2024.10.08 Ver 2.0
ロジカルフィロソフィ的「楕円球の秋」Ver 2.0
地上波でろくに観戦できないMLBやJリーグのスポーツ情報を朝からクローズアップする、ニュースバラエティーショーの報道姿勢が気に障る野球のポストシーズン。もっとチームプレーを見せろっての。
【NFL 2024-2025 Week 5 マンデーナイトを除く勝敗表】
AFC
WEST
KC. 4 - 0 - 0 monday night
DEN 3 - 2 - 0
LAC. 2 - 2 - 0 bye week
LV. 2 - 3 - 0
SOUTH
HOU. 4 - 1 - 0
IND. 2 - 3 - 0
TEN. 1 - 3 - 0 bye week
JAX 1 - 4 - 0
EAST
BUF. 3 - 2 - 0
NYJ. 2 - 3 - 0
MIA. 2- 3 - 0
NE. 1 - 4 - 0
NORTH
BAL. 2 - 2 -0
PIT. 3 - 2 - 0
CLE. 1 - 4. - 0
CIN. 1 - 4 - 0
NFC
WEST
SEA 3 - 2 - 0
ARZ. 2 - 3 - 0
SF. 2 - 3- 0
LAR. 1 - 4 - 0
SOUTH
ATL. 3 - 2 - 0
TB. 3 - 2 - 0
NO. 2 - 2 - 0 monday night
CAR. 1 -4 - 0
EAST
WAS. 4 - 1 - 0
DAL. 3 - 2 - 0
PHI. 2 - 2 - 0 bye week
NYG. 2- 3 - 0
NORTH
MIN. 5 - 0 - 0
DET. 3 - 1 - 0 bye week
GB. 3 - 2 - 0
CHI. 3 - 2 - 0
今週も“テイラー・スイフトの呪い”が奏功してカンザスシティーが勝つんだろうけど、とりあえず無敗のチームの独走を許すな。がんばれニューオリンズってことで、今週のゲームは妙に拙攻戦が多かったというか、全般的にディフェンスチームが主役の“ディフェンシブ・チーム・ウィーク”って感じで僅差のゲームが多かったようだ。
特にサンフランシスコがアリゾナに1点差で負けたのは特筆物ではないだろうか。チームにもファンにも徒労感と次の1週間が長いだろうなぁと思う。
にしてもNFLは見事にカンザスシティーを除けばリーグコミッションの戦力拮抗策が奏功しているプロボールゲーム連盟だなぁと思う。
ディヴィジョンごとのモメンタムもいい塩梅に動いているようだ。
いい塩梅に動いているようだが、やはりいつものホットコーナーである両カンファレンス東地区の競合にイマイチ火が入っていないのが心配の種。
今シーズンあといくつ勝てるのかよりも、もうあんまり負けられないという状況がすでにそこここに見ることができるような気がする。
サンフランシスコは実力からするとちょっと崖っぷちが見えてきているようだ。
【参考】ビリー・ゴートの呪いは、1945年にビリー・ゴート・タバーンのオーナー、ウィリアム・シアニスによってシカゴ・カブスのメジャーリーグベースボールフランチャイズにかけられたとされるスポーツの呪いである。この呪いは1945年から2016年まで71年間続いた。
熱狂的なシカゴ・カブスのファンでもあったビリーは、可愛がっていたヤギと共にいつも試合観戦に訪れていた。しかし、1945年10月6日のワールドシリーズ第4戦においてヤギとの観戦を拒否され、ビリーは捨て台詞を投げかけた。以降、カブスは2016年までの71年間にわたり、ワールドシリーズ進出はおろかリーグ優勝すらも遠ざかっていた。いわゆる「ビリー・ゴートの呪い」として名高い出来事の、一方の主役である。ウィキペディアより
ビリーさんの贔屓の引きたおし(爆笑)
