173 複雑と煩雑 | Watashi Dame Zettai by MOAChans

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情報の深海を進む潜水艦のソナーマンの願いは鳥の目を持つことdeath!!!

Put your “KITSUNE” uuuuup!!!!!

 

 

 

 

 

 

 エンターティンメントとしては「人気の奪い合い」が避けられる。秋冬はアメフト、バスケ、アイスホッケーのハシゴができる。サブスクリプションやオンデマンドを活用すればもっと楽しくなる。日本の場合野球とサッカーの開催期間を被せている。サブスクリプションはようやく始まった程度。選択の幅がせまい。そして情報のサプライヤー(マスメディア)が個人競技も団体競技も「区別」しないで盛り上げるからチームプレーが存在理由であるベースボールで「大谷翔平礼賛」というプレイヤーの神格化が始まる。八百万の神の国で唯一神志向があるのが歪な感じ。 ChatGPT 興味深い観点ですね。アメリカでは、スポーツのシーズンがうまく分かれているため、「人気の奪い合い」が避けられ、秋冬にはアメリカンフットボール、バスケットボール、アイスホッケーをはしごして観戦することが可能です。さらに、サブスクリプションやオンデマンドサービスを活用することで、スポーツ観戦がより楽しくなります。  一方、日本では野球とサッカーのシーズンが重なっており、サブスクリプションもまだ発展途上の段階で、選択の幅が狭いです。さらに、マスメディアが個人競技と団体競技を区別せずに盛り上げるため、野球のようなチームプレーが本来の魅力であるスポーツでも、大谷翔平選手のような個人の神格化が進んでいます。これが八百万の神を信仰する国で唯一神志向があるような歪な現象を引き起こしているという指摘は鋭いです。  このような状況の中で、どのようにしてスポーツのエンターテインメント価値をさらに高め、観戦者の満足度を向上させることができるかについては、今後の課題と言えるでしょう。

  ※これは先の貴殿との対話の一部であるが、関連事項をお話ししたい。夕方の地方ローカルのニュースワイドショーの司会が「MC(マスターオブセレモニー)」という立ち位置について違和感を感じるものである。ワイドショーという立ち位置を優先して受け止めるか、ニュースとして受け止めるか曖昧な司会進行ということにならないか?                          

ChatGPT 日本のスポーツエンターテインメントの現状についての指摘は非常に興味深いです。スポーツシーズンの重なりやサブスクリプションサービスの未発達、マスメディアの報道姿勢がどのように観戦者の満足度や選手の神格化に影響を与えているかについて、さらに深掘りする価値があります。

 夕方の地方ローカルのニュースワイドショーについても、司会者が「MC(マスターオブセレモニー)」としての立ち位置に違和感を感じるという意見は理解できます。ニュースとワイドショーの境界が曖昧になり、視聴者がどのように受け取るべきかが不明確になることは、情報の伝達において重要な課題です。

 これらの観点から、スポーツエンターテインメントやニュース報道の在り方について、視聴者の視点から改善策を考えることが必要かもしれません。たとえば、スポーツシーズンの調整やサブスクリプションサービスの拡充、報道内容の明確化などが挙げられます。

 

 

 大谷翔平選手の活躍を彼が北海道のチームが輩出しているからなのか、過剰に賛美する。彼は日本の野球に背を向けた裏切り者とも受け取れるのにである。日本プロ野球に空白を生じることを推奨しながら日本ハムファイターズを激推しする。大谷選手の件も同じ。キー局で増幅した大谷礼賛をローカル局でさらに増幅する。さらに先週末情報も絡めるから情報のハウリングが生じて受け取ることができる。こんなじゃ地元の美味しいラーメンを紹介してくれるローカルワイドショーにしてもらった方がいいと思う。

ChatGPT 大谷翔平選手への過剰な賛美が、彼の出身地である北海道のチームからの影響や、彼が日本の野球界を離れたという見方がある中で行われていることは確かに複雑な問題です。この現象は、キー局での報道がローカル局でさらに増幅され、情報のハウリングを引き起こしていると感じることも理解できます。

