2024年の元日早々に能登地方で、大きな地震と津波が発生しました‼️そして、その後に起きた羽田空港でJAL旅客機と海上保安庁機が接触炎上…同じ国内にてとても信じがたい出来事が立て続けに起きました。
こうした災害が起きたときに思い出すのは
この寺田寅彦という人は
研究者でした。
今から100年前の関東大震災発生時には
たまたま上野にいたそうです。
寺田寅彦さんが大地震を体感した直後に
その建物の無事を確認すると、
強震の振動の経過を出来るだけしっかり観察しよう‼️
と、その場に留まって大地震で崩れていく建物を観察していたそうです。
その後、地震被害を調べるために、東京市内の焼け跡を歩いき回った‼️
寺田寅彦さんはその経験を活かしてその後に、たくさんの防災に関する随筆を残しました。
1933年に発表した津浪と人間では、
こういう災害を防ぐには
人間の寿命を10倍か100倍に延ばすか、ただしは地震津浪の週期を10分の1か100分の一に縮めるかすればよい。
そうすれば災害は、もはや災害でなく五風十雨の亜類となってしまうであろう。
しかしそれが出来ない相談であるとすれば、残る唯一の方法は
人間がもう少し過去の記録を忘れないように努力するより外はないであろう。
そして、
文明が進むほど
自然災害の被害が増大する
という事を指摘していて次のように話しています。
文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を十分に自覚して、平生からそれに対する防禦策を講じなければならないはずであるのに、
それが一向に出来ていないのはどういう訳であるか。
その主なる原因は、
天災が極めて稀にしか起らないで、丁度人間が前車の顚覆を忘れた頃にそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。
寅彦は、その後に書かれた随筆でも防災について記述し、天災による被害を忘れることへの危険性を訴えました。
津波は定期的に起きるものでそのことは10年も20年も前から警告しているという学者の主張と、
20年も前の事など覚えていられないという被害者の主張に対して、
私は数年前までの災害拠点病院で勤務していたときに、職員対象の研修会講師を務め、日本看護協会災害支援ナースにも所属していました。
現在は10以上の高齢者施設で働く介護士や看護師対象の講師としての活動をしており、今年で3年目となります。
テーマは医療ケア他、虐待、身体拘束、メンタルヘルス、感染、事故対策、認知症、看取り、ボディメカニクスなどなど
そして災害や避難訓練も私が主導しております。
講師業として研修会で繰り返しお話するのは、災害に対しての備えについてです。
備えとは備蓄のみならず、
こちらは、施設管理者を対象の災害研修会の資料の一部です。
- ハザードマップなどで常日頃から身の周りの危険地域を知っておくなどの防災情報の収集をしておく
- 災害に備えて家の敷地内は落下や転倒を防止する対策を施したり、窓ガラスなどに飛散防止フィルムなどを貼るなど、安全対策をしておく
- 家の敷地内の避難経路になる場所に落下・転倒のおそれのある物を置かない
- 避難場所・避難経路・避難方法などについて家族で確認しておく
- 職場や学校にいた時に災害にあった場合のことも決めておく
- 常日頃から自主防災組織の活動に積極的に参加して避難訓練などを行っておく
- 高齢者の家族やご近所さんには日頃から声をかけ、災害時の支援などについて確認しておく
- 災害が起きた場合、電話やスマホが使えないことを想定して家族や知人と連絡を取り合う手段を事前に決めておく
- 持ち出し袋を準備しておく※重すぎると避難の妨げになる。重さは男性で(15Kg)女性で(10Kg)を目安にする。
もし今、災害支援ナースに登録していたらすぐに現地へと駆けつける準備をしといたところですが…
今の私は家庭や仕事の事情で現地に駆けつけることができない…
出来るとしたら、
支援の募金をすること。
レイドウレイキの仲間のTORIさんのブログを参考にさせていただきました↓
被害に遭われた方々には
心からお見舞い申し上げます。
そして、たくさんの方のご冥福をお祈りいたします。