行きつくところは?
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自由と束縛の狭間で。

自由であることを前提に、その中で束縛するのか、

束縛することを前提に、その中で自由を与えるのか。


それが愛する人なのであれば、私は後者であって欲しい。



待ちに待った言葉も、今は遅すぎて。

転機が訪れたおかげで、やっとのことで持ち物のSizeDownが認められた。

手放すって気持ちがいい。

特に次にくるもののためにそうすることは快感だ。


家にいると「あと少し、あと少し」とずっと続けて働き続けてしまうので、疲れが抜けない。

今日は衣替えだけにして、あとはゆっくり・・・と思ってせっせとかたずけにいそしんでいたら、電話が鳴った。

昔の彼氏の、日本の携帯番号。

年末にはまだ早いのにもう帰国?

なーんだ、出張か。ご苦労さま。

役職付きのサラリーマンと仕事から離れて久しいお気楽な主婦という世界の違いだけじゃなく、興味も知識もアジアとヨーロッパと、もうすっかり別れてしまった私たち。

くるメールは愚痴ばかり。

電話だって、「今、一時帰国してるんだ。」くらいで、たまに違う話題が出ても、正直面白くもなんともない。


それなのに、私こそいったい何を考えているんだろう。

連絡を喜び、会話を楽しんでいるかのように、まるで媚びているような態度をとってしまう。

相手が勘違いするだけではないか。


当たり障りのない会話で済ませようと話していると、


「時間取れないかな」と言ってきた。


会う気はなかった。

即、「うーん、わかんない」と答えた。

実際に、無理があるから。


まるですぐにでも打ち消すかのように、

「そうだよなー、そうだよなー、俺だって時間取れるかどうかわからないし、また連絡するよ。」


きっと、この一言をどう切り出そうか、または私がそう言い出すのを待っていたのだろうか。


「会いたい」


以前彼は、必ず私にそう言わせた。

そうし向けた。

私が言って欲しいと思っているのを熟知した上で、絶対に自分からは言わなかった。


そして彼は今でも、その言葉をストレートに言ったりはしないのだ。


でもなんとなく、「時間取れないかな」と言葉を換え、ちょっとためてから切り出したその声に、

ちょっとした思い切りも必要だったのかとも思えた。


彼から「会いたい」と言わせようと、いったいどれだけの努力を重ねてきたことだろう。

文字通り、身も心も削って、私は全力を尽くしてきたと思う。

あの頃は苦しかった。

今でもそれは、いい思い出になどなっていない。

なんてバカだったんだろうと、苦味が感じられて、思わず身震いして振り落とそうとするくらいだ。


そして何年も経った今、初めてそう言ってもらえたにもかかわらず、私は困惑するだけなのだ。

「やっと言わせたわ」くらいの充実感があったら。

充実感でも復讐に似た喜びでも何でもいい。


「別れても、特別な存在でいるんだろうね、お互い」

以前そう言った彼の言葉は、確かに今のところは有効だ。

忘れたくても忘れられない。

そしてそれは、苦味だけが残っていくという、ありがたくない状況だ。


それとも私は、まだ彼が好きで、忘れよう、離れようとしているから、自分にそう仕向けているのか。

あの人さえいなければ、心と体はひとつでいられるのに、と。





思い描いた夢を超えて。

「こうなったら、幸せ」


そうやって、ずっとずっと夢を描いてきた。

それが叶ったとき、果たして私は幸せなのだろうか?


「人間が描ける「夢」など、
本当の戦いから得られる「結果」とくらべると、
至極浅く儚いモノだと思いしらされるような、
そんな深い充足を感じる瞬間があるでしょう。」


私はそれを知っている。


夢を超える感覚を。


夢が小さいわけではない。

目標が低いわけではない。


要は、達成感は夢を見る喜びを超える、ということだ。

もちろん、一般的な基準からすれば夢以下の状況かもしれない。

が、時には夢を超える結果を伴うことだってある。


占いがなければ生きていけないくらいの知り合いも、時に興味深い情報源となることに納得する一文だった。

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