熱田神宮を参拝 | ゆーうのブログ

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看護師レイキヒーラー

2024年1月13日(土)


今年度初の熱田神宮を参拝しました。熱田神宮は私が1番大好きな神社です。


本当は新年早々に参りたいところですが、毎年かなりの人混みなため、毎年新年は今日位の日数が経ってからの参拝です。



それでも、今日はまぁまぁな人混みでした。





参道を歩いていたら冷たい風が

ぴゅーぴゅー吹いてきて

みぞれも降ってきました。





今年も神職の方々が弓道をしておられ、

しばらく見学をさせていただきました。





熱田神宮に来ると、いつも何かしらの偶然があります。これも全て神様のお計らいでしょう。感謝申し上げます。







毎週土曜日は午前中に太極拳のお稽古があるのですが、その後にプールで約30分泳いだ後サウナに入ります。



このサウナ室内で毎週土曜日に

数名の方と楽しくおしゃべりしています。



今日は、70代後半の女性の方とお話をしていたのですが、今回の地震で被害に遭われた高齢者施設の利用者の救助要請に応えて、ヘリコプターに乗せ、愛知県のいくつかの病院に救助したとのニュースについてです。





その方のお話し↓



能登の海山の自然いっぱいの場所で80年前後も暮らしてきた高齢者が、施設に入っていたと言えど、慣れ親しんだ土地から離れて、離れた地の病院やらに移すと言う事は正しいことなのか?それでその方々が幸せなのか?自分だったらイヤ‼️



と話していました。




能登地方のたくさんの高齢者施設も、その状況はわかりませんが、きっとそれぞれが被災したりスタッフ不足等の理由で運営不可能となっておられるのでしょう。



私は看護師として長年勤務をしてきましたが、病棟で勤務をしていたときに沖縄方面の島に住んでいた高齢の親を引き取ってからの数ヶ月後にを発病して治療のために入院をされている方との会話を思い出しました。



娘さんは中学校を卒業と同時に島を出て40年ほど。


一人っ子だったのでその後にご両親は二人で島に住んでいたそうです。島には数年に一回帰る程度でたまに電話で安否確認をしていたと。



娘さんのお父様は、約70年間漁師されておられた方で、


背丈は150センチぐらいの小柄ですが骨格がよく、顔や手は真っ黒に日焼けしていて、ギョロんとした大きな目で、たまに何を話しているか分からない沖縄弁?を話す気さくな方でした。



奥さんが亡くなってから数年後に肺がんを患い、治療をすると言う理由で娘さんが沖縄方面の島から連れてきたそうです。



娘さん自身、ひとりっ子という状況から、故郷を出てからずっとご両親のことを心配していて、お母様が亡くなったとき、親孝行出来なかった自分を悔やんだからと話していました。



連れてくる前そのお父さんは、島で死ぬと言ってなかなか合意をしなかったようですが、ある時、お前のところに行く!と言いだし、漁師をキッパリ辞めて、船や住んでいた家も人にあげて名古屋にやって来たそうです。



肺がんの手術はできず、化学療法での治療が開始されました。気さくなお父様はいつも私達看護師に親父ギャグを言って笑わせてくれてました。



そして、病気が治ったら島に帰ってハマダイを釣って送るからが口癖でした。



化学療法を何クールか終えて来週には退院という朝、看護師が巡視をしたときにはすでにそのお父様は冷たくなっていて亡くなってしまわれました。



死亡診断は急性心不全でした。駆けつけた娘さんはこんなに早く亡くなってしまうのであれば、父を名古屋に連れて来なければよかった。本人が行きたくないと言うのを私のわがままで連れてきてこんなことになってしまった。お父さんごめんね、と何度も冷たくなったお父さんの手を取って謝っていました。



私はその娘さんにお話をしました。



お父さんは自分で選んでこちらに来たのですよ。最期は1人ではなく娘さんのもとに来て幸せだったと思いますよ。あなたは本当によくやってあげました。立派な優しい娘さんを持って幸せだとお父さんはいつも話をしていましたよ。これからは自分が幸せになる人生を歩んでください。というようなお話をしました。



数週間後、その娘さんが病棟に顔を出してくれました。お父さんのお骨はお父さんの住んでいた島の海に散骨をされたこれはお父さんの遺言だったそうです。



私がお話ししたことに対して感謝を言葉にして伝えてくれました。もし私の言葉がなかったら一生お父さんへの後悔をしながら生きていたかもしれないと。



私は感謝をしてもらうために看護師の仕事はしていません。ですが、こういった反応があると少しは嬉しいものです。何故なら、私はこれまでの人生、それほど人に褒められることも感謝されることもないからです。



そして、いまこの歳で人に認められたいとかも無いですね。



私は最期を決めるのは全て自分自身だと思っております。人の寿命って最初から決まっているのですから。



例えば癌のような病気になった時、いろいろな選択肢があると思います。例えば、


手術をして癌を切除する。

抗がん剤や放射線療法をする。

高額なお金を出して民間治療をする。


または何も治療をしない。


癌になってもならなくても、もしかして何かの事故に遭うかもしれないし、天災による被害で突然死を迎えるかもしれない。ですが亡くなる日は全て1分1秒たりとも一緒だと私は感じます。


ただ自殺は別です。


きっとこのお父さんも自分の死が近いことを感じて、娘の近くで最期を迎えたいと思われのでしょう。それは自分が決めたのです。



今回の能登の震災で被害にわれた方々がこれからの暮らしをどのようにするかは何が正解なのかはその人次第です。人生は本当にはかなく、萩本欽ちゃんが話していたように、良いことも悪いこともほんの一瞬、それが人生。



ただ歳をとると、今まで生きていた時に味わった失敗を繰り返さないように、ズル賢く生きることができるので、悪い事は数が減っているような気もします。



毎日楽しく生きる事は不可能ではありますが後悔のないような人生を送っていきたい気持ちはたくさんあります。今回の能登の震災でたくさんのことを考えさせられました。




今日のサウナのなかで話しをした方が、



今日のような凄い寒い日に、お風呂に入って身体を温めることも、暖房の効いた部屋で温かい美味しい食事も摂ることも出来ない、同じ日本の能登の被災者たちのことを思うと申し訳ないわ…贅沢している私…



と話していました。



そのかたは、行くところ行くところに募金箱があったら100円ずつ入れている、セコイけどもそれしか出来ないと話していました。



今、私も、出来ることは

寄付しかないのです。