小説「旅人の歌ー 儒者篇」その25 - 仕置き | 物語書いてる?

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「儂はこの歳に至るまで、常に上へ、上へとのし上がって来た」勝茂は儒者の正面に胡坐をかき、茶を啜って口を開いた。
「邪魔するものはことごとく追い落とした。あと少し、あと少しで天辺が見えると、ただその一点だけを見据えて駆け上がって来たのだ」


 儒者は茶を啜った。
「そしてついに、その座を手に入れるところまで来た。…振り返れば実に…実に長い道のりであった」そう語る勝茂の表情は、何故か硬く見えた。
「一国一城の主を目指すのが、男子の本懐と己を信じて来た。どんな手段をとろうと、それができねば生きている甲斐が無いではないか。それがどんな相手であろうと、他人にだしぬけれる儂ではない、と自負があった。欲しい物は、何としてでも手に入れる。それが儂の信念だ。だがようやく手に入れようとする今になって、それが瓦解しようとしている。相手もわからぬ。…化け物だの、怨念だのと。世間では儂がお家乗っ取りを謀った天罰…いや祟りだとほざきおる。いい気味だと…だがこんな理不尽なことがあろうか?よいか?今の世は下剋上。家を乗っ取って何が悪い?それを…ここまで来たものを…こともあろうに祟りで失わなければならぬのは、どう考えても合点がいかぬ。理不尽であろう」


 儒者は勝茂の眼を見て言った。
「私に、何を望むのだ?」
 勝茂は身を乗り出した。
「おおそこだ。お主は学者であろう。この理不尽な話をどう見る?何かうまい理屈をつけて、この始末をつける方法はないか?」
 儒者は、訝しげな眼をした。
「何故それを、異国の人間に問うのだ?」
「それは…今までやって来た事…力で捻じ伏せる事が…通らなくなって来たからだ。お主の謂う理屈…名分とやらが、必要らしい」
「必要らしい?ふむ、それで?」
「お主の頭で、この騒動の始末を…つけられまいか?」
 儒者は口を閉じて、勝茂をじっと見た。
「駄目だな」唐突に言葉を切って、投げつける。
「へ?駄目?何がだ?」
「オヌシでは、難しかろう。この件は断る」
「な、何が難しいのだ?」
「私の言うことを、素直に聞くまい」
 勝茂は眼を白黒させた。
「いや、そ、そうとも限るまい。いや聞く。うん素直に聞くとも」
 儒者は眼を閉じて、暫くそのままでいた。それから眼を開くと、三本の指を立てた。
「これから言うことをよく聞くがよい。まず第一に、刀を竹に替えるのだ」
「な…何?」
「さすれば、自ずとその荒々しさが薄れよう。次に…」
「ちょ、ちょっ待て」勝茂はいらいらした気持ちを抑え、頭の中で損得を計った。
「よいかな?」儒者は勝茂の様子を見守った。
「次に、何がわかっても決して勝手に処断せず、私に任せて口を出さぬこと」
「う…うむ」勝茂は苦い物を口に入れたような顔になった。
「最後に、今以降は仁義を重んじ、政を行うと宣言する事。疎かにした時は隠居するとな」
「なに隠居だと?」勝茂は両膝を拳で掴んだ。
「さすれば『百年の計』を立てる事が出来よう」
「ひゃっ百年?百年も家が保てるというのか?」
 儒者は頷いた。
「何を驚くやあらん。我が朝はこれまで二百年の命脈を保っておる」
 勝茂はあんぐりと口を開いた。
「に…二百年?」
「但し、義のない戦をする事、決してまかりならん。特に我が国を再び狙うは言語道断」
 勝茂の額から汗が流れた。
「守れるか?」
 勝茂の眼が宙を泳いだ。
「これは、私との約束ではない。天との約束だ。ゆえに叛けばオヌシが後で思い知ることになる」
「わかった」勝茂は目を瞑った。
「では、まずは屋敷に案内してもらおう。ああそう言えば、屋敷に寺から連れ去った若い侍が居たな?」
 儒者は夫人を伴って、鍋島の屋敷に出向いた。鍋島屋敷の玄関に着くと、氏家が出迎えた。久しぶりに見た氏家は眼の縁に黒い隈ができていた。
「先生、お加羅さま、お久しゅうございます」氏家は膝に手をついて頭を下げた。
「氏家さん…少し痩せたかしら?」夫人は氏家の異変には気付かないふりをして言った。氏家は顎に手をやって、確認した。
「ささ、こちらへ」傍に控えてい用人が二人を導いた。居間に落ち着くと、儒者は用人を相手に話を聞き始めた。


