小説「旅人の歌ー 儒者篇」その23 - 草稿 | 物語書いてる?

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 儒者は調べたものを机の上に並べ、目を瞑ってこれまで聞いてきたことを頭の中に巡らせた。儒者の頭の隅で何かが光り、紙と硯を出して、墨を擦り始めた。
 
『囚われの記』
 
 筆を置いて、儒者は黒々とした墨文を見つめた。紙をくしゃくしゃに丸め、屑入れにそれを捨てた。
 
『賊中聞見禄』
 
~ 倭国では、戦いに功があった者には、土地で賞を行い、功が無ければ、地位は落とされ、土地も削られ、人間扱いすらされない。だから、戦いに勝てなければ処断をまたず自決する。
~ 鉄砲を扱えるものは十のうち二三人で、発射して命中するのはとりわけ少ない。
~ 「朝鮮の矢は遠く数百歩に及ぶ。もし朝鮮が力戦していたならば、先鋒を争うのは困難であった」とみな言っている。
~ 加藤清正と小西行長は諍いが深い。間者を放ち、離間の計を用いるべきであった。このように詳細をよく調べれば、勝機はいくたりもあった。
~ 大名から兵卒に至るまで、必ず長短二剣を腰に差し、寝る時も手から離さない。実に戦国そのものである。その長で寿命を全うするものは少なく、東西南北、相互に侵奪しあい、ただ力だけを窺う。
~ 農民は土地を借りて農耕している。官は田の産物を全部収奪し、それでも足りなければ、その子女を取り上げ奴婢にし、農民を牢に繋ぐ。豊年であっても農民は糠を食べ、蕨の根で朝夕をしのぐ。農民は時には仲間を集め、県を攻め落とす。それゆえ、我が国を侵した時も、兵の半分は変乱に備えた。
~ 兵は、父母兄弟にも逢わず、郷里にも戻らない。従軍すれば一月を越し、妻子の顔を見る者も稀である。大半は妻子もなく、それ故父母妻子を恋う情が全くない。ただ衣食の事のみ考える。我が国の衣食が満ちている様を見た兵は、自国と比較してこれを羨み、わが将の降倭の誘いに、これを願わないものはなかったという。
~ 我が諸将に勅を下し、降倭に衣食を施させ、また彼らを敵陣に潜ませ、降を誘えば、羽毛の抜けるがごとく、倭を以て倭を下すことが出来よう。
~ 大体、戦争を禦ぐことと飢饉を救うことは、一様なものである。飢饉を救うにはただ両説あるのみで、一つに和気を感応させ、招き寄せて豊年をもたらす。その次は、ただ備蓄をしておく、という計があるだけである。
 戦いを禦ぐにもやはり両説あり、一つには『春秋』にいう『道あれば、守り西夷にあり』で、その次はただ辺境をしっかり固めておく、という計があるだけである。
…四方の夷を手なずけて我が守りとする、徳化が四夷に及び、それが自然に守りとなる。
 
~ 秀吉はこう命令を下した。

「人には両耳があるが、鼻は一つである。朝鮮人の鼻を割いて、それを首級に変えよ」

  血肉の惨禍は、これがために甚だしくなった。この残忍な行為を行って直ぐに秀吉は死んだ。だがこの恨は此の地に残り、墓丘からは怨嗟の声が彷徨う。二度とこのようなことをさせないために、この書を我が朝に奉ずる。