12月といえば | Watashi Dame Zettai by MOAChans

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Put your “KITSUNE” uuuuup!!!!!

 

 本年最後の月も3日目になってしまいましたが、年末の雰囲気ってのが幼少の頃に比して年々減退はしていますね。

 28日以降になると、私は上京して越年するようにしていますが、それも未来永劫ってわけでもない。

 それは永遠に生きるわけじゃないから仕方ない。

 

 12月という月は、私にとって両親を失った日がある月でもあります。

 3日は父の祭日です。うちはクリスチャンなので祭日といいますが、「命日」です。

 小学校5年生の時でしたので、顔は何とか思い出せますが、声はさっぱりですね。

 父が優しかったことは覚えています。

 小学校の低学年の時に住んでいた公団住宅の児童公園で遊んでもらった記憶があり、幼少だった私はある日その公園を眺めていてふと思ったことがあります。

 「ああ、あんな楽しいことはもうないんだろうな」

 それで泣いたことを先ほど思い出しました。

 父が亡くなったのが埼玉に住んでいたころでした。

 父の死後、親戚縁者の多かった札幌に戻ってきました。

 私は当の昔に父の年齢を超えてしまいました。

 

 12日が母の祭日です。

 母は幼少の頃から脚に障害を持っていました。

 障害者の母が不自由な体で私と姉を育ててくれました。

 私はそんな母を尊敬しております。

 母子家庭でありましたが、母は生活保護の受給を頑なに拒みました。

 母の矜持だったと思います。

 母は、高齢になった祖母を世帯に受け入れて3世代で生活することになりました。

 思い起こせば、祖母が受給していた老齢年金が生活の足しになる。祖母は食生活が安定する。言い方は悪いけど「貧者のWin-win」だったわけです。

 祖母が90歳を超えてもう忘れてしまったけど夏に帰天し、それから何年もしないうちに母がガンに冒され逝ってしまいました。

 私は何かの時に母の助けになるということをモラトリアムとしていたので、孤独死に向かってまっしぐらです。

 でもそれはそれでいい。ぶっちゃけ孤独死して恥ずかしい思いをする私はもうそこにいないでしょうから。

 ただ、残ったものができることはできたし、それだけで満足な人生だと思っています。

 

 私は墓参に行きません。

 逝ってしまった親しい人は私と共にあるからです。

 今でも、夜眠っていると自分のそばに母がいる感じがしたり、母を感覚する夢を見ます。

 夢の途中で夢だと気づいてしまう性格が寂しいですけどね。

 

 よく「親孝行したいときに親はなし」なんていうじゃないですか。

 

 私は親にはなっていないけど、もし親だとしたら子どもが生きていてくれるだけで親孝行してもらっているような気がすると思います。

 

 親御さんがご存命の方は、親御さんを大事に思ってあげてください。

 

 

 

 

 

 

 

 
 
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