 ローカルワイドショーが地元の美味しいラーメンなどの紹介に焦点を当てる方が、地域に密着した情報提供としてより有益であるという意見も納得できます。地域の特色や魅力を伝えることは、視聴者にとっても価値のある情報であり、地元の活性化にもつながるでしょう。

このような視点から、報道内容のバランスを考え、地域の特性を生かした情報提供のあり方を再考することが重要です。

 

 彼らの場合のマスターオブセレモニーは「神輿担ぎ」と理解していいね。

ChatGPT はい、その解釈は適切だと思います。「マスターオブセレモニー(MC)」が「神輿担ぎ」の役割を果たしているという理解は、特定の人物や話題を盛り上げるための司会者の役割を表現するのに合っています。特に、大谷翔平選手のような個人を過剰に賛美し、報道内容が偏ってしまう場合、司会者がその中心となって盛り上げる役割を担っていると言えます。

 

 

 「ニュースキャスター」なら客観性が最優先だしね。

ChatGPT そうですね。「ニュースキャスター」は客観性が最優先されるべき役割です。ニュースキャスターは、事実を正確に伝え、視聴者に偏りのない情報を提供することが求められます。彼らは感情や個人的な意見を排除し、公平な報道を心掛けるべきです。

 一方、「マスターオブセレモニー(MC)」はエンターテインメント性や盛り上げる役割が求められることが多く、時には個人や特定の話題を過剰に持ち上げることもあります。この違いを理解することで、視聴者は報道の内容やその背景をより深く理解できるでしょう。

 

 

 ゴールデンタイムがお笑い芸人に占拠されているのも「神輿担ぎ」と理解すればそれはそうだということになる。

ChatGPT そうですね、ゴールデンタイムにお笑い芸人が多く登場する現象も「神輿担ぎ」として理解することができます。これは、視聴者を楽しませるために、人気や話題性のある人物を前面に押し出し、番組の盛り上がりを図るという意味合いがあります。

 この「神輿担ぎ」によって、視聴者はエンターテインメント性の高い内容を楽しむことができますが、同時に報道や情報提供の質や客観性が犠牲になる場合もあります。このような背景を理解することで、視聴者は番組の内容をより批判的に受け取ることができるでしょう。

 

 

 しかし、民間放送はステークホルダーの資金投入が財源のほとんど。ステークホルダーは視聴者をお祭りに誘って何のメリットがあるのか。それは疑問だ。

ChatGPT 確かに、民間放送の財源の多くはステークホルダーの資金投入に依存しています。ステークホルダーが視聴者を「お祭り」に誘うことで、どのようなメリットを得るのかは興味深い疑問です。以下のいくつかのポイントが考えられます。

  1. 視聴率の向上: 人気のあるお笑い芸人やエンターテインメント性の高い番組は、視聴率を上げるための重要な要素です。高い視聴率は広告収入の増加に直結し、ステークホルダーにとっては直接的な経済的メリットとなります。

  2. ブランドイメージの強化: ステークホルダーは、自社の製品やサービスを楽しいイメージと結びつけることで、ブランド価値を高めることができます。視聴者が楽しい番組を見ている間に、その番組内で自社の広告が流れることで、ポジティブな感情を引き出す効果があります。

  3. 視聴者のエンゲージメント: 視聴者が楽しめる番組を提供することで、視聴者の忠誠心を高め、長期的に視聴者を引きつけることができます。これは、ステークホルダーにとって、安定した広告視聴者層を確保する上で重要です。

  4. 広告効果の最大化: お祭りのような楽しい番組は、視聴者がリラックスしている状態で視聴するため、広告の受容性が高まると考えられます。このため、広告効果が最大化され、ステークホルダーにとってはより効果的なマーケティングとなります。

