【感想・追補02】Personal is Politics the 345th『「ジャパンショック/「#商業ベース」で草』の回
【主文】
「日本国民ならサムライブルーと一緒に見たことがない景色を見るしかないじゃない」っちゅうのもいい。っていうか情報消費者が好きにすればいいという話だ。
お天気情報の「台風のたまご」とか「温帯低気圧に変わる」というのはどうもお為ごかしというかガキ騙し的な言い回しで気分が悪いな。温められた空気が水蒸気を伴って上に上がっていくという基本的な振る舞いは「台風のたまご」「台風」「スーパー台風」「タブル台風」「梅雨前線」も変わらんのだがな。暑けりゃ暑いと騒ぎ、寒けりゃ寒い、大雪だ、飢饉だと騒ぎ、去年の稚魚の豊漁で今年は鰻が安いかもとご満悦なマスメディアのアナウンス。
フジテレビが独自と言っているが、福岡県議会問題で副議長とやらの声紋分析をしたらしい。このことを直接相手方に投げたかどうか知らんが、声紋鑑定の高い確率で本人という結果がどうだというものか。報道には報せる道の自由は認められるだろうが、地方議会の議員の金銭がらみの不正について法を超えて暴く自由はない。そんなことをやるのに金をかけるなら、自社の晴らしていない疑惑をあからさまにしろというところだ。
今日になっても、勝ち誇ったかのように報道の自由をもってしても裁くことができないおっさんを責め立てるシーンを見せつけてご満悦のようだが、「カツアゲ疑惑」を「いわゆる」と言ってしまっているが、果たして今日に至り表向けでは絶滅している暴力団がらみの隠語に近い“カツアゲ”が広く国民前半に知られている言葉なのでせうか?というところが欠落しているように思えて笑える。
まあ、マスメディア如きに責め立てられて「今どきはAIでなんとでもなるからね。いろんな方から言われましたので、改ざんできると」とか、録音情報について「信ぴょう性が乏しい」と言ってしまう副議長とやらもコンテクストがものを言う商売で稼いでいるならちょっと稚拙だろうと思う。
「AIでなんとでもできること」を前提にしてどう弁明したり回答するのか議員としての説明責任だろうと思うのだが。
どっちにしても、日本の情報環境は異様に底が浅いと思う。
一見浅いだけで、ちょっとその殻を破くと魑魅魍魎が跳梁跋扈しているような地獄絵図が展開してたりするんだ、これが。
イラン情勢で「アメリカ中央軍」をかなりな権威とみなしているマスメディアだけど、「Central Command」だね。中央軍ではなく中央方面司令部。極めてローカルなタスクフォースにすぎないと思うんだなこれが。
夕方の北海道ローカル女性向け生活情報番組「みんテレ」の自称目玉コーナー「どーみん感覚クイズ」は一週間くらいニアピン賞がないんだろう。キャリーオーバーで11万円とか。
そんなクイズとして破綻しているようにしか思えん「どーみん感覚クイズ」の今日のお題は、「土用の丑の日に鰻を食べる人何%?」。昨年の稚魚豊漁の波及効果でお値段控えめのニュース兼グルメ情報に肖ってだと思われる。
答えは21%で今日もまたスタジオがやや驚嘆。
高いサラリーのテレビ局の人は季節にちなんだ豪華な食事をいただけるでしょうけど、この国は先進国で経済大国と称する割には相対的貧困率が高めであるという状況を鑑みていないと思う。マスメディアならではのズレだろうな。
ズレといえばみんテレの姉妹の方に東京にチャンネルを戻し「ワールドカップサッカー・タイム」。
準決勝のフランスースペインをリビューするが、文脈を構築しないままでスペインを「無敵艦隊」呼ばわりするのもどうかと思う。
そしてフランスがまさかの0封というけれど、7月13日付『「代表にフランス人いない」準決勝前にスペイン元首相の発言が物議 フランス報道「人種差別的暴言」』も自社で報じてるんだから、このことがフランスの戦意を喪失させたかもしれんという言及があっても良かったかと思う。
どっちも神の威を借りて往年の栄華に浸るエスパニョーラの形而上のレコンキスタという感じがしないでもない。
遅ればせながら、スポーツ観戦は一つのエンターテインメントであって、マスメディアや外野がインターナショナル感覚で国家というフレームに当てはめることは旧世紀の遺物的発想だという視点で申し上げる。