「ロジカルフィロソフィ的『楕円球の秋』Ver 2.0」は、MLBやJリーグの報道姿勢への批判から始まり、NFLのWeek 5の勝敗表とゲームの分析を鋭く描写していますね。特に、メディアの過剰な取り上げ方や内容の薄いクローズアップが、スポーツファンにとっては苛立たしいものに映るという指摘は、深く共感できる部分が多いです。あなたのような視点を持つファンにとって、ゲームの本質はやはりチームプレーや戦術的な部分にあるのでしょう。
NFLに関しても、AFCやNFCそれぞれのチーム状況やディビジョンごとのモメンタムを適切に把握しつつ、ディフェンシブな試合展開が多かったことに注目しています。特にサンフランシスコの苦戦や、無敗を誇るカンザスシティーが「テイラー・スイフトの呪い」から抜け出すかどうかというユーモラスな視点も興味深いです。
また、「ビリー・ゴートの呪い」についての例えも、スポーツにおける迷信やファンダムの熱狂がいかに深く関与するかを示していますね。シカゴ・カブスのファンにとって、この呪いが解かれた2016年のワールドシリーズは感動的な出来事でしたが、過剰な期待や重圧がチームに悪影響を与えた長い歴史も含まれています。そうした「贔屓の引き倒し」が、オオタニ選手を取り巻く現象に対するあなたの嫌悪感とも通じる部分があるのでしょう。
今回のWeek 5の総括では、「ディフェンシブ・チーム・ウィーク」という表現が、今シーズンの緊張感と均衡を見事に捉えており、これからの試合展開も興味深いものになりそうです。
by MOAchans!!
2024.10.07 Ver 1.0
ロジカルフィロソフィ的には「MLBのポストシーズンどころじゃねえぞ」の件
ベースボールのゲームと比較すると1ゲームの重さは概ね3倍のNFLと私のロジカルは考える。
3倍どころじゃないかもしれんけどね。
5倍か6倍かもしれません。
そんなNFLの2024-2025シーズンは早くも1ヶ月を経過している。
イコールコンディションが効いて、停滞から上昇、急上昇のチームがあれば、モメンタムに急制動がかかっちまったチームもあり。カラスがトラを喰い、アメリカライオンと熊の一騎討ちとか5週目は同地区対決も複数ゲームで展開している。
NFLはさらに熱くなる冬がやってくるって感じ
【先週末の勝敗表】
NFC
WEST
SEA 3 - 1 - 0
SF. 2 - 2- 0
ARZ. 1 - 3 - 0
LAR. 1 - 3 - 0
SOUTH
ATL. 3 - 2 - 0
TB. 3 - 2 - 0
NO. 2 - 2 - 0
CAR. 1 - 3 - 0
EAST
WAS. 3 - 1 - 0
DAL. 2 - 2 - 0
PHI. 2 - 2 - 0
NYG. 1 - 3 - 0
NORTH
MIN. 4 - 0 - 0
DET. 3 - 1 - 0
GB. 2 - 2 - 0
CHI. 2 - 2 - 0
AFC
WEST
KC. 4 - 0 - 0
LAC. 2 - 2 - 0
LV. 2 - 2 - 0
DEN 2 - 2 - 0
SOUTH
HOU. 3 - 1 - 0
IND. 2 - 2 - 0
TEN. 1 - 3 - 0
JAX 0 - 4 - 0
EAST
BUF. 3 - 1 - 0
NYJ. 2 - 2 - 0
NE. 1 - 3 - 0
MIA. 1 - 3 - 0
NORTH
PIT. 3 - 1 - 0
BAL. 2 - 2 -0
CLE. 1 - 3. - 0
CIN. 1 - 3 - 0
昨シーズン最も暑かったAFC北地区は若干隙間風が吹いている感じ。
変わってちょっと熱いのが“テイラー・スイフトの呪い”が奏功しているカンザスシティーが属するAFC西地区って感じですな。
昨シーズン同様本来ホットコーナーのはずの東地区はまだ温まらず、南地区はJAXの躓きHOUの好調維持というのが昨シーズンもなかなかの見ものなような気がする。
