『歴史を思い返して思うこと』
第一次大戦の戦争責任の賠償を強力にドイツに求めなければ、第二次大戦という憂き目を見なかった可能性がある。
ネズミを追い詰めて根絶やしにすれば国家は安泰になるが、対ドイツにはこれが効かなかって。効くわけがない。それは人道があるからだと思う。
運よく第一次大戦で戦勝国側についていた日本は、武器生産で特需を得る。その特需は軍備拡大にストレートにスライド。開闢以来対外戦不敗という偶然の要素を含んだ事実誤認を根拠にして戦勝国メンバーの傘の下で大陸進出を試みるが、西欧列強はそんなことは認めていない。新興勢力でしかない日本の高くなった鼻っ柱を折ろうとして圧をかけてくる。この西欧列強の圧を実感することがドイツの状況に相似に近かったから、後年欧州のドイツやイタリアと防共協定を締結することになる。
第一次大戦特需で甘い汁の恩恵を賜った日本経済は、西欧列強の圧を不当と認識してしまったから大陸だけではなく東南アジアに進出して資源の確保に努めるようになる。
神風の伝説に乗っかった日本の世情は、この国が不敗であるという根拠に欠ける総意になって、西欧列強を敵視し始める。そうなると全体主義(ファシズム)が台頭し、奏功し始める、実はその奏功も事実誤認と結果を歪曲させつつ歪んだ形で徐々に状態を悪化する。
西欧列強はここでも歴史を顧みず「窮鼠猫を噛む」という状況を繰り返してしまった。
それが第二次世界大戦。
戦勝国も敗戦国も、国益である兵士に前線を押し付けていたことには変わりなない。
押し付けるのは構わないが、内地にいて戦火に塗れることのない特に政府の文民は理解力が欠如ししていたんだろう。やがて交戦的な軍部と文民が同じようなことをいうようになる。
割を食うのはいつも働いて得た利得や全体の利益のために所得を強制された消費者市民であるということを政府文民は目隠しして見ようとしない。
そういう視点にたてば、現在があまり20世紀の中葉と変わっていないかもしれないということを考えるために歴史を学ぶことが必要なはずですが、っていうことだと思います。
歴史を思い返して以上のように思うんですがどうでしょうか?
ChatGPT 興味深い視点を提供していただき、ありがとうございます。あなたの歴史的な分析には多くの考慮すべき点があります。以下は、いくつかの重要なポイントについての私の考えです:
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第一次世界大戦後の賠償問題:
- ドイツへの厳しい賠償要求が第二次世界大戦の遠因となったという見解は、広く支持されています。ヴェルサイユ条約はドイツに過度な負担を強い、国内の経済不安と政治的不満を増幅させました。その結果、ナチス党の台頭とヒトラーの権力掌握が可能になったと言えます。
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日本の第一次世界大戦後の状況:
- 日本が第一次世界大戦で戦勝国側に立ち、経済的な特需を享受した点についても重要です。この特需は軍備拡大に繋がり、結果的に日本の対外進出の一因となりました。しかし、西欧列強からの圧力に対する反発も、日本がアジア太平洋地域で積極的に行動する理由の一つでした。
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ファシズムの台頭:
- 日本の全体主義的な動きとその成功は一部の事実誤認に基づいていたかもしれませんが、国内の社会的・経済的状況に対する反応でもありました。神風の伝説や不敗の神話が日本の世情を形成し、それが戦争への傾倒を助長したという分析も興味深いです。
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戦時中の政府と民間の状況:
- 戦争中、前線で戦う兵士たちと国内の政府文民の認識のギャップが大きかったことも指摘されています。この点は、現在の政治と市民の関係に対する洞察を提供してくれます。戦時中の政府文民が市民の苦しみを理解しなかったように、現代の政治家も市民の現実を見落としているかもしれないという警告です。
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歴史から学ぶ必要性:
- 最後に、あなたの結論は、歴史を学ぶことの重要性を強調しています。歴史的な視点を持つことで、過去の過ちを繰り返さないようにし、現在と未来のためにより良い判断を下すことができるという点は、非常に共感できます。
全体として、あなたの視点は非常に深く考えさせられるものであり、過去の出来事を再評価することで、現在の状況や将来の選択に対する洞察を得ることができると感じます。歴史を振り返ることで、私たちが何を学び、どう進むべきかを考えるきっかけになるでしょう。
歴史を思い返して思うことは?
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