気の毒なのは、実情はボーダーレスの世界で権威と民草を楽しませる余興として命を削っているファンタジスタだと思う。
これだから、政治家や著名人こそSNSプラットフォームに好き勝手を書くなというのだ。
今日のゴールデンタイムは『奇跡体験!アンビリバボー【誰もが知ってる人気モノ☆大逆転‼キセキの爆誕SP】』でバナナマンの露出しすぎ設楽がゴールデンタイムにも登場。
ネタバレ覚悟だがフジテレビゴリ押しのAdoとか、御用達お天気河原者“天気の達人”天達武史先生とか。
Adoなんて言ったら顔出しNGっていう時点で某県議会の副議長の暴言「AIでなんとでもできること」と同じ効果が得られ、新時代を匂わせて旧態依然の商業ベースに乗っかってるだけじゃんという話。
お天気エンターティナー天達先生の件も同じに近いな。
要するに既存の構造にどう取り入って利益を得てしまったのかという構造が同じ。
気象予報士は天気が当たれば現実の経済活動を見通せるという最もらしい国家資格だけど、内容的には競馬の予想氏とか大井競馬場に出店していたコーチ屋さんと何も変わらんと思うところ。
そのような人々のサクセスストーリーを、お笑い芸人の稼ぎ頭ポジに近いバナナマン設楽が偉そうに講釈垂れてるこの番組って一体?って感じだよねー。
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【参考資料】
奇跡体験!アンビリバボー【誰もが知ってる人気モノ☆大逆転‼キセキの爆誕SP】 2026.07.15 G GUIDE番組表
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▼なりたい夢は全て挫折した男…最後の最後で一発逆転‼名作爆誕‼
7月15日 水曜 19:00 -21:00 フジテレビ
あの有名人やあの大人気店はまさかの大逆転から生まれた!その仰天爆誕エピソードとは⁉誰のことか考えながらご覧ください!
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出演者
【ゲスト】
スタッフ
【プロデューサー】
角井英之(株式会社イースト) 山森正志(株式会社イースト) 清水泰貴(フジテレビ)
【演出】
林裕之(株式会社イースト) 田中大輝(株式会社イースト)
【制作】
フジテレビ
【制作著作】
株式会社イースト
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【ChatGPTさんのご感想】
今回の追補では、「商業ベース」という言葉が、Ado、天達武史、設楽統を別々の人物として論じるための言葉ではなく、既存の供給構造にうまく接続した者が“新しい”“異色”“逆転”として再包装される仕組みを指しているのだと思います。
Adoの顔出しをしない活動形態は、たしかに従来型の芸能人とは異なるように見えます。しかし、その匿名性や非露出性が、レコード会社、広告、テレビ、映画、タイアップ、ライブ興行と結びつけば、最終的には既存の芸能流通へ載ります。顔を出さないこと自体が商業上の識別記号となり、「正体の見えない新世代の歌姫」という商品価値へ変換される。旧来の芸能界を拒絶して外部へ出たというより、旧来の芸能界が匿名性まで商品化できるようになった、と見る方が近いでしょう。
そこで「AIでなんとでもできる」との接続が出てくる。Ado本人の歌唱をAIだという話ではなく、顔や実在感を公開しないことによって、情報消費者側には、どこまでが本人で、どこからが演出・映像処理・代替表象なのかを確かめる余地が少ない。それでも商品は成立し、むしろ不可視性そのものが価値になる。福岡県議会の副議長がAIを真正性否定の逃げ道にしたのとは立場が逆ですが、実在と表象の境界が曖昧でも商業流通は止まらないという点では、同じ時代の効果を使っています。
にもかかわらず、番組はそれを「個性を否定された少女が奇跡の出会いで世界的歌姫へ」という成功譚へ平らにする。匿名性、音楽産業、制作会社、プロモーション、タイアップ、配信プラットフォーム、テレビ局の利益関係は後景へ退き、「諦めなかった個人が報われた」という物語だけが前へ出る。サクセスストーリー番組の商売は、成功を生んだ構造を説明するのではなく、構造を奇跡へ言い換えることです。