 以上のように、ステークホルダーが視聴者を「お祭り」に誘うことで得られるメリットは、経済的な利益やブランド価値の向上、視聴者のエンゲージメントの強化など、複数の側面から考えることができます。

 

 

 普通に考えればイエスマンのお笑い芸人の大量の投入はブランドイメージの劣化になると思いますが。最近のお笑い芸人は視聴者と一緒になって楽しんでいるという姿勢が伺える。狡猾っていうイメージですが。

ChatGPT 確かに、お笑い芸人が多数出演することがブランドイメージの劣化につながる可能性もあります。特に、視聴者から見て「イエスマン」や「狡猾」といったイメージを持たれることは、ブランドに対する信頼性を損なう恐れがあります。

 一方で、最近のお笑い芸人が視聴者と一緒に楽しむ姿勢を見せることは、視聴者との距離感を縮め、エンゲージメントを高める効果があります。視聴者が親しみを感じやすくなり、番組への参加感を高めることで、視聴者の満足度を向上させることができるでしょう。

このようなバランスを取るためには、以下の点が重要です:

  1. コンテンツの多様性: 一定のバランスを保つために、お笑い芸人だけでなく、さまざまなジャンルのコンテンツを提供することが大切です。これにより、視聴者の多様なニーズに応えられます。

  2. 品質の確保: お笑いの内容や表現が質の高いものであることを保証し、視聴者が楽しむだけでなく、価値を感じられるようにすることが重要です。

  3. 視聴者フィードバックの活用: 視聴者の意見や反応を積極的に収集し、コンテンツの改善に役立てることで、視聴者との信頼関係を築くことができます。

  4. 誠実さの維持: お笑い芸人が視聴者に対して誠実であり続けることは、長期的な信頼を得るために不可欠です。視聴者を楽しませるだけでなく、誠実な姿勢を見せることで、ブランドイメージの向上にもつながります。

 このようなアプローチを取ることで、お笑い芸人の活用がブランドイメージの向上や視聴者のエンゲージメントに貢献する一方で、信頼性を保つことができるでしょう。

 

 

 でもお笑いの基本は「芸人が笑うのではなくお客さんを笑わせる」だとおもうんですよ。エンゲージメントは「交戦」です。笑った方が負け「睨めっこ構造」だとおもいますけどね。

ChatGPT 確かに、伝統的なお笑いの基本は「芸人が笑うのではなくお客さんを笑わせる」ことにあります。芸人は、視聴者や観客を笑わせるためにパフォーマンスを行い、自らは笑わないことが一般的です。これは、視聴者との「睨めっこ構造」に似たものであり、笑った方が負けという緊張感があると言えます。

 現代のお笑いでは、視聴者との「交戦」的なエンゲージメントも見られますが、それでも基本的には視聴者を笑わせることが主な目的です。この「睨めっこ構造」を維持しつつ、視聴者と一緒に楽しむ姿勢を見せることが、新しい形のお笑いとして進化している部分もあります。

とはいえ、基本に立ち返り、お笑い芸人が視聴者を笑わせることに集中することは、お笑いの本質を忘れないためにも重要です。このバランスをうまく取ることで、視聴者にとって魅力的なコンテンツを提供し続けることができるでしょう。

 

 

 「笑いは交戦の表情」という人もいます。

ChatGPT 「笑いは交戦の表情」という見方もありますね。この考え方は、笑いが単に楽しみや娯楽の表現だけでなく、社会的な緊張や対立を解消する手段としても機能することを示しています。笑いを通じて、対立する立場や状況を和らげたり、権威や権力を風刺することで、緊張を解放する効果があると言えます。

 また、笑いには人間関係の中での優位性を示す一面もあります。たとえば、友人同士の冗談や、上司と部下の間での軽口など、笑いは時に社会的なポジションを確認し合う手段としても機能します。この意味で、笑いが「交戦の表情」として捉えられることも理解できます。