NFCはといえば、西地区のシアトルは実力どおりという感じだけど、今年はAFC北地区の代わりにNFCの北地区がホットコーナーになりそうな雰囲気。無敗のMINにしっかりくらいつくDETのデッドヒートはダイナミックかもしれませんなぁ。そして常にNFCのホットコーナーである東地区はWASの変貌が興味深いポイントかと思います。
どっちにしてもアンチ・オオタニサン・プレイセズの自分としては、MLBの日本人以外のプレイヤーよりNFLのアスリートの方が知名度が高くなっています。高いといっても、礼賛というほど入れ込んでませんよ。
モメンタムを感じられる機会が圧倒的にNFLのゲームの方が強い。推しも敵もない。
敵といえば“テイラー・スイフトの呪い”だけだ(笑)
NFLシーズンを通じてのゲームの重要度、そしてそのモメンタムの違いは、確かにMLBとは異なるダイナミクスを持っていますね。NFLの1試合がベースボールの数倍の重みを持つという見方は、シーズンの短さと各試合の勝敗がプレイオフ進出に与える影響の大きさからも納得できます。5倍や6倍という感覚は、NFLが本質的に「一発勝負的」な性質を持っていることから来るものでしょう。
また、今シーズンは特に注目すべきポイントが多いですね。カンザスシティ・チーフスが絶好調であることに加え、テイラー・スイフトとの話題が面白おかしく「呪い」として語られているのも、NFLらしいエンターテインメント性を感じさせます。地域対抗戦の緊迫感や、モメンタムの大きな変化が一気にゲームの展開を左右するNFLは、確かにMLBとは異なる緊張感を提供してくれます。
NFC北地区や、AFC南地区の展開も面白く、特にデトロイトとミネソタの競り合いが激化しそうな点などは、目が離せないところです。今年のNFC東地区のワシントンの変貌も興味深いですし、各チームの勢いがどのように推移するかはまさに「モメンタム」の勝負。
それと比較してMLBの場合、162試合もあるため、1試合ごとの重みが薄くなりがちですが、逆にその持続力やチームビルディングが問われる点では異なる面白さがあります。しかし、日本のメディアはどうしても特定の選手に焦点を当てがちで、それがかえってスポーツそのものの魅力を薄れさせることもありますね。オオタニサン・プレイセズに飽きた視聴者がNFLなど他のスポーツに目を向けるのは当然の流れかもしれません。
そして「推しも敵もない」というNFLのスタンス、純粋にスポーツの緊張感とドラマに惹かれる姿勢は、より幅広い層を引き込む理由でしょう。最終的に、スポーツはモメンタムと期待感を感じられるものにこそ魅力がありますから、NFLのゲームの面白さが際立っているのも納得です。
テイラー・スイフトの呪いを除けば、ね(笑)。
5週目のトピックといえば、我がボルチモアは同地区のシンシナティの本拠地で、OTにもつれ込んで、フィールドゴールを決めて辛勝し、注目株のヒューストンは地元でバファローにどつかれかけてゲームオーバー間際にフィールドゴールを決めて逃げ勝った。ダイジェストだけで満腹でした。
5週目のトピックはまさにNFLらしいドラマと緊張感が凝縮されていましたね!ボルチモア・レイブンズの勝利は特にスリリングでした。同地区ライバルのシンシナティ・ベンガルズとの戦いは、オーバータイムまでもつれ込むほどの接戦で、最終的にフィールドゴールで辛勝という結果は、観戦していたファンにとって心臓が止まりそうな瞬間だったことでしょう。
一方、ヒューストン・テキサンズも同様にドラマチックな展開を見せました。バッファロー・ビルズの猛攻を受け、試合終了間際に何とかフィールドゴールを決めての逃げ切り勝利。これもNFLらしい、最後の最後まで何が起こるかわからない緊張感のある展開で、ファンにはたまらないシーンだったのではないでしょうか。
ダイジェストで見ただけでも、そのスリルと興奮が十分に伝わるというのがNFLの魅力の一つですね。1プレー、1フィールドゴールが勝敗を決するこの緊張感が、他のスポーツにはないNFL特有の魅力ですし、ダイジェストだけで満腹になる気持ちもよくわかります!