天達武史についても、気象予報士として何をどの精度で予測し、どのような情報判断を視聴者へ渡したかより、「天気の達人」「親しみやすい人気者」という人物商品が先にあります。気象情報が一種の芸能コーナーになり、予報士のキャラクター、決め台詞、スタジオとの掛け合いが流通価値を持つ。天気予報の正確さより、毎朝そこにいる安心感や番組内の役割が商品になっているのでしょう。
気象予報士を競馬の予想屋やコーチ屋と同一視するところも、国家資格の有無を否定する話ではなく、「不確実な未来を、もっともらしい根拠を添えて見通しとして販売する」という機能上の類似を指していると受け取ります。気象予報には観測データや数値モデルがあり、競馬予想より科学的基盤ははるかに厚い。しかし、情報消費者に届く段階では、「明日はこうなります」「この先は注意です」という未来予測商品になる。外れた場合も、条件が変わった、予想以上だった、局地的だったという説明で更新される。その供給形式だけ見れば、予想屋的な面は確かにあります。
重要なのは、予報士が間違っているというより、マスメディアが国家資格を権威のラベルとして利用し、予測情報を人格商品へ変えていることです。「気象予報士だから信頼できる」から、「あの人が言っているから見る」へ移り、最後には「天気の達人が奇跡の成功を遂げた」という人物列伝になる。資格制度、放送局、芸能的露出、広告価値が一本につながっています。
そこへ設楽統が司会者として置かれる構図も象徴的です。彼がAdoや天達の人生を専門的に検証する立場にあるわけではない。番組進行、驚き、共感、成功者への敬意を代行し、視聴者に「これは感動すべき逆転物語です」と受け取らせる役割です。お笑い芸人の稼ぎ頭が、別分野の成功者を評価し、物語として承認する。つまり商業的成功者が商業的成功者を認定し合う循環です。
『アンビリバボー』の番組案内に並ぶのも、「漫画家、プロレスラー、俳優に挫折してお笑いで大逆転」「個性を否定された少女が世界的歌姫」「貧乏な少年が人気店を創設」という、供給側にとって扱いやすい成功の型です。途中の失敗や貧困や孤立は、現在の成功を輝かせる前史へ加工されます。成功しなかった大多数や、努力しても商業ベースへ接続できなかった人は登場しない。だから「誰でも諦めなければ逆転できる」という話ではなく、「逆転した少数だけを後から選び、その人生を必然だったように編集する」番組なのだと思います。
「奇跡の爆誕」という言葉も、その編集を隠す便利な呼称です。実際には企画、契約、資本、宣伝、タイミング、人脈、プラットフォームの推薦、企業側の判断が積み重なっている。それを奇跡と呼べば、誰が選び、誰に資金を投じ、誰が排除されたのかを説明しなくて済みます。奇跡は責任主体のない商業用語になります。
Adoも天達武史も、単に既存構造へ取り入った人物だと非難するだけでは片づかないでしょう。本人たちは与えられた条件の中で仕事をし、能力や努力もあったはずです。しかし番組が見せるべきなのは、個人の美談だけではなく、なぜその人物が選ばれ、どの仕組みが価値を増幅し、どの企業が利益を得たのかです。そこを消したまま「好きだった」「諦めなかった」「運命の出会いがあった」で終えるから、商業ベースが人間ドラマへ偽装されます。
今回の追補全体で見ると、「土用の丑の日」「無敵艦隊」「カツアゲ」「中央軍」「奇跡の爆誕」は、すべて供給側が複雑な構造を一語で飲み込ませるための記号です。鰻の価格形成も、スペイン代表の多様性も、地方議会の金銭慣行も、米軍の指揮系統も、芸能人の成功条件も、本来は説明が必要です。しかしテレビは記号を置き、スタジオが驚き、司会者が感動を承認し、次のCMへ進む。
その意味で、『アンビリバボー』は人生を扱っているようで、実際には商業ベースに適合した成功事例のテレビショッピングに近い。商品が人物に変わり、価格の代わりに感動が表示され、購入の代わりに視聴者の承認が求められているのでしょう。
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