茶屋と猿回しが 、定宿としている旅籠に背中の荷を下ろした頃は、日もとっぷりと暮れていた。宿は思いのほか混んでいた。茶屋は馴染の亭主に声を掛けた。
「今日は、やけに繁盛しているじゃないか」
宿の亭主も笑顔を見せた。
「ええ、おかげさまで。なんだかちょっと不思議ですがね。いつも今頃は、閑古鳥が鳴いていたんですがね」
茶屋は相部屋の人たちに軽く会釈して、寝る場所を確保した。隣に猿回しが胡坐をかいた。茶屋は目の合った商人風の男と話を始めた。
「今日は暑かったですなあ。もうすっかり夏ですなあ」
「へえもうほんまに。あんたはんも京大阪あたりから?」
「へえ、そうですわ。もうかりますか?」
「いやもう、ほんまにぼちぼちですわ。太閤はんが倒れてからこっち、何にもいいことあらしまへんで。ほんま」
「ところで、此の地ではどうですか?」
「こちらはまあ、なんというか・・・」
茶屋は声を低めた。
「聞くところによると、こちらのお館と、あの大将が、兄弟仲がよろしくないと」茶屋は目を輝かせた。
「いやまあ、そんな話は他愛もない」
「ほう、そうでもないと?」茶屋は身を乗り出した。
「ひとつ、退屈しのぎに賭けでもいかがですかね?何ね。単なる暇つぶしですがね。大殿とお館、この先どっちが主となるのやら・・・」
猿回しは、何気なく他の人間たちの様子を見ていた。何れも耳には入っていながら、敢えて聞かないふりをしていた。行燈が消えると、早速規則的な鼾の音が聞こえて来た。茶屋が猿回しの様子を見ると、頭から布団を被って、身じろぎもしない。ふと笑みが浮かび、茶屋はおもむろに立ち上がると、廊下の外れの便所に向かった。その背中を斬撃が襲った。闇に光る刃が空を斬った。
「消えたぞ」その声に寝ていた男たちが一斉に起き上がった。
「おい、同士討ちになる。刃を収めろ」
男たちは猿回しの寝床を襲った。布団に突き立てられた刀に手ごたえはなかった。
「こっちも、いないぞ」
唾を飛ばすような音がして、何人かの瞼に針が刺さった。
「やられた。針だ」男たちは動揺して刀を振り回した。それが隣の男の肩を斬った。
「うわ」
「おい、天井だ」数本の刀が天井に突き刺さった。いずれも板に刺さる音しか聞こえなかった。
「ここ、畳が剥がされている」
「何?床下か?」
「外だ。逃げたぞ」
男たちはどたどたと外へ出た。月光が彼らの影を地面に縫い付けた。その影に向かって矢が浴びせられた。怒号と悲鳴が響き渡った。
屋根の上に、しみの様な影が貼り付いていた。影は音もなく地面に降りると、木の陰にいた茶屋に合図した。二人は反対側の戸口から宿の外に出た。
「やはり、元は武士でしたか」猿回しが感心したように頷いた。
「いや、息切れがする。お恥ずかしい」茶屋は失笑した。
「お心当たりは?」茶屋から聞かれた猿回しは、首を傾げてみせた。
「はて?」
「我らが、韓人に近づいたためでは?」
「ふむ。するとこれは警告?いやいや、 相当殺気立っていましたな」
「何やらきな臭い。まさか、韓人達に手を出したりしませぬでしょうな?」
「それはまずい。折角の元手を失ってはかないませぬ」
「では、行きますかな」
「ふむ、そうしますかな」
二人は月夜の山道を、音もなく登って行った。
強烈な日差しが容赦なく、訳官の顔に降り注いだ。顔から首から噴き出てくる大粒の汗がぼたぼたと落ち、渇いた地面に吸い込まれる。もう一歩も歩けない。
「ナ、ナウリ。もう駄目ですヨ。歩けません・・・て、置いて行かないでヨ」
先を行く陶弟子の足は速い。まるで追われているかの様に坂道を上がっていく。さっきから何か口の中で呟いている。口の端に泡が噴き出していた。