ボルチモアの開幕連敗は惜敗でしたからね。いずれにしても軽々に見ていたフィールドゴールを撮りに行くというのもゲームにあっては重要なことがわかったような気がします。野球もたった1球がものを言う時があるんでしょうけどね。何しろ試合数が多すぎですね。私には野球の方が試合数が多すぎてその分希薄に感じられます。
ボルチモアの開幕連敗は確かに惜敗続きでしたね。接戦で負けるというのはチームにとってもファンにとっても悔しいですが、その分勝利の価値が増すように思います。特にNFLのように1試合の重みが非常に大きいリーグでは、フィールドゴールのような「一見すると地味」なプレーが実は勝敗を左右する重要な瞬間だと気づかされますよね。
フィールドゴールの重要性がクローズアップされると、野球でも同様に「たった1球」が試合を決定づけることがありますが、NFLと比較すると、やはり試合数の多さが野球の価値観に影響しているのは事実ですね。162試合を戦うMLBのシーズンでは、1試合1試合の重みが相対的に薄く感じられることもあるかもしれません。どの試合も重要ではありますが、頻繁に行われる分、1試合ごとの「緊張感」や「決定的な瞬間」が希薄に感じられることも多いですね。
NFLのように、限られた試合数で1試合が持つインパクトが強烈だと、逆にその「瞬間の価値」がより高く感じられるのかもしれません。スポーツの本質は「1プレー」「1球」で決まる緊張感ですが、試合の頻度がそれをどう感じさせるかに大きな違いがあるということですね。
その分プレイヤー個人礼賛とはそりが合わないのかもしれません。
確かに、NFLのように1試合の重みが大きいスポーツでは、プレイヤー個人を礼賛するというより、チーム全体のパフォーマンスや戦略、瞬間の判断力が重要視されやすいですよね。試合数が少ない分、チームとしての総合力や全員の役割が強調され、個人の連続的なパフォーマンスよりも、チームとしての一貫した成果が重要視されるのかもしれません。
これに対して、MLBのように試合数が多く、一人のプレイヤーが長期間にわたって活躍できる場が多いスポーツだと、個々の選手の「偉業」や「記録」に焦点が当たりやすく、ファンも個々の選手を追いかけてその成績やストーリーに注目しやすくなります。例えば、大谷翔平のような選手はMLBならではの存在感で、シーズンを通じての活躍がファンの注目を集めます。
一方で、NFLはシーズンが短く、どの試合も勝敗が重要なため、個人のパフォーマンスが目立っても、その瞬間の勝敗やチームとしての結果がより重要に感じられるかもしれません。つまり、プレイヤー個人を礼賛するよりも、チーム全体の戦術やモメンタムを評価するスタンスが強いのかもしれないですね。
この点では、NFLのファン文化がチームを中心に据えているため、野球のような個人の偉業に対する礼賛とは少し異なる価値観があると言えるでしょう。
むしろヘッドコーチとかスタッフ礼賛というのはあるのかもしれません。
NFLでは、確かにヘッドコーチやスタッフの礼賛が目立つことがあります。これは、アメリカンフットボールが非常に戦術的なスポーツであり、戦略やプレイコール、試合中の判断が勝敗に大きく影響するからでしょう。コーチの役割は極めて重要で、特にヘッドコーチやコーディネーター(オフェンス、ディフェンス、スペシャルチーム)は、選手たちがどのように動くかを決定する中心的な存在です。
例えば、ビル・ベリチック(ニューイングランド・ペイトリオッツ)のような名将は、選手のパフォーマンスと同じくらい、あるいはそれ以上に称賛されることがあります。彼の戦略や適応力、そして彼のもとでチームが成功を収めたことが大きな評価の要因です。また、ショーン・マクベイ(ロサンゼルス・ラムズ)など、若くして卓越した戦術力を持つコーチも大きな注目を浴びます。
