長野まゆみ氏著『となりの姉妹』を読みながら、鉤括弧のない文体に思いを巡らしてみる。好奇心を満たす事が小説の出発点なら、少しでも他人の使わない表現方法に心は揺れる。あ、鉤括弧がないなあ、と意識するような小説って、あっただろうか?この物語も、最初のうちはあまり意識していない。30頁も読んだ頃になって、やっと気づく。
鉤括弧のない文は、流れるようなリズムを持つ。一人が何役もこなす落語の様に、会話がリズムを持ち始める。平面の本を読んでいながら、車に乗っているかのように会話が立体的に前から後ろへと流れてゆく。そこで、はたと気づく。自分は本の中で迷子になりかかっている。そうだ。この本の中では何かが麻痺してゆく。作者に麻酔注射でも打たれたかのようだ。次第に時間感覚が失われてゆく。注射液が筋肉に侵入してくるかのように、異形な言葉が挟み込まれる。既にこの本の中に迷い込んでいる。鉤括弧という地図記号を失ったばかりに…。
皆さんは、鉤括弧を意識した事って、ありますか?