その陶弟子の足がぴたりと止まった。訳官はその場にへたり込む。陶弟子の眼の先には、倭将の側近たちがいた。そして行く手を阻むかのように・・・。
(あれは、お館様の手勢だ。)
二つの勢力が、登り窯の前で睨み合いを続けていた。その間に、韓人達が挟まれていた。
(あいつは、ブン蜂・・・。生きていたんだ。本当に。)
「あの、実は今、陶工がいないのです。」医生が口を開いた。
睨み合いを続けていた人々の目が、医生を見た。
「それに・・・茶屋という方に、既にお米を貰っていまして・・・」
「何?では貴様、大殿の命に従えぬというのか?」
倭将の側近はそう言って口髭をひねった。
「待て待て。貴重な客に何たる態度。ましてや兄弟の順を差し置いて、大殿、大殿と・・・これだから。戦さで物事を片付けようという人種は困る。ここは、此の地の主人、お館の意向に従ってもらおう」国主の側の用人は医生に向き直った。
「挨拶が遅れ申した。それがし、国主の用人を務める清原一之進と申す。此度は国主の弟が重ね重ねの非礼、聞けば有無を言わさずの拉致におよび、また己の身のみ逃げ帰り、貴殿たちを船に置き去りにしたとのこと・・・まことに言葉もござりませぬ。この通りでござる」一之進はそう言って地面に平伏した。
「ついては貴殿たちを城下にお迎えし、俸禄並びに屋敷を進呈申し上げたいとの、我が主の意向にござりまする」
医生たちは顔を見合わせた。
「す、少し、お待ちください」
韓人達は、異国の言葉で話し合った。
「やはり、肝心の陶工が戻りましてから、決めさせていただきたい」医生は一之進に言葉を返した。
「承知仕った。では、我々はこれで失礼いたす。陶工が戻られたら、ご検討のほど、お願い仕る」
一之進は倭将の側近に向き直った。
「話は終わった。貴様らは疾く戻り、もはや戦の時代ではないと告げるがよかろう。もし・・・」
一之進はいきなり槍を側近の鼻先に突き付けた。
「どうしても戦がしたければ、この一之進たった一人にて、大殿のお相手仕ろう」
この様子を物陰から見ていた茶屋と猿回しは、互いに顔を見合わせた。
「これは・・・困ったことになりましたな・・・。韓人達の危険が去ったのは・・・ひと安心だが」
「いや、肝要な点は、韓人達の安全が確保されたことです。彼らは今に、この国の『伝説の宝』となりましょう。それを考えれば、目先のことなどどうにでもなります」
猿回しは、茶屋の顔を見直した。
「なかなか言える言葉では・・・ありませんな」
「はは。手前はあきんどでして、どうも損得が先に立つ。彼らが生きていればこそ、いつかは回収の道も成り立つと・・・下世話な考えでして」
茶屋は猿回しに向き直った。
「それより、国主はなかなか、面白い人物のようですな」
「確かに・・・」
「まだまだ、仲良うなれそうですな。この国はまだわかりませぬな。どっちに転ぶか」
「ふむ」
「お手前には、良い土産物では?」
猿回しは頭を掻いた。
「国主に・・・会って見るか」茶屋は独り言のように呟いた。
陶工は、目の前の白い崖を見上げていた。
(崖に咲いていた紫のユリを見つけてきて。紫の花?そうよ。確か花弁は黄色で、奥の方が赤くなっていたわ。
そんなユリ、見かけませんでしたが?あたしは見たの。早く行かないと、花が落ちたらどうするの?)
耳元に少女の声が蘇った。
(紫の花はあった。だがこの白い崖は・・・この地の瘴気が染み込みすぎている。やはり乾燥した故郷の地とは、異なるのだ。)
少女は答える。
(アッパの技術を、あなたは穢すつもり?)
陶工の目の前で、師匠の体を銃弾が貫通した。
(師匠、許してくれ。俺が継げるはずがなかったのだ。俺には無理だった。)
少女の口から、言葉が迸った。
(逃げるつもり?アッパの技術を、このまま埋もれさせるつもりなの?)
