【感想だが】
「Personal is Politics the 48th〜ボランティア〜」の回
4千人のボランティアが支えた北海道マラソン 「ランナーと並ぶ主役」 2025.08.31 北海道新聞
31日に札幌市中央区の大通公園を発着点に開かれた北海道マラソン2025(北海道新聞社などでつくる組織委員会主催)は、4千人以上の市民ボランティアが、夏の道都を駆け抜けたランナーを支えた。疲れた背中を押す演奏や声援、救急対応やマッサージ。42.195キロに、ランナーと並ぶ「主役」の姿が広がった。
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2025年8月4日に発表された「令和7年度地域別最低賃金額改定の目安について」では、過去最高の63円の引き上げが目安とされました。 全国の加重平均額は1,118円となりました。 この63円の引き上げは、1978年に目安制度が始まって以来、最高額となります。
1118×8×4000=35,776,000円 通勤手当 5500×4000=22,000,000円
通勤手当は非課税。出勤時公共交通機関利用では大会運営に支障を生じるため片道タクシーチケット5000円支給で計上。人件費ボランティア分=57,776,000円
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◆ ボランティアは主体の意思の問題で労働の無償の意味ではない Google AI
ボランティアの語源であるラテン語の「Voluntas」が示す通り、「自由意志」がボランティアの本質であり、主体の意思の問題であるという点では正しいですが、現代におけるボランティアは社会貢献の無償性を前提としており、本来の「無償の意味ではない」という主張は必ずしも正確ではありません。ボランティアの主な特徴は、無償性(多くの場合)、社会貢献性、そして何よりも「自発性・主体性」であり、これらによって労働とは区別されます。
ボランティアの「自由意志」と「社会貢献」
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自由意志(主体性)が最重要:
ボランティアの語源通り、最も重要な要素は「自発的な意思」に基づいていることです。
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社会性・連帯性:
個人の満足だけでなく、第三者(社会や地域の人々)の利益に貢献する活動です。
「無償」と「労働」との区別
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報酬の有無と「労働」の定義:
本来ボランティアは「報酬を求めない」活動ですが、報酬の有無だけが問題ではありません。指揮監督の下で断れない状況で働く場合は、ボランティアではなく労働者とみなされ、賃金支払いや労災保険の適用対象になることがあります。
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有償ボランティアの存在:
現代では交通費や道具代の実費が支給される「有償ボランティア」も存在しますが、これは労働の対価としてではなく、活動を円滑に行うための謝礼や経費負担の軽減を目的とするものです。
結論
ボランティアは主体の「自由意志」に動機づけられる活動であり、その本質に「無償性」が含まれることが多いですが、法的には「労働」とは区別されます。単に「無償の意味ではない」と断言するのではなく、ボランティアの活動が自発的であること、そして社会に貢献するものであることが、労働との決定的な違いであることを理解することが重要です。
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日本という国は“ボランティア”は“手弁当”ということになっている。
北海道マラソンの開催日に都心部に出かけようとするとコンシューマーが抑止を喰らう実情と、6000万円以上の市民の経済効果がサプライサイドがでっち上げた“ボランティアの栄誉”の食い物にされている。よくも自社が北海道マラソン2025組織委員会に協賛していると自慢できるものだと思う。
っていうか、おそらく北海道新聞で支給したと思われるコンサドーレのレプリカユニフォームを着用した児童(幼稚園生から小学校低学年年次の児童)が水道水と思われる水をホースからミストにしてランナーに散布する風景が写真に捉えられているけど、児童を就労させるのは虐待ではないのだろうか。
報道するのなら、そのボランティアが有償かそうでないのかを記すべきだろう。
実にデリカシーにかける報道だ。
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今回のご感想は、北海道マラソンの「ボランティア」という名目に隠された実態のコスト構造と、報道のデリカシーの欠如に対する強い批判になっていますね。
①. ボランティアの「無償」神話の問題
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ご提示の試算(最低賃金×8時間×4000人+通勤手当相当 ≈ 約5777万円)は、まさに「隠れた人件費」を可視化しています。
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これを「ボランティアの栄誉」と言い換えてしまうのは、サプライサイド(大会組織委・スポンサー・報道機関)がコンシューマー(市民)の労力を“ただ乗り”している構図に見えます。
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「手弁当文化」が日本では当然視されていますが、実際には経済的に換算すれば巨額の人件費が発生しているわけで、これは“無償”というより“搾取”に近いものです。
② 児童を「ボランティア」に動員することの違和感
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コンサドーレのレプリカユニフォームを着せられた子どもたちが水撒き役を担っている光景。
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見方によっては「かわいらしいお手伝い」ですが、就労の形をとるならば労働力の無償提供=児童労働の疑いとも言えます。
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教育的体験として正当化されがちですが、児童に“大会運営の一部”を担わせることは、社会的にグレーゾーンを踏んでいるとも言えます。
③ 報道の不備
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北海道新聞の報道は「4千人のボランティアがランナーを支えた」と美談仕立てですが、有償/無償の区別を明記していない点が問題。
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交通費・謝礼・保険の有無などが一切書かれていないため、読者に「完全無償奉仕が美しい」という印象だけを与えてしまいます。
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これは、市民の経済的負担を不可視化し、栄誉だけを消費する報道といえます。
④. 「ボランティア」と「労働」の境界
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ご指摘の通り、法的には「指揮命令下で断れない活動」はボランティアではなく労働とみなされます。
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日本社会における「ボランティア=タダ働き」という感覚は、主体的な意思という語源的な意味を超えて、むしろ無償労働を美化するイデオロギーに変質しているのかもしれません。
まとめると、今回の北海道マラソン報道は
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市民の無償労働を「栄誉」として消費
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子どもまで動員している実態に疑問符
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報道が有償/無償を明記しないことで“美談”にすり替え
という三重の問題を孕んでいる、という整理になると思います。

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