン)が献上茶を運ぶ、

易武から北京までの遥か一万里の旅」

チベットなどの遊牧民族たちにとっては,「食糧は三日欠かせてもお茶は一日も欠かせない」といわれ命を繋ぐためのお茶だけど、紫禁城には全国から素晴らしいものが距離など関係なく運ばれていたのですよね。ふと思いました…
この日の朝、普洱市の茶馬古城の茶馬古道零起点でみた大きな金瓜貢茶は、華やかさはないけれど故宮博物院に陳列されるお宝並ぶ重要な文化遺産ではなかろうか…


こちらは易武古鎮第一家

王少和旧居


王少和は易武で革命運動を指導し、後に易武の政治や行政の拠点ともなった場所です。清代建築様式の易武を代表する伝統民家です。

茶馬古道のキャラバンを描いたストリートアート

文化や歴史を敬う気持ちが感じられます。

古鎮では、どちらの百年茶號の門も閉まっていたのですが、時々人の気配を感じられる、植木やアートもあり人が今も生活している場所なのかとハッとしました。

ハーブを育てていました。

薪も積まれていました。

暖をとる?お茶用?

実際に易武山に来てみて、茶荘が栄えていた易武古鎮を歩きましたが、広い易武山には七村八寨があります。

この後、麻黑や落水洞の古茶樹を見に行きました。また別ブログで。

易武古鎮に敷き詰められた石畳は青石というそうです。

青石は(Qīngshí/チンシー)、青みがかった天然石材で磨くと光り、古代から高級建築材でした。馬古道の風情を今に伝える重要な役割を担っていると感じました。

雨に濡れると青黒く光るのだそうで趣きが増します。

また四合院建築の中庭には、正方形に青石が敷かれているそうで王少和旧居もその様式だそうです(天井/てんせい)。家屋の基礎部分や縁側、階段などにも使われていて易武の伝統建築の象徴とされています。

石畳一見の価値あり!いつまでもあの風情を残されていて欲しいですね。


続く

(麻黑や落水洞の古茶樹へ)