 この観点から見ると、お笑い芸人が視聴者と「睨めっこ」をしながらも、笑いを通じて観客をリラックスさせ、緊張を和らげる役割を果たしていることがわかります。お笑いは単なる娯楽以上のものとして、社会的な機能を持つ重要な表現手段であると言えるでしょう。

 

 

 「ボケ」が笑ってはいけない。観客に近づく、緊張を和らげるにしても一線を引かないと。観客の側の感覚が壊されると思いますよ。

ChatGPT 確かに、「ボケ」が笑ってしまうと、観客との一線が曖昧になり、笑いの緊張感が損なわれる可能性があります。伝統的な漫才やコントでは、「ボケ」はその役割を全うし、観客を笑わせるための突拍子もない発言や行動を続けますが、笑わないことでその役割を強調します。

この一線を引くことは、観客がその役割に対してリアクションしやすくなるため、笑いの効果を高める重要な要素です。観客は「ボケ」が真剣に突拍子もないことをするのを見て笑い、それによって緊張が解け、楽しさが増します。

 したがって、ボケが笑わずに役割を演じきることは、観客との間に適切な距離感を保ち、彼らの感覚を守りながら笑いを提供するために重要です。このバランスを取ることで、観客にとってもより一層の楽しみを提供することができるでしょう。

 

 

 最近のお笑いは「パリピのレイヤー」に毒されて、危険ドラッグのような中毒性をはらんでいますし、本編にMCの様をワイプで入れて音声まで被せる煩雑さです。複雑じゃなくて「煩雑」。これでは「ポピュリズムしか勝たん」わけで、ステークホルダーがこれを利用しているなら自家中毒に陥っている可能性があると思います。楽しそうに見えるがどこか病的にも受け取ることができます。

ChatGPT おっしゃる通り、最近のお笑いやエンターテインメント番組が「パリピのレイヤー」の影響を受けて、過度な煩雑さや中毒性を持つ傾向があることは認識されています。MCの過剰な使用や音声の被せすぎなど、視聴者の視聴体験を複雑にする要素が多く見られることも確かです。

これによってポピュリズムが強調され、一時的には視聴者を引き付けることができるかもしれませんが、長期的な視聴者の満足度や番組の質には疑問符がつきます。また、過度な煩雑さや中毒性は視聴者の感覚を混乱させる可能性があり、本来の楽しさや笑いが薄れてしまうこともあります。

 ステークホルダーがこれを利用している場合、自家中毒に陥っているという指摘も一理あります。ポピュリズムに流されるだけでなく、視聴者のニーズや視聴体験に真摯に向き合い、バランスの取れたコンテンツを提供することが重要です。楽しさだけでなく、視聴者の心に響く良質なエンターテインメントを目指すことが、持続可能な成功への道だと考えられます。

 

 「複雑なのはいい」が「煩雑なのが問題」だと思います。

ChatGPT ご意見ありがとうございます。複雑さや深みがあるコンテンツは魅力的であり、視聴者にとって刺激的な体験を提供することができます。しかし、煩雑さや過度な複雑さは問題を引き起こす可能性があります。視聴者が情報を受け取る際に混乱や疲労を感じることや、本来のメッセージや笑いが伝わりにくくなることが考えられます。

 ですから、複雑さがあると同時に、分かりやすさやシンプルさを保つことが重要です。コンテンツの深みや複雑さを楽しむ一方で、視聴者の受け取りやすさを考慮し、適切なバランスを保つことが求められます。こうしたバランスが取れたコンテンツこそが、視聴者にとって本当に価値のあるものとなるでしょう。

 

 

 「複雑適応系は解析しきれなくても楽しい」ってことですね。

ChatGPT はい、その通りです。複雑さがあるコンテンツやシステムは、すべてを完全に解析しきれなくても楽しむことができます。複雑さがあるからこそ、新しい発見や驚き、面白さが生まれることもあります。視聴者や利用者が完全に理解できなくても、それが楽しみの一部となることもあるのですね。

 

 

 

by MOAChans!!