1972年7月26日(水)4時半頃、名古屋市内の病院で僕は産声をあげました。
決して裕福な家庭ではありませんでした。
でも愛に溢れ、両親共に子どもの未来、日本の未来に希望を抱き、笑顔の絶えない家庭でした。
2年後に妹が生まれました。
9年後には弟が生まれました。
お金の掛からない沢山のペットたちにも囲まれ、名古屋のチベットと言われる土地で自然に触れながら野生児として少年時代を送りました。
15才の時には、将来プロの役者になる気満々で、演劇部の盛んで共学で、何より地元を離れられる高校を目指しました。
役者を目指すきっかけになったのは、母の熱心な教育のお陰でした。
そんな母は享年48才で他界しました。
僕は24才の時でした。
26才になる春、長男である僕は名古屋を離れ上京しました。
名古屋以上の貧乏役者生活のスタートです。
見かねた弟夫婦が数年前に家督を継ぎ実家を新築しました。
ただただ感謝です。
今、児童劇から離れ、芝居から離れ、あらゆる人から離れていく時、残ったもの、また新たに選んでいけたもの、それらがこの先どういう人生を彩るのか、それは全くもって未知の世界ではありますが、己が自分らしく生きていける環境だけは作っていかねばと思う今日この頃です。
前厄。
人生の折り返し地点。
やめること、切ること、動くことは、全てエネルギーがあるうちにやった方がいい。
先日、名古屋の大先輩が言ってくれました。
誰も信じられなくなったらおしまい。とも仰っていました。
誰かを信じていられるうちに、能動的に環境を変えていこうと思います。
流されないように、呑まれないように。
人生色々。
あとどれくらい生きられるかは定かではありませんが、生きている以上、健康でありたいと思います。
今は亡き母、楽しく賢明に生きる父、優しい弟妹とその家族、そしてこれまで僕と出逢って下さった人全てに感謝致します。
本当にありがとうございます


そんなわけで、無事40才になりました

こんなに生きていられるとは思わなかったなぁ…。
沢山のお祝いの言葉をありがとうございます。
とてもとても幸せです。
(*^o^*)
いやぁ、それにしても夕べのカラオケ、昔のアニソン歌いまくりの1時間でございました

幾つになってもバカはバカらしく(笑)
楽しかった~



さあ、「ラ・マンチャの男」も稽古が佳境に入って参りました。
僕なりの星を目指し、今日もあるべき姿のために闘いたいと思います

今日も熱いぞ~