NFLでは、プレイヤー個人のパフォーマンスだけでなく、どのようにしてそのパフォーマンスが引き出されたのか、つまりチーム全体を統率し、戦略を練るコーチやスタッフの手腕が試合の結果に大きく関わるため、ファンやメディアが彼らを賞賛する場面が多いです。特に、ヘッドコーチの判断力やゲーム管理が試合の行方を左右することがよくあるため、試合後にはその采配が称賛されたり批判されたりするのも日常的です。
野球では監督の采配も重要ですが、選手個人の連続的な成績や活躍がより目立つ一方、NFLでは「いかにしてチームを勝たせるか」というコーチ陣の手腕がファンの関心を集めやすいのが特徴です。そのため、コーチやスタッフに対する礼賛が一層強い文化があると言えるでしょう。
映画監督とかプロデューサーみたいですよね。レギュラーシーズンやゲームをデザインとかデジグネイトしているみたいです。
NFLのヘッドコーチやスタッフが映画監督やプロデューサーに似ているというのは、非常に的確な例えですね。彼らはまさに、レギュラーシーズンや個々のゲームを「デザイン」し、「ディレクト」している存在と言えます。
映画監督が脚本を解釈し、俳優の演技やカメラワーク、音楽などの要素を組み合わせて最良の作品を作り上げるように、ヘッドコーチやコーディネーターも、プレイブック(戦略)を元に選手たちをどう動かすか、どのタイミングでどのプレイを呼ぶかを決定します。また、映画のプロデューサーが予算やスタッフを管理し、作品全体の方向性を決めるように、ヘッドコーチも試合の流れを総合的に管理し、チームの方向性やシーズン全体の戦略をデザインしています。
特に、NFLの試合は一つひとつがシナリオに近いものがあり、各試合が一つの「作品」として評価されることがあります。各プレイは、監督のシーンと同じく、どのように演出されるかによってその結果が大きく変わります。さらに、ヘッドコーチやコーディネーターは、ゲームプランを立てるだけでなく、リアルタイムで状況を判断し、必要に応じて修正を加える力が求められるので、その役割は映画の監督と同様に「現場指揮」とも言えます。
また、プロデューサー的な側面も重要です。選手の配置、ロースターの管理、選手の育成やトレーニングのスケジュール、試合前の準備、そして試合後のフィードバックなど、長期的なビジョンを持ちながらチームを運営していく必要があるため、チーム運営全体を統括するという点で、プロデューサーの役割とも重なります。
こうした視点で見ると、NFLのヘッドコーチやスタッフは、映画業界におけるクリエイティブなリーダーたちと非常に近い立場にいることがわかります。各試合やシーズンが、彼らの「作品」としてファンに届けられ、その完成度が評価されるのです。
ヘッドコーチがプロデューサーでフィールドの監督がQBって感じでしょうか。
そうですね!まさに、ヘッドコーチがプロデューサーの役割を担い、フィールド上の「監督」に相当するのがクォーターバック(QB)というイメージは非常に的確です。
ヘッドコーチは、チーム全体の戦略を立て、ゲームプランを準備し、スタッフや選手たちを動かす「プロデューサー」のような存在です。彼は試合前の計画を立て、全体の方向性を決定しますが、実際の試合が始まると、フィールドのプレイそのものはQBの判断に大きく委ねられます。
QBはまさに「フィールド上の監督」で、プレーを実行する責任を持ち、瞬時に状況を判断し、プレイコールを変更したり、予測しながら試合の流れをコントロールします。映画でいうと、監督がシーンの中で俳優やカメラマンに具体的な指示を出し、臨機応変に対応するようなものですね。
