<上位クラスキックオフ@コンラッド大阪>

 

 

写真とは全然違う話ですが!

 

音楽の表現に正解なんてないし、それを求める必要などないのかもしれない。


でも、その人なりの正解はあるとしたら、それは、環境からしか作られないんだなと。

 

 

 

一流の人に囲まれて音楽の表現をしてきた人の『正解』、要するに『当たり前基準』のようなものは、一流。

 

三流の人に囲まれて音楽の表現をしてきた人の『正解』、要するに『当たり前基準』のようなものは、三流。

 

 

 

で、書きたいなと思ったのは、全員一流を目指せよ!ということではなく、どこに向かっていきたいのか?みたいな、ゴールは必要だなと感じるのです。

 

なぜそう感じるかというと、SNSが当たり前になった今だからこその『ファン化』による『盲目化』みたいなところ。

 

ファンができはじめると、サービスは売れ始めて、もはやなんじゃこれ!みたいなものまで売れる。

 

私たちSクワドラントにとっては最高のゴール。

 

 

 

だけど、これが怖い。

 

常に自分が一番である環境とは、別の環境に飛び込んでいないと、すぐに溺れる。濁る。雑になる。

 

 

 

これは『表現する分野』でも同じだなと感じています。

 

ファンがいる人は、雑だろうが濁っていようが喜ばれる。

 

もちろん、ファンはそれが欲しいからそれでいいんだけど、あなたはそのレベルでいいのか?みたいなところが、失われていくのかもなぁと。

 

 

 

私が悲しいなと思うのは、一流の人が三流の環境に入って三流になること。

 

悔しさすら感じてしまう。

 

だけどさ。そんなもん自由じゃん。その人の表現だし。

 

それを見て感動する人もいるし。

 

みたいなことも同時に浮かぶわけです。

 

 

 

ああ、死ぬほどダッセーなと思っても、その人はそれで満足していて、それがいいっていうファンがいる。

 

それで成り立っている。

 

 

 

だから結局のところ、『自分はどうしたいか』でしかなく。

 

私はどんな価値観でどんなクオリティを目指すのかを忘れちゃいけない。

 

一流に触れること。違いを知ることが、自分を高めていく。

 

みたいなことをぼやんと考えていました。

 

 

 

かくいう私は、もっといろいろ追求してプロフェッショナルになりたい。と思う今日この頃です。