二つの「見果てぬ夢」
(ALL ドン・キホーテ)
夢は稔(みの)り難く
敵は数多(あまた)なりとも
胸に悲しみを秘めて
我は勇みて行かん
道は極め難く
腕は疲れ果つとも
遠き星をめざして
我は歩み続けん
これこそ我が宿命(さだめ)
汚れ果てし この世から
正しきを救うために
如何に望み薄く遥かなりとも
やがていつの日にか 光満ちて
永遠の眠りに就く その時まで
たとえ傷つくとも 力降り絞りて
我は歩み続けん あの星の許(もと)へ
(アルドンザ)
夢は稔り難く
敵は数多なりとも
(+神父)
胸に悲しみを秘めて
(+床屋)
我は勇みて行かん
(+牢名主・アントニア・家政婦・マリア・フェルミナ)
我は勇みて行かん
腕は疲れ果つとも
(+ペドロ・ムーア娘)
遠き星を目指して
我は歩み続けん
(+ラバ追い&ALL)
我は歩み続けん
たとえ足は萎えても
瞳高く凝らして
遥か遠き空へ
上の「見果てぬ夢」は、セルバンテスが扮する遍歴の騎士ドン・キホーテにより“ドルシネア姫”と名づけられたアルドンザが戸惑い、「なんだってそんな馬鹿馬鹿しいことをするのか」とセルバンテスに問い詰めた時に、「この世にいくばくかの優雅さを附け加えたい」として、騎士道を歩む者の使命であり特権とも言うべきものを唄ったもの。
下の「見果てぬ夢」は、物語の最後に、セルバンテスと召使が絶体絶命の宗教裁判を受ける為に石牢を後にしようとした時、囚人たちが唄うものである。
キホーテの唄には使命や正義といった騎士道を歩む者の宿命が唄われているが、ラストの唄にはそれがない。
それは一体何を意味するのだろうか。
そして注目すべきは唄を派生させ紡いでいく囚人たちの順番である。
アルドンザを演じた女囚が歌い始めるこの唄は、この世に生きる弱い者・虐げられる者(=感受性の強い純粋な心の持ち主とも言うべき者)に繋がり、力を誇示してきた囚人たちへと波紋を広げていく。遍歴の騎士として見事に生を全うしてみせた新米囚人セルバンテスを目の当たりにした先輩囚人たちの、これはその彼らのほんのささやかな成長記なのかもしれない。
セルバンテスたちを見送った後に石牢の囚人たちがどういう人生を送ったのか、その物語は、この「ラ・マンチャの男」を見届けたあなたが創り出す物語なのだ。
明日はいよいよ千秋楽。
東宝ミュージカルに初めて出演したのがこの「ラ・マンチャの男」であり、こうしてこの作品で一つの区切りがつけられることを非常に嬉しく思う。
この作品に、そしてこの作品を支えてきた多くの方々、そして何より、この作品を愛して下さったお客様に心より感謝を致します。
ラマンチャ日本初演より44年。
僕の役者人生はちょうど半分の22年。
たかだか22年。
されど22年。
舞台は人の生き様だ。
僕なりの生き様でひとまず幕をおろしたい。
僕の人生に関わって下さっている全ての人に感謝致します。
ありがとうございました。
僕は「ラ・マンチャの男」という舞台が大好きです。
初演から今日まで、この舞台が大好きだったあなたと同じです。

さ、いつものように風呂に入って寝よう。