二羽の鵲が、庭先を小走りに横切っていく。
やがて一羽が、お目当ての虫を見つけてついばんだ。嘴に挟んだまま、もう一羽の方を向く。もう一羽がその半分を嘴でちぎった。上を向いて喉を動かすと、二羽はそろって、また庭の中を歩き回った。
儒者は日課となっている読書の手を止めて、しばし庭先の光景に見入っていた。中庭の向こうで朝餉の仕度をする女たちの声が聞こえる。そのうちの一人が儒者に気づいて声を掛けた。
「坊ちゃま、お早うございます。毎朝ご精が出ますね」儒者の幼いころ、乳母をしていたヒジンだった。
「ああ、乳母。お早う。妻の様子はどうだ?」
「昨晩は粥にも手を付けず、肩で息をついておられました」
「そうか…」儒者は産室の方を見た。
「若奥様は線が細いお方ゆえ、心配で…。お腹の赤子が無事に産まれてくれればよいのですがねえ」
「うむ…」
「今晩にも、陣痛が始まるかもしれません」
「そうか、頼んだぞ」
「はい、お任せください。お坊ちゃまの時も、お兄様のホン坊ちゃまの時も、そのお子のカリョン様の時も、この乳母が取り上げたんですからね」
儒者は乳母に笑顔を見せた。
「頼りにしているよ」
そこへ、兄のホンが起きて来た。
「兄上、お早うございます」儒者は立ち上がって礼をした。
「ああ、ハン。お早う。毎朝欠かさず勉強か?熱心だな。ところで産室の様子はどうだ?」ホンは、産室に首を振って見せた。
「はい、あまり、思わしくないようで…」
「そうか、心配だな。無事生まれてくれればよいが…。ところで師匠が倭から戻ってこられたそうだな?」
「はい。本日もその件で朝堂にて論議があると聞いております」
「そうか。ちと大袈裟なのではないのか?また辺境の村を荒らす程度では?」
「黄正史と金師匠が、数か月かけて探ってまいりましたゆえ、詳しくわかるかと思います」
「うむ。それでなくても北のオランケがまた不穏な動きを見せている。これで南にも脅威があると、我が朝はたまったものではない」
「はい」
「難儀な世の中になったなあ。産まれてくる子供にとっても…」その眼の端に、息子のカリョンの姿が入った。
「父上、叔父上、お早うございます」
ホンは顔を綻ばせた。儒者も微笑んで頷く。
「お早う、カリョンや。お前もこの叔父に見習って、毎朝勉強に励むのだぞ」
「はい」
儒者は甥の頭を撫でた。
朝餉の席に着いた父は、静かに匙を取って汁を口に含んだ。箸を使って采を飯の上に乗せ、ゆっくりと口に運ぶ。いつも決まった動作なのに、その単純な動作の中に流れがある。その流れが、見ている儒者の胃を刺激した。儒者もゆっくりと采飯を咀嚼した。噛むほどに飯の甘味が口に広がる。”食”に集中する。これが一つの教えなのだ。食材ひとつひとつの味を噛みしめ、それが肉となり、力になってゆくところを想像する。ふと父と目が合い、同じ表情で微笑した。
「父上、ところで昨今の慌ただしい情勢をどうご覧になりますか?」
父は箸を置き、ゆっくりとホンを見た。
「お前は、どう見ている?」
「はい。私は、少し大仰に騒ぎすぎるかと」
「そうか」父のゴンはまた箸を取って飯を口に運ぶ。ゆっくりと咀嚼に集中してから、目を儒者に移した。
「ハン、お前はどうだ?」
「私は…わかりません」儒者は目を伏せた。
「そうか」ゴンは兄に対するのと全く同じ返事をして、また食事に集中した。最後に汁を飲み終わって言った。
「ホンや。北狄南蛮そのいずれも我が風俗とは大きく異なる。夫子が没して二千年経てもなお、その恩恵に浴さず、蛮俗を改めようとしない」二人の息子は自然と教えを受ける姿勢になった。その後ろで幼いカリョンも小さくかしこまった。
「それに比して我が朝は、いち早く最新の朱学を取り入れ、『東方君子の国』を任じ、日々研鑽に努めておる」
「はい」二人は同時に言った。
「その我が朝が、これまで蛮族に関心を払わず、教化に意を配らずに来たこと。これは顧みる必要がある」
「それと、蛮族の動きに関連があると?」
「ふむ。さてそこだが…」ゴンはいったん言葉を置いた。
「もとより蛮族と因果を結ぶなど考慮の外であるが、我らが内に目を注ぐのと時を同じくして、蛮族が騒擾を始めている」
「それは?」ホンは、好奇心をあらわにして聞いた。
「この世には、因果とは別の律が動いているのかもしれん」