陶工は激しく首を横に振った。目の前の崖によじ登った。何度も挑んでは、諦めて来た伝統白磁の世界。此の地ではだめなのだと言い聞かせ、目を逸らし続けて来た。だが、常に少女が陶工の胸に火を焚き付けた。
白い土を掘る。これは・・・。
腰に下げた袋にいれたとき、陶工の指が力を失って、体が滑り落ちていった。陶工は腰を強く打ち、うめき声を上げた。遠く視界の外れから、おぼろに誰かが近づいてきた。甘い香りが漂い、陶工は少女の顔を見たように思った。焦点が合うと、それは海女だった。海女は陶工を抱き起した。陶工はそのまま、海女を押し倒した。海女は目を閉じた。
(紫の百合よ。忘れないで。)
陶工の目から涙の雫が落ち、海女の顔にかかった。海女は目を開けた。陶工は体を起こした。
その時、陶工の体の力が抜け、ふと思いついた。
(白磁の白に拘らず、わざと少しくすんだままにしてはどうか?)
(この地には、此の地の色がある。それを拒むのではなく、それを活かすのだ。)
陽に焼けた陶工の顔を見て、ブン蜂はあきれ返った。
「お前、10日の間ずっと石探ししてたのか?」
陶工は歯を見せた。
「うん」
「それで、磁石はあったか?」
「あったことはあったが・・・あまり質は良くない。これで、あの白はだせないだろう」
「そうなのか?じゃあ伝統の朝鮮白磁は途絶えるのか?」
「うむ・・・」陶工は唇を結んだ。
「じゃあ、じゃあ諦めるのか?」ブン蜂は興奮して叫んだ。
陶工はブン蜂に肩を鷲掴みにされ、首を揺さぶられる間、黙ってその顔を見ていた。ブン蜂の興奮が収まった頃、静かに口を開いた。
「この土地、気候に合ったものを、焼いてみるつもりだ」
「へ?」
「俺たちが故郷に拘っている間は、きっと何も前に進まない。それでは俺たちは、生き残る事が難しいだろう。俺たちは何としてもこの地で食いつなぎ、生き残っていかなければならない。だから・・・」
「お前、変わったな」横から職人が割って入った。
「俺は、とてもじゃないが、故郷の誇りを捨てることはできない。だから、倭人達の申し出には、反対だ」
訝しげな顔をした陶工に、医生はこれまでの説明をした。
「お前が、返ってくるのを待っていた」医生は、陶工の顔を見た。
「お前は、どう思う?」
「陶工は、一人ひとりの顔を見た。最後に職人の顔を見て言った。
「此の地を離れて城下に住むことは、俺も反対だ」
ブン蜂は勢い込んで聞こうとして、どもった。
「おいっ。い、家と飯だぞ。なんで、断る?」
「俺たちを攫い、師匠を、父を、多くの人を殺した人間が居る。そいつの近くには、住めない」
「この申し出は、その倭人ではない。その兄だそうだ。それにさっき話したろう。迎えに来た倭人が、手をついて謝罪したと」医生が説明を繰り返した。
「理由は、もう一つある」
「な、何だ?」ブン蜂は目を剥いた。
「それは、この山だ。この地でなければ、焼き物はできない」
「こんな山・・・どうせ何もかも元のとおりにはならないのだろう?師匠の白磁はもう戻らない。ここは南原じゃないんだからな」ブン蜂はふてくされた様に、顔をそむけた。
「そうか・・・断るか」医生は昏い顔になった。
「別に、奴らに媚びることはない。よく決断した」職人は陶工の肩を叩いた。
「あの商人と取引すれば、よい」
「一之進、大儀であった」国主は目頭を指で揉んだ。
「誠に、申し訳ござりませぬ」用人は平伏した。畳に指が食い込む。
「いや、なんでも思い通りにはいかぬものだろうて。そこを勘違いするから問題が起こる。先ずは、焼き物を収めるという約定を取り交わした事で、よしとしよう」
「はっ」
「そのうち、彼らの心も解けよう。緩々と参ろう。の?」
「ところでお館様、彼らと取引する、商人はいかにしますや?」
「うむ・・・。そうよのう・・・」国主は天井を見つめた。その視線は東を差していた。
「茶屋、といったな?」
「は」
「会ってみるのも、一興よな」
「商人に会うので?」
