そんなときもあるよね、

わたし、はるかですUMAくん



大概、人と比較して落ち込んでも

いいことなんてひとつもないと

分かっちゃいても、それは突然やってくる。


何の気なしにSNSを見てるときだとか、

普通に人と話してるときだとか、


ふとした時に、

何かが心に刺さって(悪い意味で)


それに比べてあたしゃ

何でこんな体たらくなんだ…

と、なんだか非常につらい気持ちに

なるのである。



これの恐ろしいところは、

望むと望まざるとに関わらず、

ある時突然やってくるところである。


ノーガードでいたところに、

脳が瞬時に、勝手に比較し、

自動的に悲しい気持ちになるんである。



ということを何十回、何百回と繰り返し、

流石にこれは何か対策できるんじゃないかと

重い腰を上げて思ったことは、


人と比べること自体は悪くない。


人は人との関係の中で生きざるを得ないし

それが喜びに繋がったりもする。



人と関わる以上、

比べてしまうことはあるし、

比べることで自分を知ることができる。


他の人を知らなければ、

自分が明るいタイプの人間なのか、

考えることが得意な人間なのか、

文書が上手な人間なのか、

喋るのが上手な人間なのか、


そういうことも分からない。



人と比べて、自分がダメだと思うことが

よろしくないんだと思う。

優越感を感じるのも同じく。



出来ないことと、

自分の価値は関係ない


と、唱えることが大切かと。



落ち込むのは多分、

比較して自分そのものの価値が低いと

感じてしまうからだと思う。


人と比較して落ち込むとき、

自分が出来ないことが浮き彫りになるかも

しれないけど、

その分、必ず自分の方が出来ることもある。



人には必ず、

出来ることと出来ないことがあって、


出来ないフィールドで戦っていたら

そりゃ辛かろう。

いかに出来るフィールドに移動するかが

幸せに生きるコツな気がする。


出来るフィールドに移動するためには

自分を知らなければ

どこに移動すべきか皆目分からない。



比較して落ち込んでも、それは

単に出来ないことがひとつ分かっただけ。

もしくはやってなかっただけ。


自分がよく出来ることもあるのだから

落ち込む必要はないし、

自分が出来るフィールドに移動するために

ひとつ賢くなった。


そう思えば、比較して落ち込んでも

比較的早く立ち直れるのを感じる

今日この頃なのでしたくもり


オバケオバケオバケオバケオバケオバケオバケオバケオバケオバケ



パンダスタエフを更新しました。

36歳の時ある日突然会社に行けなくなって

初めて自分の生きづらさに気付いたわたしの

自分と向き合ってきた過程を話してます。

今回は、生きづらかった頃に

しんどかったことの内、

「他人の評価がとにかく気になる」について

話しました。