数日前に私の父…正確にいうと
私の母の再婚相手が亡くなりました。
世間でいう88歳大往生です。
再婚相手と言っても父は
母の姉の元ご主人だったので
私が産まれたときからを知っています。
母の姉も私の実父も若くして亡くなっているので
その流れでの夫婦です。
私の母は口の悪い天才ですが
じいちゃんはそんな母に何言われても動じず
そやなぁ、そうかもしれないね
といつも全て受け身でした。
本当に誰にでも優しくていつも温厚で
怒っている姿を一度も見たことがない人でした。
若い頃は伊勢神宮の宮大工建築に関わっていましたが、一級建築士となってからは建築家として80歳までバリバリ現役で活躍しておりました。
引退後は1人車で日本一周を果たしました。
その日本一周中にいちばん日光東照宮が良かった
また行きたい!!とずっと話していましたが、昨年夏にパーキンソン病が悪化して、やむなく施設に入所。
私が代わりに日光東照宮に参拝しました。
この画像や、買ってきた写真集を見せると
この作りは「ごんげんづくり」だよ、立派だねー華やかだねー
と、得意気に話していました。
きっとじいちゃん今は、いちばん行きたかった日光東照宮へ行って自由にゆっくり見て周っているのでしょう。
亡くなる日の朝、母から
じいちゃんが昨日から40℃の熱と血圧も60に下がったと施設の看護師さんから連絡があった。意識あるし大丈夫だと思うて言われたけど、心配やから見に行ってくる、アンタも来る?
と連絡を受けました。
私は直感的に、とうとうその日が来たなと感じたので、平日でしたが休みを取りじいちゃんのところに向かっていました。しかしその道中に母から、
看護師さんが感染防止で人数制限させてもらう3人までやて。私と◯ちゃんと◯君の3人で行くからアンタは入れんわ。
と。
私的は、そのじいちゃんが入っている施設に対し、
看取り期に面会制限をかけるんかい‼️‼️
と、呆気にとらえましたが
しばらく考えて、
あーもうじいちゃんはこの世に居ないな…
と直感しました。
じゃあ、熱田神宮に行って
じいちゃんのこの世の悪い縁をスパスパ切っもらいにいく送り人になろう、
来月にロスからのレイキヒーラー家族も案内するしー
と熱田神宮に方向を変更。
雨降るなか、熱田神宮の敷地内を全て周り帰宅後まもなく母から、じいちゃんが亡くなったと連絡を受けました。
私の第一声が
やっぱり…
でした。
そして無事に昨日滞りなく葬儀を終えました。
久しぶりに家族が揃って楽しかったです。
じいちゃんの実の子と孫とひ孫合わせて7人、母の子と孫、ひ孫合わせ10人居て、
じいちゃんはこの17人を平等に愛してくれました。
毎週末は皆で必ず食事に行き、全てじいちゃんがお金を払いました。
私達が子供の頃は、日本全国各地に海外旅行にも年に何度も連れて行ってくれました。
とにかく家族にお金を使う人でした。
そのような話しで盛り上がりました。
なので子供達からの供花は
それぞれの呼び方で、
じいちゃん、ありがとう
じんじいありがとう
孫たちは関東や北陸、関東の大学や就職をしていますが、皆、飛んで来ました。
本当に皆が大好きなじいちゃんでした。
そして、私はじいちゃんの位牌をみて
びっくり‼️しました。
なんと‼️私の名前が最初の一文字目に入っていたから…
私はじいちゃんが亡くなったあとは
やっとあの世から迎えが来たね〜
お疲れ様でした、ありがとう😊
というきもちだけだったので
涙が出ることが無かったのですが、
この位牌をみて
涙が溢れました。
位牌は住職さんが考えたもの。
そっか〜
私とじいちゃんは考え方とか趣味が一緒でさっ、
兄弟達のなかでいちばんめちゃくちゃ気が合ってたけども、前世から繋がっていたのだねー
じいちゃんのような素敵な人にはなれないけども、少しでも近づけるよう努力するよ!