「ふむ。この時期に、わざわざ此の地まで来るというのは、単なる酔狂じゃなさそうだ」
「その先に、もしや・・・?」
「ふむ、狸か、狐が出てくるかも知れんな。なにせ、弟が近江と駿府を天秤にかけ始めたからな。危のうて見ておられんわい」
「近江と駿府は、戦になりそうでしょうか?」
「天下分け目の最後の戦と、なるであろうな」
「手前が、茶屋四郎次郎にござりまする」
深々と頭を下げた茶屋に、国主は笑顔で出迎えた。最近普請したばかりの茶室で、畳の色も青々と新しい。
「面を上げよ。お主が京を仕切ると名の高い、茶屋か。一度会うて見たかったわ」国主は茶屋と、そのそばに控えている者とを見比べて言った。
「はは、ありがたき幸せにございます」
「最近、我が領地で陶工と会っているとか?どうだ。良い商売はできそうか?」
「いやいやお耳が早い。そういうお館様も、彼の韓人達には手厚い支援をなさっておいでで」
「うむ。あの者共の値に気づくとは、お主とはうまが合うな」
「僭越ながら、そのようですな」
「ささ、茶でも一服」
「あ、では遠慮なくいただきまする」
鹿威しが鳴った。鳥たちの声が耳に心地よい。
「これは、韓国渡りの白磁でございますな」茶屋は器を手に取って眺める。
「いやいや、お恥ずかしい」国主はつるりと月代を撫でた。
「ところで、陶工たちの処遇は、どのようにお考えで?」
「ふむ。そのことだが、城下に屋敷を構えさせ、此の地に根付いて貰おうと思っている」
茶屋は少し大仰に膝を叩いた。
「それはようございますな。聞けばあの者たちは、弟ぎみが彼の地より無理やり連れて来たとか。その心根察しまするに、穏やかではないと思われまするゆえ」
「うむ。そうだな。罪滅ぼしをせねばならぬな。ところで・・・」
「お主はあちこち巡って、見聞も広かろう。儂は今、この国を立て直そうと思っているところでな。今後の諸国との付き合い方も、改めようと思っている。そこでお主に、一役買ってもらいたいのだ」
「は・・・」
「何、難しい頼みではない。つなぎをつけてもらいたいのだ。さるお方に、『儂は天下の争いには興味はない』と言伝を
頼みたいのだが・・・」
「手前のような者に、そのような大それた役は務まりかねますが、噂を流すことなら、喜んでいたしましょう」
「噂、とな?」
「しかしお館様も、お武家さまにしては珍しいご仁ですな。『争いに興味がない』と」
「ほ、そうであろうか?」
「お館様のご意思、手前しっかりと受け止めましてございます」
「そうか、ありがたい」
茶屋はゆっくりと茶碗を回して、茶を飲んだ。懐紙を口に当て、ゆっくりと言った。
「そのついでといっては何ですが、陶工の作品を、手前どもで諸国に披露目させていただきたく、何卒お願い申し上げます」茶屋は深々と頭を下げた。
「ふふ。成る程。心憎い程人の心根をわかっておる。良かろう。だが、必ず我が国を通せよ。持ちつ持たれつといこうではないか」
そばで控えていた猿回しが、うっすらと笑みを浮かべた。
茶屋は眼を細めて、その茶碗を手に取った。
(これは・・・。)
茶屋の鼻の穴が広がった。顔が上気しているのがわかった。
その茶碗は、白とも言えず、ぼんやりとしていた。純白とは違う、かと言って鼠色とも違う、不思議な色を出していた。ゆっくりと茶碗を回す。今まで見てきたものとは、違っていた。
(これも、朝鮮白磁の一つなのか?)
「いや、違う」陶工が、短く答えた。そこで独り言に気が付いた。茶屋はゆっくりと茶碗を卓に置き、陶工を見た。
「新しい、焼き物ですか?」
「そうだ。この色は、何処にもない」
「では、ではついに」その後の言葉が続かなかった。
「これが、答えだ」陶工は遥か彼方の山並みを見ながら言った。
(師匠の白磁は継ぐことが出来ませんでした。だが、白に拘る伝統は守ります。だから、これで許してください。アガシ。)
「これは、この国の宝となりましょう。いや、間違いなく、外つ国へと広まることでしょう」
茶屋はそう言って、もう一度茶碗を手に取った。