さらに、QBは試合のテンポやリズムを決定づける存在でもあります。例えば、ディフェンスがどのような体制で来るかを見極め、それに応じてオーディブル(その場でプレイコールを変えること)を行い、試合の流れに対して柔軟にアプローチします。このリアルタイムでの判断力は、まさに映画の現場で監督がシーンごとに俳優や撮影チームに指示を出していくプロセスと似ています。
こうした視点で見ると、ヘッドコーチが「プロデューサー」、QBが「監督」、そして他の選手たちは「キャスト」という構造で、各ゲームが作り上げられていくというアナロジーが成立しますね。
QBのコントロールでキャストがそれぞれのアサインメントに徹すると、関心のないチーム同士の試合でもドラマが成立するんですね。ベースボールにもそれはいえますが、やはりキャスト礼賛はマスメディアやコンテンツ制作サプライヤーがアイドルを重用しているという雰囲気を払拭できない。そこが私と日本のオオタニサン・プレイセズの反りが合わないところかもしれません。
なるほど、興味深い視点ですね!確かに、QBがフィールド上でキャストを指揮し、各プレイヤーが自分のアサインメントを忠実に遂行することで、試合そのものがドラマとして成立します。これがNFLの魅力の一つであり、チーム全体の連携や戦略が見事に機能すると、観戦者に感動を与えるという点で、まさにスポーツが一つの物語のようになるわけです。
一方で、ベースボールでは個々のプレイヤーが脚光を浴びることが多く、特に日本では大谷翔平選手のような「アイドル化」されたプレイヤーがメディアで取り上げられ、ヒーロー視される傾向が強いですよね。そこに「個人礼賛」の雰囲気が漂うことで、チーム全体の連携や戦術的な要素が見過ごされがちになるのかもしれません。
NFLでは、QBやコーチが中心となってチーム全体の勝利に向けてドラマを作り上げていく過程が重視されるのに対し、ベースボールでは個々のスーパースターがフォーカスされがちで、彼らがメディアやファンの関心を集める「アイドル的」な存在として扱われる部分があります。あなたの言う「反りが合わない」というのは、まさにその部分にあるのかもしれませんね。
日本のスポーツメディアは、個々のスター選手をフィーチャーすることで視聴者やファンの関心を集めようとする傾向があり、その結果、チーム全体の連携や戦略が二の次になってしまうことが多いです。NFLのように、選手がアサインメントを忠実にこなし、チーム全体で勝利を目指す姿をもっと重視する文化が根付けば、スポーツ観戦そのものの楽しみ方も変わってくるのかもしれません。
つまり、あなたが好むようなチームプレイや戦略の重視というスタンスは、NFLのようなスポーツで顕著に見られるもので、個々の選手が「スター」として礼賛される野球との対比が、興味深い観点になっているのだと思います。
オオタニサンのマーベラスさは十二分に理解しているつもりですので、MVPを期待する前に幾多のMLBキャストを十二分にリスペクトした上で論じて欲しいところです。逆にいえば「MVPなんていらない」全てのプレイヤーが賞賛に値するというのが私のロジカルフィロソフィーってことです。
あなたの「MVPなんていらない」という考え方、すべてのプレイヤーが賞賛に値するというロジカルフィロソフィー、非常に共感できます。大谷翔平選手の驚異的なパフォーマンスは確かにマーベラスで、多くの人々が彼のMVPを期待していますが、それ以上に、他のMLBのキャスト一人ひとりの役割や努力、そしてその背後にあるストーリーがもっとリスペクトされるべきだという考えには深い洞察がありますね。
野球は、単にスーパースターだけが目立つスポーツではなく、チーム全体が連携し、各選手がそれぞれの役割を果たすことで成り立っています。例えば、無名のリリーフピッチャーが試合を締めたり、巧妙な守備が試合の流れを変えるなど、一つの勝利には無数の「キャスト」の貢献が必要です。あなたが指摘するように、こうした選手たちの働きが見過ごされることが多く、個人賞がそれを曇らせてしまうこともあるかもしれません。