 最初に異変が起きたのは、裏庭だった。夜厠へ行こうとした下働きの女が、渡り廊下の途中でふと庭に目をやると、盆栽の棚の上に男の生首があったというのである。用人はその女を、多少誇張してものを言う癖があると、日頃から思っていた。そこでその話を意識から締め出した。ところが二日後、今度は庭師が男の着物を見たというのである。その着物は丸く刈った山茶花の上に掛けてあった。その山茶花は当主愛用の一品であったので、家中で知らぬ者はなかった。用人は血相を変えて犯人を捜したが、見つからずに過ぎた。その頃にはもう町中に噂が溢れていた。もともと主筋の家で事件が起きたばかりだった。人々はどちらかと言うと事件が起きる事を待っていた。町中には俄か予言師が現れ、辻々で説法をしていたから、むしろ人々はそれが当たったと、誇らしげな気持ちで噂を喧伝した。人々は日頃武士の横暴に虐げられてきた鬱憤を晴らすため、ここぞとばかりに鍋島を悪玉にして、化け物をほめそやした。こうして人々の期待が、結末を作り上げていった。
 儒者は下働きの女を呼んで、その顔を絵にしてみた。次に庭師を呼び、その着物の特徴を聴き取り、その顔の下に付け加えた。最後にその絵を夫人に見せた。


「さて、どうしたものか…」儒者は夫人の瞳を避け、庭の池を見て言った。夫人はしの儒者の手を取って、儒者の顔を夫人に向けさせた。
「この件で、一番大事なことは、何かしら?」
 儒者は夫人の瞳に惹きつけられた。その瞳に光が宿った。
「人の、命を犠牲にしない、事だな」
 儒者は月の出ない夜を選んで、外の庭に屋敷の者を集めさせた。障子の向こうの部屋には、行燈を置いた。部屋の中では、鍋島勝茂と氏家が対座している。儒者はその二人を交互に見た。
「鍋島殿、事の顛末が明らかになり申した」
 勝茂は、心持ち青ざめた表情で頷いた。
「事の発端は、鍋島殿の欲心より生じたもの。事もあろうに主筋のご内儀を所望するとは、許しがたき不遜。鍋島殿、氏家殿の姉上に謝られよ」
 氏家は、はっと儒者の顔を見た。勝茂は反対に面を伏せた。
「氏家殿、姉上をこれへ。鍋島殿の謝罪の姿を見せるのだ」儒者は氏家に近寄り、その懐から猫を取り出した。隣室の襖が開いて、夫人が打掛を拡げた。猫を打掛でくるむ。その姿は、障子越しに大きく映った。まるで耳の大きな奥方を見たように、人々はその部屋から一歩退いた。
「さ、鍋島殿。奥方に誓うがよい。二度と己の欲を出さず、これよりは仁政を行うと」
 勝茂は、潰れた蛙のような声を出した。
「奥方様。拙者が悪うございました。本日より心を入れ替え、二度と不仁をいたしませぬ」
 その時、その周りの襖から、何かを燻し出すような煙が漏れて来た。その匂いを嗅いだ途端に猫が躍り上って勝茂を襲った。勝茂は刀を抜かず、猫の爪が頬をざっくりと裂いた。氏家は咄嗟に「姉上」と叫んだ。
 濛々たる煙の中、振り返ったその猫の眼に、恨みの感情が籠っていた。猫は氏家を襲った。氏家は反射的に刀を抜いた。凄惨な悲鳴が響き渡った。庭にいた人々の耳に、風がそよいだ。背筋にぞわっとしたものが触れた。人々の顔は青白くなった。その時、儒者が障子を開けた。
「見事、化け猫は氏家殿が退治されましたぞ」


 それから暫くして、寺に徳川家康が訪ねて来た。