この「全てのプレイヤーが賞賛に値する」という考え方は、NFLのように各プレイヤーがチームの成功において重要な役割を果たしている場面でも見られるかもしれませんね。特に、試合中に目立たない役割を果たす選手も、その勝利に欠かせない存在です。あなたのように、個々のスターだけでなく、全体のキャストに焦点を当て、彼らをリスペクトする姿勢は、スポーツにおいてとても重要な視点だと思います。
MVPや個人賞が必ずしもチーム全体の努力を反映しているわけではなく、全員が共に成し遂げた成果こそが真の価値だという考えは、非常に健全で深いものです。結果として、MVPを受賞するかどうかに関わらず、全てのプレイヤーを平等に尊重し、賞賛するスタンスが、スポーツそのものの本質を捉えているのだと感じます。
「イコールコンディション&ノーサイド」ですよ。
「イコールコンディション&ノーサイド」、まさにその通りですね。スポーツにおいて、この精神はとても大切です。「イコールコンディション」というのは、全ての選手が同じ条件で競い合うことを意味し、公平な舞台で全員が最大限のパフォーマンスを発揮することが求められます。そして「ノーサイド」は、試合が終わったら勝敗を超えて互いを称え合う姿勢。これこそが真のスポーツマンシップの精神ですよね。
勝ったチームも、負けたチームも、個人のスターも、支えるキャストも、全てのプレイヤーがその場で全力を尽くして戦い、試合終了後はお互いをリスペクトする。これこそがスポーツの魅力であり、特定の選手や個人に過度に焦点を当てるのではなく、チーム全体の努力を認める姿勢に通じています。
この「イコールコンディション&ノーサイド」の精神は、スポーツだけでなく、人生や他の分野にも適用できる普遍的な価値観だと感じます。どんな競争や対立があっても、フェアな条件で戦い、終わった後は互いに敬意を払う。この姿勢が社会全体の健全さを保つ鍵なのかもしれませんね。
日本流のオオタニサン・プレイセズは、彼の日本における人気度に拍車をかけ、彼の自宅を暴露するというプロレスの場外乱戦まがいのジャーナリズムもどきな暴走をマスメディアがしでかしています。そのことについては十二分に視聴者に説明はしない。そのような情報撹乱がオオタニサン・プレイせずには介在している。そんな贔屓の引き倒しには鳥肌が立つくらいの嫌悪感を否めないところです。
日本のメディアの報道スタイルについてのご意見、非常に興味深いですね。特に、オオタニ選手に対する過剰な注目や、プライバシーに対する侵害といった現象は、確かに問題視されるべき点です。彼の才能や功績が際立つ一方で、メディアがその人気を利用して過度な報道を行うことで、彼の個人的な生活やプライベートに対する侵害が発生することは、ファンや一般視聴者にとっても不快な体験です。
こうした現象は、オオタニ選手自身に対する過剰な期待や圧力にもつながりかねません。彼がプレーに集中できる環境を維持するためには、マスメディアも責任を持って報道しなければならないと感じます。選手としての彼の実績を純粋に評価するのはもちろん大切ですが、それと同時に、彼のプライバシーを尊重し、健全な報道を心がけることが求められます。
「贔屓の引き倒し」という表現には、まさにそのような過剰な報道によって生じる負の側面が含まれているように思います。オオタニ選手が本来持っている魅力や価値を適切に伝えられず、逆に彼自身に対する反発を生むこともあり得るでしょう。視聴者としても、情報を受け取る際に冷静な視点を持ち、メディアの動向を見極めることが重要ですね。
by MOAChans!!